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20.役立たずなんかじゃない

「光のラインで描かれたモルフォ蝶の羽。ジグの肌色にも映えて、とても綺麗よ?」

「カチィ!」

「触ってみていい?」

「カチっ」

「ウィクトルがどうぞって言ってる。可愛いわ」


 男のシャツを半ば無理矢理剥ぎ取り、半裸を観賞して、あまつさえ撫で回すという事案なことをやっているが、サクヤには自覚がない。

 サクヤが華奢な指で蝶々の線をなぞるとジグは赤面したまま悶えて、今にも息絶えそうだ。


「ねえ、羽を広げて見せて?」

「……はい」


 時間はかからない、と豪語していたジグは心なしかゆっくりと羽を広げる。

 レースのように魔法陣が刻まれた光の羽を間近で見て、サクヤはウィクトルとともに称賛の声を上げた。


「大きくてとても立派で幻想的ね。ウィクトルもそう思うでしょう」

「カチっカチっ」


 完全に同意だと言わんばかりにくちばしを縦に降る。


「それにこの羽は、ジグの努力の結晶よ。なんだか凄みも感じるわ」

「カチ、カチカチっ」

「そっか。ウィクトルはずっと傍でジグの努力を見て来てる。ジグの凄さ一番理解してるのはあなただものね」

「カチっ」

「ジグの羽は、役立たずなんかじゃない。少なくともウィクトルと私にとってはね。もっと誇っていいのよ?」

「カチっカチ」

「……なんでサクヤさん、ウィクトルの言葉がわかるんですか?」

「だって私達もう家族だものね~?」

「カチィ~」


 ただでさえ愛してやまない人と、かけがえのない相棒に過剰に褒め称えられ、ジグは居たたまれなさと羞恥と愛おしさに身悶える羽目になっているのだが、サクヤはどこ吹く風だ。


「切り離した痕はこのまま治らないの?」

「いえ、時間が経てば再生します。本物の蝶々と違って、ただの魔力の塊ですから……」


 再生する間もなく酷使しているからこそのジグザグな縁取りなのだと納得する。

 長い旅の果ての、渡り蝶のような羽をサクヤは痛ましくも美しいと思った。


「……なんで役立たずだなんて思っていたの?」


 サクヤが直球で切り込むと、腰砕けになっていたジグが弾かれたように振り返る。

 そのままサクヤの華奢な肢体を抱き抱え、その羽でウィクトルごと包み込んだ。

 ジグの裸の胸から直接、激しい動悸が伝わって来る……。

 

「……貧民街が襲われた日、ぼくは食料を探しに遠出をしていました。だから一人で生き残ってしまった……。ぼくがもし蜻蛉だったら、蝶のゆったりした羽ばたきじゃなかったら、間に合ったかもしれない。せめて現場にいれば、誰か一人くらい救えたかも、知れないのに……」


 ジグにとって羽は無力の象徴なのだとサクヤは理解した。

 だから蝶々の蟲人にとって命といえる羽に平気で改造を施すし、断片とはいえ切り離すのに躊躇いもないのだと。


「あなたの心の傷は想像以上に深いのね……。次の魔王に対して待つ一手なのは、そこにも関わりがある?」

「……はい。『健啖魔王』の魔王城は地中をゆっくり進行します。大荒野に達したかと思えば、すぐに食料不足で王国に出戻って、を繰り返しており……もっと近付かないと、大荒野の中央とは行かずとも、もう少し踏みこんで貰わないと、ぼくは花の国や、家族、サクヤさんから遠く離れることに、耐えられないです……」

「……いや、健啖魔王はどんだけ食いしん坊なのよ? まあ、ジグの方は寂しがりやだけど?」


 サクヤは呆れたようにジグの頭をくしゃくしゃに撫でた。

 ウィクトルもジグの肩に身を寄せている。


「魔王とはそういうものなんです。思考が極端で、感情が振り切れて、穴が空いたような底なしの欲望が貪欲な探究心を産む──かつてのぼくは戦闘を、今のぼくはあなたの愛を望んでいるのですから」


 こんなにも求められては、サクヤの胸も苦しくなる。

 自らを選んでくれた伴侶に尽くすのは花人の性質さがであり、サクヤもまた例外ではないのだ。


「し、仕方ないから、特別よ。今日だけ、今だけ、あなたのどんな望みも聞いてあげるわ。……私になにをしてほしい?」


 サクヤの甘い香りを吸いこむように、ジグが枝垂れ桜に、薄紅の髪に頬をすり寄せる。


「サクヤさんのお誕生日を、教えて欲しいです。あなたが産まれてくれた日のために準備をして、ともに祝いたいから……」


 ジグの欲のない言葉に、サクヤは固まった。


「おたんじょうび……?」


 それは、サクヤが知らない──あえて考えないようにしていたこと、だから。


「サクヤさん、どうかしましたか?」

「あー……ジグや」


 声を上げたのは、居間の片隅で空気になっていたブロスだった。

 自ら仕向けた事とはいえ、突如発生した甘いやり取りに顔を皺くちゃにしている。


「花の国は数え年だと前にも言うたじゃろ? サクヤにはな、誕生日という概念がないのじゃ。花の国は花人も伴侶も二世も、年の初め、聖月しょうがつになった瞬間に一斉に歳をとり、皆で盛大にお祝いをするんじゃぞ? “聖誕の儀”じゃ」

