11.師匠と弟子、干しきのこは家庭の味
「あ、師匠。おはようございます」
「わし、いつの間に師匠になったんじゃ? お主はわしより遥かに強いじゃろがい」
夜明けの一番鶏が鳴く頃。
朝食の仕込みのために起き出したブロスと、二階に続く階段から降りて来たジグは、玄関付近でばったり遭遇する。
「サクヤさんとお話をした結果、お父様みたいな男性が好みということだったので。色々教えを請う立場ですし、そういった面でのぼくの師匠になってください」
「別に構わんが……起きてくるの早過ぎんか? 後朝のやり取りも蝕呪の儀の醍醐味じゃぞ?」
ブロスの疑問に、ジグは自嘲の笑みを浮かべる。
「儀式以前に、手を出していませんので」
「本気で言っておったのか!? ……ナニがとは言わんが、お主、ちゃんとついてるよな?」
「それ、言ったも同然ですよ? というか、ぼくの主義と自業自得も多分にありますが、主な原因は師匠ですからね!」
ジグの恨みのこもったジト目に、ブロスは小首を傾げた。見た目は全然似ていないが、こういう仕草は少しサクヤに似ている。
ジグの掻い摘まんだ説明を聞きながら、なるほどなぁ、とブロスは唸った。
「確かにサツキに先立たれた時のわしは抜け殻じゃった。でも後を追おうとは微塵も思わなんだぞ。じゃが、わしもちょっと小粋な年寄りトークで死ぬ死ぬ言い過ぎておったかもしれん。サクヤにもジグにも悪いことをしたのう。改めねばな」
小粋な年寄りトークって、とジグの顔が引き攣った。……ブロスも反省はしているのだ。多分。
「しかしお主もそんな据え膳が空腹にダイレクトアタックかまして来た状況で、よく耐えたな」
ジグはなにかを悟ったような、澄みきった瞳でブロスを見据えた。
「なんならサクヤさんを安心させるため、最終的に一つの寝床で、互いの熱、吐息を感じられる距離で、大変無防備で愛くるしい寝顔を見せつけられながら、今の今まで横になって来ましたよ。一睡も出来てませんが」
なんという鉄壁の理性。
さすがは魔王にまで登りつめた男、覚悟が違うとブロスは感服する。
「それにしても、我が娘ながら残酷な真似をするのう……」
「いえ、確かに生殺しでしたが、添い寝ぐらいなら別に……」
「それもあるが、違う」
ブロスは渋い顔でジグの言葉を遮った。
「蝕呪の儀のことじゃ。わしを含めて、外の世界から来た花人に惹かれる男共は、高い能力と引き換えに心が欠けたような、穴が空いたような連中ばかりじゃ。花人の特別な種はそんな心の欠損を埋めてくれる、精神安定剤の役割も果たしておる。──わしも、そうじゃったからな。ジグの心はまだ満たされておらんじゃろ?」
……それになにも知らないジグと違い、サクヤは百年前の戦争で起こった、“ミサキの悲劇”を知っているのだが。
ブロスの問いにジグは首を振る。
「いいえ。いずれ貰えるご褒美を思えば、ぼくの心は渇きに耐えられます。死後もサクヤさんの側にいられる、同じ花を戴くことができる。その事実だけで、ぼくは満ち足りてますよ」
瞳に見え隠れする色は、陶酔と、崇拝、狂愛、依存。ジグもやはり厄介な男だとブロスは認識を改めた。
──娘夫婦が心配過ぎて、当分妻の所には行けそうにないわい。
「まあいい。マメのストックがちょうど切れとるから夜明けの珈琲とはいかんが、目覚ましに緑茶ぐらい入れてやろう。居間に行くぞ」
「ありがとうございます。花の国にも珈琲を飲む習慣があるんですね」
「珈琲の花を咲かせる花人もおるからな」
「そうなんですか!?」
「冗談じゃ」
「……そんな風に流れるように冗談を言うからサクヤさんも小粋な老人トークを信じちゃうんですよ! 責任取ってください」
ブロスのお茶目もあるが、サクヤもジグも反応が素直すぎて、ついつい出任せを口にしてしまう。若者は反応が速くて楽しい。
「すまんすまん。ではついでに我が家の味を、朝食の仕込み方を教えてやろうか。サクヤも昨日は色々あって疲れておるじゃろ。家事の分担、臨機応変な対応は夫婦生活に欠かせぬ気遣いじゃぞ。ジグ、料理は出来るか?」
「切って炒める、煮こむ、具材をパンに挟む、ぐらいなら……」
「基本は出来るようじゃな」
「……嘘は教えないでくださいね」
「すっかり警戒されたのう……」
最終的にウィクトルも加えて、二人と一羽で飲んだお茶はなかなか美味しかった。
茶飲み休憩の後、居間に面した厨。
「昨日の風呂でも教えたが、水洞竹が吸い上げた水は水洞を通して使える。こっちの蛇口を捻れば水が、切り替えればお湯が出る。しっかり手を洗ってから料理をするのじゃぞ」
「いつでも綺麗な水が使えるって、便利ですね。貧民街では澄んだ水なんてお目にかかれませんでした」
「……」
ブロスは無言でジグに予備のエプロンを渡すと、気持ちを切り替えて米の炊き方と出汁の取り方、花の国料理の基本を教え始める。
昨日の豚汁でも使っていたが、都では干し茸出汁が主流だ。
