15.チョウ魔王ジグ
翌日。
懸念だったブロスの許可もあっさり下りて、サクヤはジグと大荒野に行けることになった。
ウィクトルも誘ってみたが、『デートに同行するほど野暮じゃない』と尾羽を振って断られたので、本当に二人きりである。
「こちらがぼくの魔王城、『親愛なる友』です」
広々した庭にデンと構えるのは、雄の甲虫を模した黒い機体。
脚に相当する部位はなく、底の部分から青い光を放ち、わずかに空中に浮いている。
サクヤは使ったことはないが、四人乗りの辻馬車ぐらいの大きさだろうか。
「魔王城って移動要塞なのよね。こんなに小さいものなの?」
「正確にはこの『ビートル』は、ぼくの魔王城の一部分を切り取って再構築したもので、本体は異次元空間に収納してあります。ぼくは空間魔法を極めた魔王なのですが、魔王城内の拡張した空間や亜空間が花人にどのような影響を与えるか未知数なので、万が一にもサクヤさんが枯れることがないよう、調整している所です」
「昨日から思ってたけど……やっぱりジグはすごいのね。さすが『次元魔王』だわ」
無邪気なサクヤの不意打ちの一言で、ジグは何度目かの膝をついた。
その顔は苦痛に、羞恥に耐えるように眉間に皺を寄せている。
「ちょっと、急にどうしたの!?」
「お恥ずかしい。その呼び方は、ぼくにとって黒歴史なもので……」
「でもお父様から、ジグは堂々と名乗りを上げて、並の魔法使いとは『次元』が違うとまで言い放った、と聞いてたけど……」
「師匠!! なんでサクヤさんにバラすんですか!?」
ジグは母屋に向かって叫んだが、返答はない。ただブロスが笑っている気配はひしひし伝わってきた。
「お父様は人をおちょくるの好きだから。でも、そんなに嫌なのになんで名乗ってたの?」
……そういえば王様が考えた通称だと言っていたっけ、とサクヤは思い出す。
花の国には宮仕えの過酷さに耐えかねて大荒野に逃亡、そのまま流れ着いた研究職もいるぐらいだ。
その研究者は運命の花人と結ばれて尚トラウマが癒えないようで、ブラックな国なんて滅んでしまえ!! とよく大荒野に向かって叫んでいる。
サクヤは同情して、地面に膝をついたままのジグの肩を優しく叩いた。
「新しい呼び名を考えたらいいじゃない。もうジグは王様の部下じゃない。好きに名乗っても誰も咎めないわよ」
「……例えば、サクヤさんならなんと名付けますか?」
「そうねぇ。そのまんまだけど、『チョウ魔王』かな」
サクヤは自身の枝を用いて、地面に三つの単語を刻む。
「ジグは『蝶』でしょう。あなたに欠かせない、相棒のウィクトルは『鳥』、そこにとびきりの、という意味の『超』を掛けた洒落、掛詞よ」
「ぼくはたった今からチョウ魔王ジグです」
「即決!? ただの思いつきだけどいいの?」
「次元魔王よりも、これ以上なくぼくのことを現していると思います。……おかげで元気が出ました。エスコートさせてください」
立ち直ったジグは軽く砂を払い、サクヤの手を取り、ビートルの内部へ案内する。
羽の扉が開くと、見た目よりも広い空間には『玉座』と呼ばれる無機質な操縦席と、サクヤのための席が並んでいた。
ジグに手を引かれてサクヤが着席すると、すかさず飲み物や軽食が提供される。
……至れり尽くせりね。
横目で盗み見れば、ジグもまた慣れた仕草で玉座に座っていた。
自然に足を組み、手元に青く光輝く魔法陣を展開すると、ジグの青灰の瞳には黄金の蝶が宿る。
至ってラフな普段着姿でも、隠しきれない魔王の威厳と風格があった。
