19.役立たずな羽
サクヤの蝶々とジグの髪を見て、儀式って神挿しの儀じゃったか~と早とちりを悟ったものの、口には出さなかったブロス。
その日以降もジグは蝕呪の儀を受けていないのに、胸に秘めた闇や瞳の昏い光が着実に薄れている。
「ジグ。お前自身も周囲も落ち着いて馴染んで来たな。今日は大分前に話していた術士チームを紹介しようと思うが、どうじゃろうか?」
「ありがとうございます。花の国の術士、魔法にはぼくも興味があります。是非お会いしたいです」
──サクヤにしか向いていなかった関心が、心の余裕か他にも向けられるようになった。
「あら、ジグはお出掛けなの? なら気合い入れて髪をセットしないとね」
「いいんですか? よろしくお願いします!」
「ちゃんとお手入れしてるから、髪の手触りが良くなってるわ。偉いじゃない」
「サクヤさんからもらった櫛のおかげです!」
友の櫛で毎日髪を梳き、サクヤに褒められながら髪を結われるのも、ジグにとって良い影響といえた。……でも居間でいちゃつくのは正直やめてほしいとブロスは思う。
「はい、できたわよ」
「さすがサクヤさん、今日の髪も素敵です」
「カチっ」
「ウィクトルもそう思うって言ってます」
「ほ、褒めてもなにも出ないわよ……」
新婚の頃の自分達、在りし日の妻とのやり取りを思い出す。
ジグもウィクトルもすでに家族。二人と一羽の和やかな会話にも思わず目を細めた。それはさておき。
「いや、ジグ。可愛いを通り越して雅な頭になっとるが、それは良いのか? これから真面目な話し合いじゃぞ?」
今回のジグは長い髪を編み込んだだけでなく、要所にサクヤの桜を散らして、細流に花筏を浮かべたような風流な仕上がりになっていた。
「いえいえ、師匠の昇天ユニコーンmix盛りに比べたら落ち着いてますよ」
「なんでそれをっ!?」
「あの時のお父様、意地になって一日中そのままで大事な集会にも参加したじゃない……」
「ぐぅっ」
サクヤからの情報のリークもあるが、ジグがしたたかになったことでブロスがやり込められることも増えて、そんな所にも成長を感じられる。
────そろそろ良い頃合いじゃろうか。
*******
ブロスがジグを案内したのは、御神木の領域内の社だった。
待っていたのは清潔な木の空間と不釣り合いな、着古した白衣や見慣れない民族衣装に身を包んだまとまりのない集団。
おまけに彼らの髪を飾る花は薔薇を筆頭に大輪の物が多く、髪型も妙に華やかで、非常にチグハグな印象を与える。
風流頭だが、あくのない整った顔立ちと清潔感のある服装が調和したジグはまだマシな方といえた。
「初めまして。ぼくはモルフォ蝶のジグです」
「初めまして。僕は代表のザーロ、しがない研究職です。早速っすが、あなたの張り直した結界の強度、魔法の展開の速さは素晴らしい。近々開催される“乙芽の祝祭”は未熟な新芽や蕾の子らが主役となる大掛かりな儀式です。防衛は厚ければ厚いほどよい。是非その技術を伝授していただけたらと!!」
赤薔薇を挿した夜会巻きはすっきりして上品なのに、無精髭とくたびれた白衣で台無しな男に血走った目で詰め寄られ、ジグは若干引いていた。見かねたブロスが助け船を出す。
「すまんのう。こやつは幼い娘が初参加するからと気合いが入っておるのじゃ……」
「宮仕えとは名ばかりの王宮の雑用係を押し付けられ、使い潰されるぐらいならいっそ冒険者にでもなってやらぁ! と自殺覚悟で大荒野に衝動的に飛びこんだ僕が愛しい妻と出会い、可愛い娘まで授かって……この幸福を守るためなら、僕は悪魔にだって魂を売りますよ」
「そういうことなら、喜んで協力します」
「ありがとうございます!!」
共感するものがあったのか、ジグはザーロと固い握手を交わす。
「それではまず基本的な所から」
青い光の中からジグが取り出したのは、深い藍色の洗練されたシルエットのペンだった。
なんの変哲もないように見えて、蓋を外すと軸から青い蝶の羽が広がり、空中にペン先を走らせれば光の軌跡が複雑な術式を描き出す。
