18.神挿しの儀
サクヤのための髪飾りを手作りする。
こればかりは、さしものジグといえども今までのように突貫で進行する訳には行かなかった。 デザインを考えて設計図を描き、綿密な計画を立てなければならない。
幸い、宝飾品レベルとまでは行かないが、ジグには魔法具作りのノウハウがある。
あれからジグは、サクヤと交流しながらブロスに教えを請い、ウィクトルに調べものをしてもらう傍ら、皆で家族団欒しつつ、魔王城本体に作業のために通う、忙しないが幸福な日常を送っていた。
時間短縮のための空間魔法で、自室の押し入れに繋げた魔王城の一室。
ここはアイテムを製作したり魔法を組み立てるための作業場だ。
ジグは魔法陣を刻んだ黒い御影石の作業台に、如何にも怪しげな道具類、触媒、そして御神木の枝とラブラドライトを並べていく。
一見チートなジグのユニークスキルだが、魔導書の能力はあくまで魔法の収納、保管であり、魔法そのものはジグが準備しておかなければならない。
そのためジグは広範囲攻撃魔法や禁忌レベルの大魔法にも耐えうる特殊な空間を作り上げ、魔法も使う度に補充するという地道な作業をコツコツ積み重ねて来た。
チートどころか真面目で堅実、努力家な魔王といえる。
「時は満ちました」
作業台の隅に、散々作ったサンプルの蝶々を押し遣って、ジグはついに本番を開始する。
まずはミスリルの短剣で御神木を削り出し、掌に乗るくらいの木彫りの蝶々を作る所から。
色々な素材の木で練習を重ねたので、芸術に疎いジグでもなんとか様になる蝶々を彫刻できるようになった。
胴体の裏側には留め具を装着して、基礎となる土台を仕上げる。
『ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:研魔』
『ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:薄斬』
次にラブラドライトを手に取ると、この日のために開発した魔法で研磨し、切り分ける。
表面の光や模様を損なわない磨きは本職に勝るとも劣らない技術の結晶。
厚すぎず薄すぎず、絶妙なラインでラブラドライトを切断すれば、それはまさにモルフォ蝶の羽だった。
指で摘まんで角度を変えて見ると、ちゃんと金色の光も入る。カットの位置が少しでもずれると微妙な仕上がりになるため、一番調整に苦労した部分でもある。
『ブックマーク:カテゴリ7:付与魔法:幸運』
『ブックマーク:カテゴリ7:付与魔法:強化』
『ブックマーク:カテゴリ7:付与魔法:結界』
『ブックマーク:カテゴリ……』
大荒野で採れる石はもれなく呪われているが、浄化することによって、あらゆる魔法を受け入れる最高の素材にもなる。
手料理、ハンカチ、ぬいぐるみ……そしてジグの髪に挿した枝垂れ桜の枝。
サクヤはジグに惜しみなくなんでも与えてくれた。
ジグも大盤振る舞いでユニークスキルのストックを注ぎ込んでいく。
最後にお馴染みの青い光の蝶……ジグの羽の一部を切り出すと、木彫りの蝶々とラブラドライトの羽と重ね合わせた。
『ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:融合』
『ブックマーク:カテゴリ10:未分類魔法:保護膜』
御神木の蝶々の枠にラブラドライトの羽が溶け合って、一つになる。
荒削りだった彫刻の表面は滑らかに整い、艶出ししたようになり、木製の瞳には光が宿った。仕上げに青い光の触角がするりと伸びたら、出来上がりだ。
「モルフォ蝶のヘアクリップ、完成です!」
大荒野で産出される石、御神木の枝の加護、魔王の付与魔法の重ねがけ。
恐らく失われた魔法技術クラスの逸品となった魔法具を、ジグは両手で厳かに捧げ持つ。
「サプライズ要素も取り入れたし、サクヤさんが喜んでくれるといいのですが」
ジグは不安と期待が入り混じる顔で呟いた。
昼食も取らず籠もっていた部屋から飛び出し、ジグは慌ただしく階段を駆け降りる。
「サクヤさん! 今から儀式のためにサクヤさんの部屋に行ってもいいですか?」