「なるほど。これが、文化の違い(カルチャーショック)というものですか……今は玖の月、聖月までにまだ準備は出来ますね……サクヤさん」


 ジグはサクヤから身を離すと、その手を取り、手首にキスをした。


「明日、一緒にお出掛けをしませんか? サクヤさんと二人で花の都を歩いたことがないので、デート二戦目をお願いします」


 聖月までにサクヤの好みを知りたい、あわよくばもっと親密になりたいというジグの思いがひしひしと伝わってくる。

 

「どんな望みも聞くって言ったもの。女に二言はないわ。そのデート、引き受けた!」

「ありがとうございます!」

「カチっ!」


 盛り上がる二人と一羽に水差して、ブロスがすっと手を挙げる。


「……あとは部屋でやってくれんかのう……」


 ほんになんでこれで蝕呪の儀はまだなんじゃ、というブロスの心の声が、サクヤには聞こえた気がした。


*******


 待望のデート二戦目、当日。

 晴れ渡る空の下で、さてどうしたものかとジグは頭をひねる。


「親父たちは丸めこまれたみてぇだが、俺らはまだテメェを認めた訳じゃねぇからな!」


 女性の身支度には時間がかかるもの、都で待ち合わせする方がよりデートっぽくないか、というブロスの助言に従い、ひとまず先に出立したジグを待ち伏せていたのは、熊の獣人──マルスの息子を筆頭に年若い少年たち、二世の群れだった。


「どうせ侵略を止められたから手段を変えて、花の国に潜入するためにサクヤを狙ったんだろ!」


 そうだそうだと周囲が騒ぎ立てる。

 ブロスとサクヤの家は郊外の一軒家で、都に向かう一本道には他に人通りがなく、この集団が塞いでしまっていた。すなわち目撃者はいない。


「サクヤの目を覚まさせようと思って来たが、テメェ一人なら都合がいい!」

「この人数なら、こっちの方が有利だ!」


 この若い群れを蹴散らすのはジグには容易いことだ。

 ユニークスキルや攻撃魔法はおろか、ハンマーを使うまでもなく、素手で充分といえる。

 以前のジグだったら、考えるまでもなく全力で殴る気満々だったが……これの父親のマルスはいち早くジグをブロスの家族だと認めてくれた良い人だ。


 それに、はちみつとりんご亭の看板メニュー、シナモンの効いた、蜂蜜たっぷり林檎のパイはサクヤの好物で、ウィクトルも気に入っている。

 ジグとしても両親の方と気まずくなるのは避けたい。熊耳少年は親の功徳により、これまで無事でいられたのだ。


「えっと、マルスさんの息子さん」

「アルスだ!」


 このアルスや他の少年は、言ってはなんだが生き延びるための本能が弱そうで。

 鰥衆と違って覚悟も鍛えた肉体もなく、下手に攻撃すると簡単に死にそうだからジグは困って、持て余している。

 いっそオオムカデにしたようにジグの本気の殺意でもぶつけるか、とおざなりに考えた時だった。


「胡散臭い敬語で、腰の低い態度でブロスさんや親父たちに取り入りやがって! それに聞いたんだ。テメェの胸には特徴的な傷跡がなかったって。サクヤに伴侶として認められてねぇから、蝕呪の儀を受けられねぇんだろ!!」


 蝕呪の儀については、思い至らず人前で服を脱いだジグにも責任がある。

 けれど、アルスの一言はジグの地雷を踏み抜いていた。


 ──徹底的に打ちのめして二度と同じ言葉を吐けなくしてやりましょうか。


 体の傷には直ぐさま治癒をかければいい。完膚無きまでに心と、ついでに二、三本骨を折るべく、ジグが実行に移そうと一歩踏み出しかけて──。


「弱いものイジメはやめなさいよ?」


 ジグを止めることが出来るのは、やはりサクヤだけだ。


 麗しい声を聞いて振り返ったジグは、着飾ったサクヤのあまりの美しさに怒りをどこか遠くへ吹き飛ばすと、感激しながらサクヤの元へ赴き、衝動のままに跪いていた。


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