「これがぼくの結界魔法の構造式です」
「いやいやいや、なんすかそのペン!? そもそも無詠唱どころか今ノーモーションで召喚しましたよね。やってることの次元が違いますよ!?」
次元と聞いてあからさまに嫌な顔をするジグ。しかしそこを突こうものなら、藪をつついて隼が出るのでブロスは口を挟まない。
そもそも門外漢のブロスにはなにが凄いのかもわからないが。
「これはぼくが作った独自のアイテム、魔念筆です。泉のように湧き出す光で、どんな場所でも魔法陣が描けるし、描いた魔法陣を一つだけなら保持できるんですよ。よろしければ、あとで差し上げます」
「いいんすか!? さらっと言ってますが、とんでもなく画期的な発明ですよ!?」
ザーロは拝むように手を合わせて感謝を表明した。他の面々もざわついている。
「……王城の防衛強化のための魔法を編み出してくれ、という王命から始まり、魔王だろ、魔法を極めた者だろ、と専門分野以外の魔法の開発や行使、ぼくがやらなくてもいいような雑務まで無茶振りされるようになりました……。やることが多すぎて手が回らない中、他の魔法使いに少しでも仕事を回すべくこのペンを開発したところ、『お前がやれば早いだろ』と王には一考の余地なく切り捨てられたものです。これを基に量産して貰えたら、あの時の苦労が報われます……」
ザーロは再びジグに握手を求めると、ジグも無言でそれに答える。
ペンごと固く手を握りあった二人の目は、どちらもどんよりと澱んでいた。
「ブラックな王族は国ごと滅びればいい。ジグさん、このペンは必ず有効活用します。あなただけに……誰か一人だけに負担はかけません。我らは同胞です。力を合わせて花の国を、愛する家族を守り抜きましょう」
「よろしくお願いします」
「……仲間意識が芽生えるのは良いが、他の者が置いてきぼりじゃぞ。本題に戻らんか」
第三者のブロスだからこそ軌道修正がし易い。
スムーズに話しを進行するため、ブロスは一肌脱ぐことにした。
「龍との戦いや、わしが直接対峙しての見解じゃが、ジグは青い光を放つ時だけノーモーションになるのではないか? 初めてユニークスキルを披露した時は、まだ一拍以上は間があったからのう」
「さすが師匠、目の付け所が鋭いです!」
どこか嬉しそうなジグ。握手の手を解くと、おもむろに質問を投げかける。
「この中に、蜻蛉や鱗翅目の蟲人はいますか? ……いないようですね。なら、見せた方が早いかな」
一人ごちながらジグはシャツを脱いだ。
着痩せするタイプなのだろう、見た目以上に固く締まった強靱な体には古い傷が幾つも刻まれていた。実戦で鍛え上げた筋肉の凄みは、歴戦の勇士であるブロスですら驚嘆する。
ジグがくるりと背を向けた。
逃げ傷のない綺麗な背中には、青く輝くモルフォ蝶の刺青が入っている。
ぎちぎちに絞られた筋肉と可愛いらしい蝶、羽の真ん中に垂れた雅な編み込みが奇妙に調和していて、美しくすらあった。
「背中の蝶々をご覧ください。蟲人はそれぞれの虫にちなんだ能力を持ちますが、蝶の蟲人の特有能力は飛行です。本来なら飛ぶことしか出来ない、役立たずな羽ですが……」
いや飛べるだけで充分では、とブロスをはじめに皆の心が一つになったが、ジグは気付かない。
刺青が強い光を放ったと思ったら、ほんの一瞬で、青い光の羽が広がった。
「このように羽を出し入れするのに時間はかかりません。この魔力で出来た羽に、先ほどのペンで魔法陣を下書きしています。結果、背中に浮き出たのがペンと同じ光の模様ですが、日常生活や飛行自体には影響はありません」
よく見れば、二対の青い羽は緻密な魔法陣で埋め尽くされていた。
「この羽には現在、ぼくの得意な空間魔法を中心に千個ほど描き込んでいます。羽を広げる要領で、使いたい魔法をだけを切り出せば、ノーモーションでの行使が可能となります。さらに」
魔法陣の描き込まれていないわずかな隙間の部分が、切り離されたと同時に青い蝶へと変化する。
蝶の羽にしては縁がジグザグして鳥の翼にも似た形状なのは、こうして利用しているからだと察し、ブロスは無言で額を押さえた。……ほんに自分を大切にしない奴じゃのう。
