16.親愛なる友
「弱肉強食、国同士の争いが多い蟲人は、強者の当然の権利だ、とばかりに弱者を嬲り、略奪し蹂躙する者が多くいます。そんな屑に襲われて、貧民街の仲間達は皆死んでしまいました。特に女性は痛ましい目に合って……その」
サクヤの小さな手が、ジグの手を包みこむように握り返してくれる。
その手は冷たく小刻みに震えていて、怖がらせるつもりはなかったのに、とジグは申し訳なく思った。
ジグはかつての貧民街の惨状を思い出す。
女性の、とりわけ年若い少女の死体は、目を背けたくなるくらい酷いことになっていた。
……その中にはジグの仲間だった、子どもと言っていい年齢の少女達も含まれている。
「ぼくはそんな屑と同じになりたくないだけです。だからサクヤさんが気にすることはないんですよ」
フラッシュバックした悲しみと怒りで身を引き裂かれそうだったが、サクヤを安心させるために、ジグは精一杯の笑顔を浮かべる。
俯いていたサクヤが顔を上げ……ジグは思わず固まった。
震えとともにジグの怒りが伝播したかのように。サクヤもまた、怒っていた。
枝垂れ桜がざわめいて、薄紅の髪と絡まり合い、緩やかに広がりながら上昇する。怒髪衝天とはこのことか。
形の良い眉が吊り上がり……なによりもジグの惹かれた、サクヤの瞳が燃えている。目の眩むような桃色の眼光は恐ろしいまでに美しくて、苛烈だった。
「赦さない。ジグをこんなに悲しませて……そいつら全員、地獄に叩き落としてやる」
父親の危機に、持てる力を全て使って魔王に立ち向かって来たサクヤの勇姿を思い出す。
このサクヤという人は情が深いのだ。
ジグの過去を聞いて、自分のことのように怒ってくれる。
「さ、サクヤさん。ぼくが八歳の頃の、昔の話です。貧民街を襲った屑は王国に戦争を仕掛け、あっさり返り討ちにあって全員処刑されました。お家も取り潰しです。憎む相手は、もういませんから」
「……だとしても、いえ、憎む相手がもういないからこそ、余計に辛いじゃない」
サクヤがぐっと身を寄せてくる。
広がった枝垂れ桜の馥郁たる香りに包まれて、ジグの取り乱した心が次第に落ち着いていくのを感じた。
「本当は神挿しの儀は伴侶の方からなのだけど」
サクヤはジグの手を離すと、自身の花の最も咲き誇った枝を手折り、慈しむようにそっと口付ける。ぞくりとするほど美しく、扇情的な仕草だった。
「花人は、花びらの儀を受けた瞬間から、不特定多数に向けられていた甘い花の香りを、伴侶だけを癒す、心を解きほぐすものへと変化させる。ジグ。あなたのための枝垂れ桜よ。受け取ってちょうだい」
ジグの頭を優しく抱き寄せるサクヤ。
柔らかい頬を寄せ、ジグの背中に流した髪を労るように指で梳き、軽く纏めて枝垂れ桜の枝を簪代わりに挿した。
「髪も、きちんと結い直してあげるわ。ジグは戦いや魔法に関しての自己評価は高いのに、自分を卑下する言動が多いのが気になってた。あなたの心の傷はまだ癒えていないのね。……早くジグの心が癒されますように」
心地よい香りに、花びらを纏わせた薄紅の髪に包まれて、サクヤの優しさと慈愛を一心に受けたジグは、涙を流していた。
「やっぱり蝕呪の儀は私たちには早過ぎたみたい。私もなんでもいいからジグの好みや過去……あなたのことを知りたいの。お互いを知って、傷を癒して、一緒に成長してから蝕呪の儀に臨みましょう」
ジグがしたように、サクヤもまたジグの思いを受け止めてくれる。
お互いを思い合った結果なのだから、例え型破りでも、儀式の順番が前後しても、寛大な御神木は赦してくれるはずだ。
「ねえジグ。私は昨夜、ぬいぐるみ作りと蝶々が好きだと言ったわよね。猫のぬいぐるみにしたのは、猫の肉球が桜の花びらみたいで親近感が湧いて好きだから。……あなたの好きなものも教えてほしいな」
「ぼくはウィクトル、カササギはもちろん好きですが、甲虫も好きです。死んだ親友が、カブトムシの蟲人だったので……」
魔王城は、見た目や性能が製作者の性格、深層心理、想像力などに左右される。
