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10.蝕呪の儀

 “蝕呪の儀”は花人にとって、極めて重要な儀式だ。


 仮に花びらの儀を婚約式とするなら、蝕呪の儀は初夜であり結婚式。

 花嫁は最も美しく着飾って伴侶を出迎える。


 今宵、サクヤが選んだのは婚礼衣装というより、死装束のような純白の夜着。髪も結いもせずさらりと肩から流すだけ。

 サクヤのすべらかな真珠の肌に白粉おしろいは不要、唇にのみ濃い紅を差して。

 簡素な装いで飾りもないのに、いや、シンプルだからこそ、満開の枝垂れ桜とサクヤの美貌を際立たせていた。


 サクヤのあまりの美しさと、溢れんばかりの色香と、『伴侶』の心が休まるように調香された花の香り。

 それら全てにすっかりあてられたジグは、魂を抜かれたかのように動けなくなってしまった。


「……どうぞこちらへいらして?」 


 さらに駄目押しの、出逢いを再現するかのような声かけで胸を押さえて前のめりになったジグを、サクヤの枝垂れ桜が絡め取る。


「……えっ」


 あっけなく引きずり込まれたジグを、ストローマットに敷かれた花のしとねへと押し倒すと、そのままサクヤは動きを封じるべく、鍛えられた腹筋の上に跨がった。


「……っサクヤさん、この体勢は、ちょっと……!!」


 とどめに、顔を茹で蛸のように真っ赤にしたジグの唇にそっと指を当てて静かにするよう示せば、文字通りマウントを取ることに成功である。


 桜模様の和紙を透過した桃色の灯りに照らされたサクヤは、下から見上げる構図ですら美しい。豊かな胸部の影がジグの体の上に落ち、折れそうに細い腰がすぐにでも触れられそうな位置にある。

 ……こんな状況で、ジグに勝ち目などあるはずがなかった。


「ねぇ、ジグ。花人は不老長寿の一族なの。それが花にキスをされただけで、長い命を捨てて相手の男と同じ時を生きるようになる。喜んで体を差し出して、子を産み育て、伴侶だけを愛し、死ぬまで尽くすのが花人という種族よ。男にとってはとても都合の良い生態よね──なぜだと思う?」


 ジグの体の上で優しく語りかけるサクヤ。

 その頭からひらりと花びらが舞う。

 寝台のように見えていたのは、積み重なり、敷き詰め固められたサクヤの花びらで、これは比喩ではなく本当に花の褥、サクヤがジグのために用意した特別な寝床なのだ。


「花人はね、死んで終わりじゃないの。死んでから本領を発揮するのよ。……大荒野に埋葬された花人の死体は、痩せた大地の滋養となり、穢れた土を地中深くから清め、根を伸ばして瘴気を吸い上げ、浄化の花を咲かせる花木になる。そうやって形成されたのが、花の国の大半を占める“鎮呪の森”なの。花を、森を、国を広げて、いずれは大荒野を、荒廃した死の土地から生命の息づく大地へと復活させる。それが花人に課せられた命題。私達はこの身を以て大荒野を緑化し、呪いを食い止めるために産まれた種族なのよ」


 そこでサクヤはジグの着流しの前をはだけ、筋肉と古傷でゴツゴツした素肌をなぞり、心臓の位置へと指を這わせた。

 うひゃあ、とジグが変な声を上げたが、聞こえないふりをして続ける。


「花人は想い合う男と肌を重ねた時に、生涯で一度だけ特別な種を作り出せる。その種を、あなたの心臓ここに植えこむ──それこそが、“蝕呪の儀”よ」


 サクヤの赤い唇が蠱惑的な笑みを形作る。


「一種の寄生ね。ふふっ、冬虫夏草みたい。種はあなたの心臓と溶け合い、一つになって、死後に肉体を突き破って花を芽吹かせる。私と同じ、枝垂れ桜をね。私の心を、純潔を、人生を捧げる代わりに、あなたは私と一緒に浄化装置(花の国)の一部に組みこまれる。……大荒野は広大よ。その浄化なんて、終わりのないサイクルだわ。蝕呪の名の通り、これは呪いの儀式よ。自由に空を舞う蝶々のあなたが、冷たい土の中、私の隣に永遠に縛りつけられる……考え直すなら今のうちだから。逃げるなら、まだ間に合うわよ?」