「断片は蝶として使役することも出来ます。魔力で補充出来るし、人捜しや斥候に使えて便利ですよ!」
それだけ言うと、ジグは羽を閉じてシャツを着た。その間も術士達は押し黙っている。
……蟲人の羽に手を加えるのは、人に例えれば骨に刺青を入れるようなものだ。
「あまりにマッド──いえ、特異過ぎて参考になりません……」
ザーロが皆の心の声を代弁する。
ジグは深いため息を吐いた。
「……やっぱり役立たずな羽です」
ようやく落ち着いたと思った頃合いで大盤振る舞いされたジグの闇に、まだ早かったか……とブロスは後悔する。
そして、このことは絶対にサクヤに報告してやろうと決意した。
微妙な空気での帰り道。
「ぼくの説明、なにが悪かったんでしょうか……」
「言いたい事は色々あるが、お主は早く蝕呪の儀を受けい。話しはそれからじゃ」
「それはまだ良いんです。サクヤさんと約束したから」
サクヤの花に指を這わせるジグの顔は慈愛に満ちていて、神挿しの儀を受けた分はマシにはなっているようだ。
「それより師匠。“乙芽の祝祭”とはどんな儀式なのですか?」
ブロスは一瞬黙ってから、祝祭のために御神木の周りを行き交う『葉兵』を遠い目で見つめる。
「……かつての戦争が与えた影響は大きい。なにしろ、大陸の地図が大きく描き変わったほどじゃからな」
百年前の終戦後、ほどなくして数百年変わらなかった荒野が、劇的に広がった。
花人の数が減ったからか、大地を清める森の一部が焼かれたからか……はたまた大量の侵略者の死体が呪いに取りこまれたからか、原因は定かではないが、元々広範囲を占めていた不毛な大地が牙を剥き、周辺国を飲み込み、侵略して来た国々をも滅ぼしたという。
それ以来、荒野は『大荒野』へと名を改め、花の国は呪われた荒野の浄化と、呪いを食い止めるための楔の役目を持っていたのだと知らしめた。
「花の国でもな、女王を失ったせいか、御神木が変質した故か……。ここ百年、花人の中に年頃になっても花が咲かない者が、ごく稀に産まれるようになったのじゃ」
ブロスが示した葉兵たちはいずれも同じ年頃の若い女性で、皆青々とした葉が茂っている。
「……一部の神職が髪を剃るように、あえて花を切り落としているのかと思ってました」
「あの『葉兵』はな。若い時分で歳が止まるが、基本なら長命の花人にも関わらず、寿命は百年にも満たぬ上、花が咲かない故に次代を産むことも出来ぬ身じゃ。欠陥と思われるかも知れぬ。されど卑屈になることなはく、女王亡き後の御神木を守るために肉体を鍛え、自ら兵に志願した気高く強き者。──しかし浄化の花を咲かせるのが花人の本分じゃろう。一昔前、葉兵の中で最も強かった者が、若木が確実に花を咲かせられるように、皆で祝福しようと声を上げた。それが乙芽の祝祭の由来じゃな」
ここでブロスは言葉を切り、ジグの目をひたと見据えた。
「乙芽の祝祭が始まって十数年、今のところ新しい葉兵は産まれておらぬ。不具を抱えて産まれながら御神木を守る道を選び、若木を、民草を想う彼女たちはお主にはどう映るかのう」
ブロスは侵略者だったジグを試すかのような言動をあえて取る。……ジグはどう答えるだろうか。
「蟲人のぼくからしたら身近な、蟻や蜂の兵隊のように映ります。大切で欠かせない役割を担う者……不具なんかじゃありません。個ではなく種族全体の守り手、意味のある存在です。敬意を払うべき方々だと思います」
「……左様か」
嘘偽りのないジグに対してブロスの返答は短い。それから二人は言葉もなく、どことなく重い足取りで帰路に着いた。
────帰って早々。
「サクヤ。ジグの奴、自分の羽を役立たずとか言っとったぞ」
「師匠!?」
「詳しく話すとじゃな、ジグがシャツを脱いで──」
「ちょっ、やめてください!」
ちゃっかりブロスが暴露したことで、サクヤとウィクトルの無邪気な称賛がジグを襲うこととなる。
ブロスは不言実行、やられたらやり返す性格であった。