「今日は他に用もないし、いいわよ。べ、別に待ちわびてた訳じゃないからね!」
昼の沐浴を済ませたサクヤに満を持してジグは告げる。
サクヤは最初は目を丸くしたものの、頬を染めながら受け入れてくれた。
相変わらず素直になりきれないサクヤだが、初デートの日からジグとの距離は縮まっている。
「親の手を離れて行くのを見守るのは嬉しいものじゃが……目の前で見せつけられると、ちとキツいのう」とはブロスの苦言である。
「じゅ、準備もあるから、私は先に部屋に戻ってるわ!」
よほど嬉しかったのか、弾むような足取りのサクヤの姿に、ジグも思わず心が弾んだ。
「……お主ら、ようやくか。白昼堂々いちゃつかれるのはアレだが、順調に進展しとるようで何よりじゃ」
「はい、ようやくです。どれだけこの日を待ち侘びたか!」
「ジグもやはり男じゃのう。ウィクトル、腹ごなしに散歩にでも行くか。邪魔者はおらんから、しっかりやるんじゃぞ」
「別にお邪魔ではないですが……でも、気合い入れて行きます!」
神挿しの儀を儀式と表現したこと、ジグが髪飾りを手作りすると表明してから時間が経っていたこと、ジグとサクヤのビートル内でのやり取りを知らないこと、日に日に距離の近くなる二人を見ていたことが重なって、経験豊富なブロスはジグが神挿しの儀ではなく蝕呪の儀に誘った思っていたが……二人のすれ違いに気付いたのは、笑うように羽を震わせたウィクトルだけであった。
*******
「サクヤさん、失礼します」
「どうぞ」
内心ドキドキしながら胸元をそっと押さえるサクヤ。
──楽しみになんか、してないんだからね。
「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。サクヤさん、あなたのための蝶々です」
準備万端で鏡台の前に座ったサクヤに、ジグが片膝をついて恭しく髪飾りを差し出した。
サクヤの心を射抜いたラブラドライトの輝きはそのままに、美しい蝶々が象られている。
サクヤは思わず目を見張った。
ジグの手作りならなんでも嬉しいと思っていたが、予想以上の出来栄えである。
「綺麗……それに、可愛い。青い触角がハートの形みたいね」
「そこもこだわった所の一つです。……包装もなしですみません。一刻も早くあなたに届けたくて」
まるで生きているようなこの蝶々には、包装は逆に無粋だとサクヤは首を横に振った。
蝶々の羽に指先で触れると、ヘアクリップのはずの蝶々はくすぐったそうに羽を震わせてから、優美に開閉する。
「今、動いたわよね?」
「偶然なんですが御神木の枝を削り出した時、木目の模様が眼状紋のようになっていまして。奇しくもモルフォ蝶の羽の裏側を表現出来たんです。表羽の石の質感、裏羽の木肌、対比が面白かったのもあり、動く魔法も仕込んでみました。……お嫌でしたか?」
「ううん」
ちょうど蝶々がその場で羽ばたきした。
灰褐色の羽からは御神木の温かみが伝わり、冴えた輝きの青い羽は、動きがあるからこその妙なる色の移り変わりを楽しむことが出来る。
「最高よ、ジグ。ありがとう」
神挿しの儀は夫が手ずから妻の髪を飾るもの。
緊張したようにジグはサクヤの髪へ手を伸ばす。
少し迷ってからサクヤの左寄りの額付近、咲き誇る枝垂れ桜の一房に蝶々は舞い降りた。
サクヤが鏡に映して確かめると、やはり石の青は枝垂れ桜の薄紅色と引き立て合って美しい。御神木の木肌と花との取り合わせも当然のように良い。
……なによりジグが身近に感じられる。
「本当に綺麗で可愛いわ」
「それはサクヤさんの方です……」
会ったばかりの時はサクヤの方が綺麗だと反射のように断言していたジグだったが、今は顔を真っ赤にして囁くのが精一杯、といった風情で、情緒が成長してるのだと、その点でもサクヤは感動した。
「遅くなったけど、あなたの髪を結わせてちょうだい」
サクヤの方から手を取ってジグを座らせる。
大きな鏡には想い合う夫婦にしか見えない、幸せそうな二人の姿が映し出されていた。
*******
ジグの腰まで届く長い髪を、サクヤが胸元に忍ばせていた櫛で丁寧に梳いてくれる。
──照れくさいというか、面映ゆい気持ちになるのは何故でしょうか?