ガラードにとっての蝶蜻蛉のように、思い出は封印されていても、ジグの中に親友は残ってくれていた。
親友の機体の中、目的地に到着するまでの間、ジグはサクヤと語り明かす。明るい未来に希望を抱きながら。
──サクヤさんに出逢えて、愛することが出来て。ぼくはなんて幸せ者なのでしょうか。
空の旅はやがて終わりを迎える。
ビートルから降りた二人は、サクヤの案内で大荒野にぽっかり空いた巨大洞穴、通称『常夜の闇』へ進む。
「ブックマーク:カテゴリ8:小範囲精霊魔法:光」
伴侶達が踏み締めてきた硬い地面は緩やかに地下へ降っており、眼前にはジグの喚び出した精霊の光も届かないほどの闇が広がっていた。
「大荒野の土は古代の呪いで汚染されているの。特に地中深くなればなるほど、瘴気は強いものになる。花人や、花人の種を植えこんだ伴侶以外、死体は大荒野に吸収されて骨すら残せず呪いの一部になるから、絶対に死なないでよね!」
それで心配して着いて来てくれたのかと、ジグは感動する。
サクヤはジグの左腕に力強く両手を絡ませて、漂う瘴気を睨みつけていた。
サクヤの枝垂れ桜に触れた瘴気は片っ端から浄化されているので、ジグを守っているつもりなのだろう。……尊いが過ぎる。
「ブックマーク:カテゴリ2:移動型結界魔法:舞い降りる幸運」
黒と青の対比が美しい蝶が周囲を飛び回り、ライトに照らされてキラキラと輝く黒と青の鱗粉が二人の周りを漂った。
サクヤは見惚れたように蝶の軌跡を視線で追う。そんなところも可愛い。
「ジグの魔法はどれも綺麗ね。でも、気を付けないと、灯りに惹かれた魔獣も出てくるかもしれない。その時は……」
サクヤは用意してきた背負子を降ろそうとして、違和感に気付く。
光に照らされた岩肌に、黒い滑っとしたものが蠢いた。
硬い殻に包まれた体は一抱えはあり、全長がジグ二人分はありそうなくらい長い。無数の脚が、闇の中でざわめいている。
「大百足ですか。牙に猛毒がありますね。しかも下手に傷付ければ体液を介して仲間を呼び寄せます。結界内にいれば大丈夫ですが、念のため、サクヤさんはぼくから離れないでください」
ジグはサクヤの肩を抱き寄せると、青い光とともにハンマーを取り出し、その石突き部分で、地面を軽く小突いた。
本当に軽く、振動もなにもない。しかし、ビリビリとした波動がジグを中心に放たれる。
「平伏」
ジグの短い言葉、否、単語に従うように、攻撃能力は高いが知能は低いオオムカデが音を立てて地面に落ちた。心なしか、体も脚も小刻みに震えている。
「退却」
ジグが闇へと人差し指を向ける。
うぞうぞと脚を動かし、体の構造的に後退できないはずのオオムカデが、無理をしたせいか変な音を立てながら後ずさり、ジグが示した横穴の闇へと消えて行った……。
「嘘みたい……どんな魔法を使ったの?」
「魔法は使ってないです。魔法になる以前の魔力に、『絶対にお前を殺す』という殺意の波動をこめてぶつけました。これで大概の雑魚は退きますよ。生活の知恵というやつですね」
「そんな物騒なことを、よくまあお婆ちゃんのマメ知識みたいに言うわね? あと普通の人には絶対に真似出来ないから」
サクヤはなんとも言えない顔になる。
「ところでサクヤさんは、何を取り出そうとしていたんですか?」
「分かってたのに強行したの? ……林檎や桃の花人が育てた果実よ。これを食べた大荒野の魔獣は内側から瘴気が浄化されて大人しくなるし、花人に対しては友好的になるの。花の国ならではの、共存の秘訣ね」
「なるほど、これぞまさに生活の知恵ですね! 平和な解決策を用意しているなんて、サクヤさんは本当にお優しい方です」
「ジグには全くもって必要なかったけどね。そんなことより、早く先を進みましょう」
オオムカデは去っても、寄り添ったまま探索を続けるサクヤとジグ。
空気を読んだのか、ジグに恐れをなしたのか、これ以降、敵と遭遇することは一切なかった。
オオムカデ「あかん。ヤベー奴や。逃げよ。仲間たちにも近付かんよう言っとこ」
現実のムカデの体液は仲間を呼ぶ、は俗説。
でも大荒野産オオムカデは呼ぶ。