 

 精一杯の怖い声で語り終えたサクヤ。

 恐る恐る様子をうかがうと、ジグはサクヤの下で──笑っていた。

 子どものように無垢に目を輝かせ、頬は上気している。それでいてどこか艶めいた、恍惚の表情。


「……最高です。これほどの幸運がありますか?」


 ジグはサクヤの長い薄紅の髪を、枝垂れ桜ごと掬い取ると恭しく口付けた。


「死んでからもあなたの側にいられるなんて。ぼくなんかが、この美しい枝垂れ桜を咲かせることができるなんて! 素晴らしい……なんという悦び。サクヤさん、愛しています。ぼくの方こそ、心も、体も、血の一滴、髪の一本さえサクヤさんのものです。あなたが望むなら心臓も、魂だって捧げるでしょう。……だから」


 そこでジグは一転して、切なそうにサクヤを見上げて、懐に忍ばせていた桜色のハンカチを差し出す。


「サクヤさん、お願いします。泣かないでください……」


 ジグの本心からの言葉を、激しい愛をぶつけられて。

 サクヤは花びらのようにはらはらと涙をこぼす。……嬉しい。だけど、苦しい。愛おしい。


「……やめて。優しくしないで。私の心はぐっちゃぐちゃなのよ……」


 ──ジグが好きだ。心から愛してる。だけど、どうしても素直になれないの!!

 サクヤの心は悲鳴を上げていた。


*******


 ジグは途轍もない歓喜に打ち震えていた。

 花人にとっての神は御神木だが、ジグにとっての神にも等しい存在はサクヤだから。

 暗い土の下だろうが、サクヤがいるならそこは天国だ。来世もいらない。


 ──奪われて、泣くばかりの人生だった。


 たった一人でジグを育ててくれた母は、無理が祟って体を壊し、病に罹り、まだ幼いジグを残してこの世を去った。

 母亡き後、貧民街で出会い、身を寄せ合って生きた親友は、仲間たちは、貴族の気まぐれで殺された(・・・・)


 友を殺した憎い貴族は、ジグが手をかける間もなく戦争で無残に散り、家は取り潰されたと聞く。

 大切なもの全てを無くし、仇すら消えた後、ウィクトルと出会って、それなりに暮らしていたが、自分がユニークスキルに目覚めた時には驚いた。

 何故、もっと早く……と涙が止まらなくなった。

 虚しさから一時的に空っぽになったところをつけこまれ、思い出と名前すら封印されて、自覚なく利用される兵器まおうとなった日々。


 そんな地獄を、打ち破ってくれたのがサクヤだった。


 花を美しいと思う、を思い出させてくれた。本名を、大切な思い出を取り戻してくれた。悪夢を終わらせてくれた。花人の本能とはいえ、こんな、なにもないジグを愛してくれた。温かい手料理や、涙を拭うハンカチをくれた。尊敬できる義父……家族までついてきたのは嬉しい誤算で。


 ──戦いを楽しみ、王国の手先となって喜んで手を汚して来たジグに、意味のある死まで与えてくれる。そんなの、ご褒美でしかない。


「泣かないで。ゆっくりでいいので、事情を話してください。ぼくはあなたのことをもっと知りたいと言いましたよね。ちゃんと向かい合ってお話をしましょう?」

 

 ジグはサクヤをなだめるように優しく声をかけた。

 サクヤは少し考えてから肯くと、ジグの体から下りた。……色んな意味で危なかったので胸の内で安堵する。

 ジグは体を起こすと、花の褥ではなく畳に座ってサクヤが話し始めるのを待つ。


「……二年前、お母様が亡くなったの。もっと一緒にいられると思ってたのに、急な病だって言われたけど、信じられなくて。私も泣いたけど、お父様の方がいっぱい泣いて、一気に年を取ったみたいだった。弱って、もう年だから死んでもいいなんて言うようになって……そのままお母様の後を追うんじゃないかって、怖かった」