各家庭の花人と同じ種類の花木を原木にして菌糸を植えつけ、育ったきのこがその家庭の味になる、という訳だ。
「育つ花木によってきのこの味が変わることから、花人にちなんで佳人茸というんじゃ」
「粋な名前ですね。花の国は神饌の儀の時といい、言葉遊びが多くて面白いです」
「ちなみに、別名は八方美人茸」
「それはさすがに冗談ですよね?」
「ほう。流れが読めてきたな。さすがは魔王、学習能力が高いのう」
「こんなことで褒められても嬉しくないのですが……」
「……なんか漫才みたいなやり取りしてる?」
朝の沐浴を済ませたサクヤが二階から降りてきた途端に、ジグは顔を輝かせる。
「おはようございます、サクヤさん。良い朝ですね!」
「おはようサクヤ。疲れとるなら、まだ眠っとっていいぞ」
「カチっ」
「おはようお父様、大丈夫よ。おはようウィクトル。……それに、ジグも、おはよう……」
昨夜のこともあり、気まずそうで声も小さいが、ちゃんと挨拶はするサクヤ。
そんなところが可愛いと内心悶えているが、表面には出さないでニコニコしているジグ。
そんな二人の関係性を察して、蝕呪の儀までまだかかりそうだと遠い目をするブロス。
ウィクトルだけが元気にカチカチ鳴いていた。
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朝食後。
「そうだ、サクヤさん。ぼくブロスさんに師匠になってもらいました」
「まさか、昨日の今日で? 相変わらず行動が迅速ね……」
「うむ。早速だが弟子よ。サクヤはしばらく出歩けぬから、今日はわしが買い物がてら花の都の文化について教授してやろう。この国の物流や貨幣制度、次の儀式である“神挿しの儀”についても説明せねばならんからな」
ブロスのわざとらしい言い方よりも、内容にジグは眉を潜めた。
「出歩けないって、サクヤさんお体でも悪いのですか?」
「ち、違うわよ。蝕呪の儀の後は、花人はしばらく体を休める習わしになってるの。その、蝕呪は、初夜……本来は体を使う儀式で、新婚だから……花嫁が翌日に出歩いてたら、人目を引いちゃうでしょ!」
湯気が出そうなくらい顔を真っ赤にするサクヤ。つられてジグも赤面する。
「だ、だから、今日は掃除に撤して、ジグの部屋を用意しておくわ。いつまでも私の部屋で寝る訳には行かないでしょうし」
「ありがとうございます」
寝られてませんけど、とは言わない。
「サクヤさんに迷惑かけるようだったら、ぼくには……」
いざとなれば魔王城もあるので大丈夫ですよ、と喉まで出かけた返事は。
「ジグはもう家族の一員なのに客間じゃ悪いから、私の部屋の隣でいい? 私の部屋とは襖で仕切られただけの、なにもないけど広い部屋よ」
サクヤのジグを家族の一員と認める言葉、隣の部屋という近い距離感がとても嬉しくて、胸に仕舞いこむ。
「はい、是非そこでよろしくお願いします!!」
「やっぱりお主、ちょろ過ぎんか?」
「自身の欲に忠実なのが魔王なので」
しっかり行間を読んでいたブロスに突っ込まれたが、いけしゃあしゃあとジグはのたまった。開き直ったとも言う。
「決定ね。お父様、お昼ご飯はどうする? なにか作っておく?」
「いや。時間がかかりそうじゃしの、昼飯は案内と勉強も兼ねて飯処に行く。晩飯の支度は任せてよいかのう?」
「わかったわ。……ジグ。これは、あくまで、参考のために聞くのだけど、ウィクトル……と、あなたは、なにか好き嫌いとか、アレルギーみたいな食べられないものはあるのかしら?」
「特にアレルギーはないし、ぼくもウィクトルもなんでも食べますよ。特にウィクトルは鶏肉が好きですね」
「カチ」
「鳥なのに!? いいのそれ……ま、まあ、花人も野菜や果物を食べるし、そういう感覚なら……?」
「蟲人も蜂の子とかゾウムシの幼虫とか、食べられる虫は食べますよ。貴重なたんぱく質でした」
「……ジグは虫が好きなの?」
「生きるために食べてただけで、好きだった訳じゃないですね」
ジグは自身の好物を思い浮かべた。
花の国に来るまでは食事に一切興味がなかったが、今なら胸を張って言える。
「ぼくはサクヤさんの作った豚汁が大好きです。毎日でも食べたいです!」
はにかんだ笑顔で答えたジグに、サクヤはぐっと胸を押さえた。
「っ!! 馬鹿ね。毎日だと飽きちゃうでしょう。ほ、他にはないの?」
「そうですね、師匠の作ったおにぎりとお漬物も好きです」
「わしの? そうか、気に入ったか」
「はい。特にお漬物が本当に美味しかったです。今度作り方を教えてください」
ブロスに対してもジグは屈託なく笑った。
初々しいやり取りを見守っていたブロスにも、流れ弾が飛んで来るとは思わなかったらしい。
「……ジグ。お主、意外と天然でたらしじゃのう」
ブロスはしみじみ呟く。
サクヤも赤い顔で肯いた。わかっていないのは、ジグだけだった。




