9.ジグの帰る場所。おにぎりと豚汁、漬物を添えて
「いただきます」
作ってくれたサクヤ達と食材に感謝して、まずジグは豚汁を啜る。
出来たても美味しかったが、時間が経ったことで具材には味が染み、汁は旨味が増している。
続けて塩むすびを頬張った。
シンプルな味付けで食べ応えがある。
塩がほんのり温かいご飯の甘みを引き出して、豚汁の余韻とも合う。
漬物を齧る。ポリポリとした食感が好きだ。ご飯と食べると、より美味しく感じた。
熱いお茶は香ばしい風味で後味が良い。
かすかな苦みは料理の邪魔をせず、むしろ引き立ててくれて、知らず溜まっていた精神的な疲労が一掃されるようだ。
竹の皮に残った米粒は、ウィクトルが欲しそうだったので指で掬って食べさせてあげた。
魔王の称号を得たばかりの頃、お披露目という名目で贅を凝らした晩餐を振る舞われたことが、一度だけある。
王の長い自慢話の中食べた、冷めきった料理の味はろくに覚えていないが……今日の食事は一生忘れないだろうな、とジグは思った。
「ご馳走様でした」
温かい気持ちで食事を終え、一息ついた頃合いで、ジグはあの後ガラード達と打ち合わせたことを簡略に報告する。
ガラードとはこれからも通信での活動報告をする予定だ。
「淫欲魔王も裏切りました。今後は王国に潜伏して内部から崩壊させると意気込んでいらっしゃいます。ぼくも手始めに王城に施していた防衛設備やその他の魔法を全て破棄しましたので、王国の崩壊はそう遠くはないかと」
ジグの知らない事実だが、現段階ですでに王は頭を抱えている。
「なんでそうなったの? 蟲の国の王様って人望ないの?」
「……まあ、侵略なんて企む輩じゃからな。人望とか、人徳とか、ありゃせんわ」
ジグはここで少し考えた。
ガラードと、ジグが記憶を封印されて欲望に溺れていたことを、サクヤ達に話すつもりはない。
結果として花の国を襲ったのはジグだ。その事実は覆されないし、言い逃れするようで格好悪いと思ったから。
「実際、魔王城を襲って淫欲魔王もぶん殴ったんですがね、彼を捨て身で庇う女性がいて。……彼はその女性のために非道な振る舞いを強制されていたようで、王家に対する恨みが強いのです」
「人質ってこと? なんて卑怯なの、最低ね!」
サクヤは憤慨し、ブロスは無言で先を促す。
「どうやら彼には呪い……のようなものがかけられていたので、いただいたお水とじゃがいもの目で事無きを得ました」
「え、もしかして食べさせたの? じゃがいもの芽を? そのまま?」
「はい! 口に突っ込んで、お水で流し込みました」
サクヤは相手に同情したのか、単に味を想像したのか、青い顔で口元を押さえる。
ジグの嘘とも本当とも言えない説明を信じてくれているようだ。
……じゃがいもの芽のくだりは紛れもない真実であるし。
「今度、癖の強い食材でも美味しく食べられる料理を教えてあげるわ……」
「それは、是非よろしくお願いします」
死んだ顔で目玉を齧るガラードと、悲しげに見守るリベルラの姿が目に浮かんだ。
レシピを渡したら、少しはマシにはなるかもしれない。それに。
「続いて接近中の『健啖魔王』も、淫欲魔王と同じ状態……かもしれません。なので、美味しいご飯でも用意しておけば勝手に浄化されてこっちの味方になる可能性が高いかと」
「仮にも魔王でしょう? そんな甘い算段でいいの?」
「よく考えてみるのじゃ。たった一日ですでに四天王の半分が裏切っておるんじゃぞ。そもそも、このジグに至ってはサクヤに瞬殺で陥落しておる」
「……それもそうね」
楽観的な見通しに眉をひそめるサクヤだったが、ブロスの言い分には納得するしかない。
「ひどいです。そんな、ぼくがちょろい男みたいな……」
「恋とはいきなり落ちるもの。とはいえ、会ってすぐのサクヤの花にキスしておいて、なにを言うか。わしですらもうちょっと段階踏んで口説いたぞ」
ブロスの、ぐうの音も出ない正論によって話は終わった。
「さてサクヤ、暗くなる前にお主は先に帰っておけ。今夜の“蝕呪の儀”のために準備も必要じゃろう。手順については、約束どおりわしがジグに説明しておく」
サクヤの花の顔が、赤とも青とも言えない色に染まった。危険を伴う儀式なのかとジグは疑問を抱く。
「あの、サクヤさん。ウィクトルも一緒に連れて行ってもらえますか? 先にお家を案内してあげてください」
仲良くなっているようだし、少しはサクヤの癒しになるだろうかと提案する。
「……そうね。寝床を用意しておくわ。行きましょう、ウィクトル」
憂いを帯びた表情も美しいと思うが、サクヤには笑っていてほしかった。
サクヤが去って、ブロスは気まずそうに切り出す。