「ジグの髪はとても長いわよね。何か願掛けで伸ばしていたの?」
「いえ、別に伸ばしている訳ではなく、切らなかったら勝手に伸びたというべきか」
「……なに当たり前なことを言ってるの?」
サクヤに呆れた顔をされてジグは恐縮する。
「とにかく、髪にこだわりなんてないんですよ。昔は蝶だというだけでからかわれるのが嫌で、自分で切っていたぐらいです」
親友ともそれでケンカしたくらいだ。
皆が殺された後、ウィクトルと暮らしている時も続けていた習慣は、次元魔王になり、友の記憶を無くした時点で止めてしまい、結果髪が伸びただけなのである。
「は? なんで蝶々だとからかわれるの?」
「蝶というのは女性的なイメージが強いらしく。女性と違って、男性の蝶の蟲人は馬鹿にされることが多いんです」
「失礼だわ! 虫の方の蝶々だって、雄の方が色彩も模様も鮮やかで綺麗なものが多いのに!」
怒りを露わにするサクヤだったが、その髪を梳く手付きは依然優しいままだ。
「前にも言ったけどね、ジグ。あなたの髪は表も裏も綺麗よ。……ねえ、青い色が見えるように編み込んでいいかしら?」
「サクヤさんのお好きなように」
器用なサクヤは慣れた手付きで、ジグの髪の灰褐色と青が交互に来るように編み込んで行く。
編み終えると根本に枝垂れ桜の枝をすっと挿しこみ、髪をジグに見せるように持ち上げた。
地味な灰褐色と鮮やかな青は編み込まれることで複雑な模様を描き出し、自分の髪とは思えないくらい綺麗に見える。サクヤの桜の色も映えるのが良い。
「ほら。こうするともっといい」
鏡越しに得意気なサクヤと目があったと思ったら、サクヤが肩に手を回して来て……後ろから抱き寄せられた。
かつてないほど顔が近い。温かい。良い香りがする。どことは言わないが、柔らかい感触が、伝わって来る。
「サ、サ、サクヤさん!?」
「私達、お揃いよ。二人並ぶと統一感があるでしょ?」
鏡には真っ赤になったジグと満面の笑顔のサクヤが映っていた。
サクヤの薄紅の髪と枝垂れ桜で燦然と輝くモルフォ蝶。
ジグの灰褐色と青の髪で咲いた薄紅の枝垂れ桜。
どちらも同じくらい綺麗だと、素直に思えた。
「神挿しの儀を終えたらね、妻が毎日夫の髪を結うのよ。──お父様とお母様もそうだった。二人が夫婦げんかした次の日は、お父様がとても可愛いらしくなってたの」
「けんかしてもちゃんと結ってはくれるんですね」
「すごかったわよ。お母様渾身の昇天ユニコーンmix盛り」
「それなんの呪文です?」
ジグは以前ブロスに紹介された男性陣が、妙に可愛い髪型だったのを思い出す。
それぞれの妻の力作だったのだと理解して、髪の手入れに力を入れる伴侶の気持ちが分かってしまった。
「明日からも私が結ってあげるから。髪にこだわりがなくても手入れはしなさいよ。……はい、これ」
サクヤがジグから身を離す。──名残惜しい。
そして、使っていた櫛をジグに押し付けた。
飴色の木の櫛で、表面には翼を広げて飛び立つカササギが彫り込まれている。
「今日まで時間があったでしょう? 手作りとはいかないけれど、私の挿し木から職人さんに依頼して作ってもらったの。べ、別に深い意味はないからね!」
櫛の響きは苦死にも通じるが、結婚相手に贈る時は苦労も死も伴にする、という意味を持つのだと、ジグは妻に櫛を贈ったブロスに教わっていた。サクヤが知らないはずがない。
「つげの櫛ほどじゃないけど、椿油に漬け込んで置いたから、これを使うと髪がサラサラになるわ。……呆けてないで裏も見てよ」
言われるがままに櫛を裏返す。
裏面には小さなカブトムシの焼き印が押されていた。両面とも、ジグの大切な友の姿。
「……ありがとうございます。一生大切にします。お墓にも入れてもらいます」
「ふふ。ずっと一緒ね」
その言葉に、なんとか耐えていたジグの涙腺は決壊する。
……サクヤを喜ばせるためのサプライズを企んでいたのに、カウンターを食らってしまった。
『今日はぼくのお話しを聞いていただきたく……』
「どうした? なにかあったのか?」
定例の活動報告で深刻そうなジグに告げられ、ガラードは身構える。
健啖魔王の情報は共有しており、現在対策を考え中だが、なにか問題が発生したのだろうか?
『ぼくの花嫁さんがとても尊いんです……』
可愛いらしい猫のぬいぐるみを胸に抱いたジグが声を絞り出す。
普通なら巫山戯ているのか、と怒る所だが……。
「わかるぞ。オレもリベルラと一緒にいると、尊い……しか言えなくなることがあるからな」
『わかってくれますか!』
惚気とはどこでも嫌がられるもの、聞いてくれる相手は貴重である。
ガラードはジグに便乗して自分も惚気ることにした。
『この髪を結ってくれたんですが、その時に櫛をいただいて……』
「イメチェンしたのかなーとは思ってたが、そうか良かったな、よく似合ってるぞ。オレはリベルラの髪をよく編ませてもらうんだ。リベルラの髪はとても綺麗だから、いつまでも触っていたい」
『すごいです! ぼくも練習してみようかな? ……髪型に詳しいなら、もしかして昇天ユニコーンmix盛りって知ってますか?』
ガラードは首を捻る。
「ユニコーンか……昇天ペガサスmix盛りなら知ってるぞ。もしかして花の国に伝わる時に変わったのかもな」
『それ、どんな髪型なんですか!?』
ジグが食いついて来たので、ガラードは画面に図解を表示する。
「角みたいに高く高く結い上げた髪に、派手な造花を盛るんだよ。あ、角みたいだからペガサスじゃなくてユニコーンになったのかもな。花の国には幻獣種が多いから、その辺厳格なんじゃないか?」
ガラードは真面目に考察するが、画像を見たジグは顔を猫のぬいぐるみで隠してプルプル震えているので、きっと笑いが止まらなくなっているのだろう。
「花の国に住んでから、ジグは表情豊かになったよな」
良いことだとガラードは思う。
しかし今回の活動報告はジグの腹筋が崩壊したため、早々にお開きとなった。