サクヤに向ける好意を全開にした笑顔との格差に、ドキリと胸が高鳴る。
特別な一輪にキスをされた時から、ジグを愛するしかなかったサクヤ。
しかし、負傷した父をぞんざいに肩に担いだ魔王の姿を生で見た時に、湧いてきた怒りを忘れられずにいた。
──どんな手を使っても、大荒野の肥やしにしてやるって思ってたのにね。
ジグが晴れやかな笑顔でモルフォブルーの髪を広げた瞬間、綺麗ねと、心の声が零れていた。
サクヤに愛を告げる情熱家の一面。
先達に頭を下げて敬意を払う後ろ姿。
ウィクトルと穏やかに触れ合うところ。
サクヤの豚汁を食べて流した涙。
ハンカチを大切そうに握り締める切ない瞳。
……ジグとブロスの秘かな会話の内容も、実はサクヤは知っている。
戦闘狂らしい暴虐な振る舞いをした『次元魔王グリモ・ワール』と、優しいジグがどうしても結びつかず、もっとジグのことを知りたいと思っていた。
「それでは出発します。サクヤさんは高い所は大丈夫ですか?」
「平気よ。可能なら空からの景色を見てみたいぐらいだわ」
「わかりました。空の旅をお楽しみください」
ジグが指を鳴らすと周囲の壁が透明に変わり、360度、外の全景を映し出す。
「本当にジグはなんでも出来るのね……」
呆れるやら、感心するやらだ。
ビートルはそのまま垂直に浮上してから横移動を始めた。結構速度が出ているのにサクヤの体に圧は感じず、静かに、滑るようになめらかに大空を駆ける。
わあ、とサクヤの口から感嘆の声が漏れる。
サクヤの母が眠る扇形に広がった森は、上空から見ると巨大な花束みたいだった。
家屋の瓦は黄金を散りばめたように輝き、網目状に張り巡らされた水路や遥か海へと流れる大河は空の色を反射し、さながら水色のリボンだ。
中央の湖は神聖な鏡と化して、エメラルドのように輝く神々しい御神木の御姿を映し取っている。
まるで楽園、美しく豊かな花の国が一望出来る絶景だった。
「綺麗だわ」
食い入るように下界を見つめる、サクヤの桃色の瞳も煌めいていた。
しばらく無心で眺めていたサクヤだったが、 生命で満ち溢れた国が遠く流れて、変わりに荒れ果てた大地が映るようになると、表情が暗くなる。
──戦時下、奴隷として国を連れ出された同胞達も空からこの荒涼な大地を見下ろしたのかしら。
焼けた花の国を遠く見送り、枯れるしかない未来に絶望しながら……。
「……ジグ。あなたに話しておきたいことがあるの。花の国に、花人に伝わる戒めの話。ミサキの悲劇について」
サクヤとミサキでは状況が違う。
だけど、もう言わずにはいられなかった。
ジグの返事も待たずに衝動のままに語り出す。
「百年前の戦争の時代。美咲という名の、妹思いの血蜜柑の花人がいたわ。彼女は若い芽と蕾を庇って囮になり、貴族達に捕まって陵辱された後、兵士の一人に奴隷として下げ渡されたの」
ジグの息を飲む気配が伝わって来た。
侵略者だった身としては思う所があるのかもしれない。……でも、ジグは取り返しがつかないことは、していないのだ。
「ミサキにとって幸か不幸か、その下げ渡された兵士こそが彼女の運命の伴侶だった。二人の間になにがあったかはわからない。けれどミサキは愛と憎悪の間で苦しんでいたのだと思う。──兵士が拒んだのかミサキの意思かは不明だけど、蝕呪の儀を行わなかった」
ジグは言い伝えの蜂の兵士とは違い、すぐに王国よりも花の国を……サクヤを選んでくれたのに。
サクヤは遠く小さくなった森を指し示す。