「あー、それでな、“蝕呪の儀”の詳細はサクヤが語るゆえ、話せることはあまりないが。お主は湯浴みをして身なりを整えて、サクヤの部屋に向かうだけで良い。……要は初夜じゃからな。寝間着はわしの新品を貸してやろう。もたつかず脱ぎやすい方が良いじゃろうし。床に就いたら、伴侶として年長者としてちゃんとサクヤをリードしてやるんじゃよ」
「……え」
ジグの思考が一時停止。聡明な脳は情報を急速に理解し、顔面に血が上る。
「……ぼく達、今日初めて会ったばかりですが!?」
「なーにを言っとる。花びらの儀で婚姻成立して、御神木にも認められたじゃろ。何度も言うぞ。サクヤはお主だけの花嫁じゃ」
──サクヤさんがぼくだけの花嫁。
甘美な響きに浮かれて羽ばたきそうになったが、ジグは顔面に諸手打ちして理性を保った。
「サクヤさんの意志は!?」
「いや、サクヤの意志もなにも……花びらの儀を受けた段階で、お主に惚れとるんじゃって。負けん気の強い性格だからツンツンしとったが、デレも多かったじゃろ。ツンデレじゃよ、ツンデレ」
「さっきからちょくちょく思ってましたけど、ブロスさんて意外と俗っぽいですよね!?」
「わしは情報通で頭が柔らかいだけじゃよ。お主は若いのに頭が固くていかん。人前であんなに情熱的に愛の告白をしておいて、なにを今更じゃ。ほれほれ、本当は嬉しいんじゃろ?」
義父に弄り倒されて、ジグの頭は爆発寸前だった。戦場では無敵でも、こういう時にどう振る舞えばいいかわからない。
「嬉しいというか、光栄ですよ、とても! でも好きだからこそ、大切にしたい、というか……サクヤさん、まだ子どもじゃないですか!! そういうことは、まだ早いです」
ぽってりとした桜色の唇。
長い睫毛からの流し目。
ぞくっとするほどの色香に惑わされそうになるが、サクヤは顔立ちにも思考にもどこか子どもっぽさが残っている。
大人と子どものちょうど中間にいる危うさが魅力でもあるが……交流する中でサクヤが想定よりも若いことに気付き、手を出すのはまだ早い、慈しみ見守ろうとジグは考えていたのだ。
「なに言っとるんじゃ。花人は花が咲いたら大人の仲間入りじゃぞ。サクヤは数えで十六歳。蟲人という種族は確か、十五でもって成人じゃなかったか?」
「十五は一部の蟲人がユニークスキルを授かる節目の歳、成人で間違いないです。……でも」
ジグはカッと目を見開いた。サクヤのいる前では取り繕っていた冷静さなど吹っ飛んで、すでに遠い空の彼方だ。
「数え年は、出生時に一歳換算! 場合によっては、実質十四歳の可能性もありませんか!?」
──未成年に手を出すなんて、あり得ない。
ジグは怒りを押し殺すように唇を噛みしめた。
その様子になにか思うところがあったのか、おもむろに立ち上がったブロスは、ジグの頭を撫でる。
「くすぐったいです。ぼくは子どもじゃないのに……」
満更でもなさそうにジグは言う。
「落ち着いたか? わしからしたら、お主もまだまだ子どものようなものじゃ。まあ、とにかくサクヤとは腹を割って、しっかり話し合え。……格好つけたり誤魔化しを重ねても、いずれ破綻するぞ?」
経験を積んで来ただけあって、ブロスには色々お見通しなのだろう。……心配されて悪い気はしない。
「頭を冷やす意味でも、集会所の大浴場で湯浴みをしておけ。身を清めるのは大半の儀式において重要なことじゃぞ。シャワーや広い風呂の使い方、マナーをお教えといてやろう。男同士、裸の付き合いをする機会も増えるからのう」
文化の違いに目を丸くするジグ。
「……なぜ集会所に大浴場が?」と、思わず疑問を口にする。
「花人は頭の花が萎れぬよう、一日に三度は沐浴をするからじゃ。そもそもサクヤの言っていた花人の必須スキルというのは、水のない環境で枯れぬように、という御神木の慈悲がもたらす加護でな。男達もそれに倣って、家や公共施設には伴侶が困らぬための、快適に過ごせるための設備を整えてあるんじゃ」
「なるほど……参考にします」
ジグは自らの魔王城の殺風景な内装を思い出し、設備の見直し、改築を秘かに決意した。
「豊かな水に恵まれた都なだけあって、花の国は治水対策を始め、水関連の技術は水準が高いぞ。この国だけの固有種、独特な進化を遂げた水洞竹という竹があってな。地下茎で繋がる竹の性質を利用した、画期的な循環システムで──」
「勉強になりますね。ですが、魔法使いの見解として、植物の持つ性質を引き出すという観点では──」
儀式の説明を受けるはずが、花の国における水洞設備の改良に話が逸れていたが、ジグは楽しそうに議論を交わしている。
ブロスとは通じるものもあり、すでに義父として慕っていたジグだったが……。
──夜になり、あれよあれよと迎えた蝕呪の儀。
サクヤの香りが立ちこめる部屋に引きずり込まれ、上半身に馬乗りにされて、ブロスとの討論は有意義ではあったが、儀式においては全く役に立たないことに、覚悟すら出来ていなかったことにジグはようやく気が付いた。