 サクヤはジグの視線から逃げるように、両手で顔を覆う。


「ジグ。私もあなたが好きよ。あなたの愛の言葉に、本当はすぐにでも応えたかった。……でも、お父様の怪我をした姿が、今にも死んでしまいそうな傷がまぶたから離れなくて、まだあなたを赦せない気持ちも、残ってる」

「……それだけのことをぼくはやらかしました。当然です」


 サクヤはジグの言葉に、嫌々するように首を振った。


「私の中の天秤は、それでもあなたを愛する方に傾いている。応えられない理由はそれだけじゃないの。サムさん……鰥衆の人がジグに言った言葉を覚えてる?」


 思い当たる人物、言葉がある。


「えぇと、いつでも死んでいいと思ってた、ぼくの攻撃で、先立たれた奥様に会われた方ですよね。娘さんははまだ未婚、孫の顔も見てないのに早く来すぎだと怒られたと……なるほど」

「私が誰かと結ばれたら。子どもが出来たら。お父様は満足してお母様のところに行ってしまうんじゃないかって、花が咲いた時からずっと怯えてたの。だから、どんな求婚者おとこに望まれても断ってきたわ」


 ここで、わっと顔を伏せて泣くサクヤ。

 さっきまでの背伸びした色っぽさは消えて、年相応の少女にしか見えなかった。……やっぱり、サクヤはまだ子どもなのだとジグは再認識する。


「私、お父様には長生きしてほしい、お母様の分も側にいてほしいと思ってる。だから花びらの儀を受けたのに、この身を差し出して尽くさないといけないのに、愛し……好きなのに…………ジグにいっぱい酷い態度を取ってきたわ。ごめんなさい。皮肉ばっかりで、ジグも嫌な気持ちになったでしょう?」


 ジグはカササギが豆鉄砲を食らったような顔でサクヤを凝視した。


「……え? 嫌な気持ちになるどころか、可愛いらしいツンデレで、むしろありがとうございますって思ってましたけど」

「……え?」


 きょとんとするサクヤにはツンデレの自覚がなかった。それどころか、嫌みな自分に自己嫌悪さえ抱いていたという。


 ……サクヤさんが可愛い過ぎて、心臓に悪いです。


 気を取り直してジグは表情を引き締めると、サクヤの小さくて温かい手を包みこむように握る。


「サクヤさん。何度も言うようにぼくはあなたを愛しています。そしてあなたを育ててくれた、ブロスさんのことも尊敬してるんです。……出逢って、まだ一日も経ってないのに初夜は、蝕呪の儀は早過ぎたと思いませんか? お互いに相手のことを、好みや趣味を知るところから──お友達から始めましょう」

「……いいの? 私、まだ自分の気持ちに素直になれないよ」

「ツンデレのサクヤはさんは愛らしいので全然ありです。……あなたが良いと言うまで、ぼくは手を出しません。いつまでも待ちますよ」


 おどけたジグの言い方に、サクヤは花がほころぶように笑う。

 ようやくサクヤの自然な笑顔を見ることができたと、ジグは内心喜んだ。


 ──今はともかく。この笑顔も、あなたの心も体も、いずれはぼくだけのものにしてみせますが。


「ただ、ぼくもサクヤさんに早く素直になって貰えるように努力はしますので。あなたの理想の男性はどんな方ですか?」


 ここでジグとサクヤの間に認識の違いが生じる。


 基本的に受動的な花人に理想のタイプなど存在しない。

 花びらの儀を受けた、特別な花にキスした男を問答無用で愛する運命なので、好みなどは考える余地もないからだ。

 しかし内面が未熟こどもなサクヤは、よく理解しないままに、身近な異性を告げた。


「……お父様みたいなひと? かしら?」

「わかりました」


 翌日から。ジグは生まれたてのひよこのようにブロスに付き従い、周囲を困惑させるのだが……それはまた別の話である。


 

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