「ミサキの遺体は引き返した兵士の手によって、鎮呪の森に還された……今もその根に伴侶の骨を抱えながら、たった一本で白い花を咲かせている。同じ木になれないのは、花を咲かせられないのは、花人にとっても伴侶にとっても最大の悲劇。だから戦争の象徴として繰り返してはいけないと、ずっと語り継がれているわ……」
いつもサクヤに求婚、というか勝負を仕掛ける幼なじみは、ギラついた欲望を向けてきて苦手だった。
逆にジグは紳士的で、サクヤのために蝕呪の儀を待つと言ってくれた。
同じ寝床の中でも指一本触れず、配慮してくれる。
……ジグに残酷な仕打ちをしていると、サクヤには自覚があった。
蝕呪の儀が重要なものだと歴史をふり返ればわかるのに、それでもジグを受け入れなかったのは、ただのサクヤの我が儘だ。
「お父様は儀式をなんてことのないように語るけれど、特に蝕呪の儀が伴侶にとってどれだけ大切か、お母様と受けた儀式の数々にどれだけ心を救われたのか、お母様が生きていた時に話してくれたことが、あったの」
苦しさを抑えきれず、桜色の着物の胸元をぎゅっと握り締める。
「ごめんなさい、ジグ。私が望んだことは、非難されても仕方ないことなのに。あなたの優しさに甘えてしまった……」
他にも理由はあるが、こんな乱れた心のまま、ジグを大荒野に見送ることが出来なくて、サクヤは同行を申し出たのだ。
「……力を抜いてください。そんなに強く掴んでは、折角のお召し物が皺になってしまいます」
自動操縦にでもしたのだろうか、魔法陣がジグの手を離れる。
玉座から立ち上がったジグはサクヤの前に跪くと両手を取って、見つめ合った。
「サクヤさん。ぼくは嫌がる女性に手を出す屑は骨も残さず殲滅して然るべきだと思っています」
「は、発想が過激……」
穏やかな笑顔のジグだったが、その目は笑っていなかった。
「弱肉強食、国同士の争いが多い蟲人は、強者の当然の権利だ、とばかりに弱者を嬲り、略奪し蹂躙する者が多くいます。……そんな屑に襲われて、貧民街の仲間達は皆死んでしまいました。特に女性は痛ましい目に合って……その」
ジグの手から、怒りが震えとなって伝わってくる。
──なんて悲しい怒りなの。
サクヤはこの時初めて、自分からジグの手を握り返した。
「二人で大荒野に石採りに行く? 別に良いんじゃないかのう」
「だから、儀式ってそんなに緩くていいんですか?」
「ジグも、サクヤの足になりたいと言っておったじゃろ。それが初デートで、しかも一生ものの宝石探し。ロマンチックじゃのう。忘れられない二人の思い出になりそうじゃな」
「は、初デート……! サクヤさんに楽しんで貰えるよう、尽力します」
「盛り上がった勢いで蝕呪の儀も済ませて来て良いぞ?」
「……お父様!!」
真っ赤になった娘に窘められるブロス。ただし、反省の色はない。
「冗談じゃ。ジグならなんの心配もないわい。サクヤ、気を付けてな」
軽口ばかりだが、ブロスはサクヤとジグ、二人ともに幸せになってほしいと思っている。
「……行ってしまったのう。なあ、ウィクトル。サクヤは強情っぱりじゃし、ジグは抱えこむ性格じゃ。複雑な事情もあって、サクヤも、ジグも、……わしも、まだ話せない秘密を抱えておるしな。でもわしはな、あの二人は出逢うべくして出逢ったのじゃと思うておる。二人は結ばれる運命じゃと。サクヤ達がいつまでも笑っておられるよう、わしに出来ることはなんでもしてやりたいのじゃ……」
「カチっ!」
「ウィクトル、お主も同じ気持ちか。なんじゃ、お主も出かけるのか。気を付けるのじゃぞ」
「カチー」
行ってきます、とでも言うように旋回し、ウィクトルは御神木の方へと飛び立って行った。