表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/84

終章 鬼の無き里②

 結果として、松代に起こった七十三ヶ村の一揆は、成功に終わった。


 二千余りの人垣を前に、町奉行も事態の容易ならざるを察し、上役とも合議の上、田村半右衛門が発した非道極まる命令を取り消し、半右衛門には相応の罰を下すことを約束してその場を収めた。


 藩主真田信安は、この時参勤にて江戸へ出ており、そこで松代にて騒擾そうじょうの起きたことを伝え聞いた。

 寵臣ちょうしんの一人である田村半右衛門への領民の反旗とあって、信安は激怒し、首謀者である名主を晒し首とし、領民へも苦役くえきを負わすよう命じたそうである。


 だがその後すぐに、公儀から半右衛門及び小隼人の圧政を暴く詳細な調書が提出され、そもそもは藩主信安の怠慢が原因として、その不行き届きを咎められた。


 さらに、鬼無里村割元宮藤喜左衛門が全ての責めを負って割腹かっぷくしたことをもって、領民には何事も沙汰さた無きことと、宮藤家は、喜左衛門の嫡男ちゃくなん喜助に跡目を相続させるよう達しがあった。


 また喜左衛門に対しては、命をして主君の過ちをいさめ、領民を守ったとして、老中堀田正亮から格別の褒詞ほうし追贈ついぞうされた。

 原文は次の通りである。


「割元 宮藤喜左衛門

右之者みぎのもの、松代城下にて徒党ととう致し押寄おしよせに及び候儀そうろうぎ不届至極ふとどきしごくそうらえども、其実そのじつ自ら身命しんめい不顧かえりみず主人伊豆守(いずのかみ)相諫あいいさめるべく訴え出候由(そうろうよし)畢竟ひっきょう臣下(しんか)ちゅう一段之事(いちだんのこと)そうらえば、左のごと褒美ほうび下さるべく云々(うんぬん)


 なぜ公儀が斯様かようなまで詳細に事態を承知しているのか、信安はいぶかしんだが、ここまで知られていればもはやあらがすべはなかった。

 信安も自らの行いを反省し、領民への罰は一切が取り消された。


 これが世に知られる真田騒動・田村騒動というもので、徳川治世下にいて、領民の蜂起が結実した稀有けうな例となっている。


 鬼無里の里に於いては、鬼助が晴れて宮藤喜助として村民より迎え入れられ、祖父宮藤武兵衛、大日方五郎兵衛の助けを借りて、割元としてつつがなく村を治めた。


 そしてその喜助の隣には、常にフウの姿があった。

 喜助は事あるごとに「すべてはフウのおかげ」と感謝を表し、どんな困難が訪れようとも彼女を守り抜いた。

 フウもまた、奥裾花の山懐の如く深い愛情を以て、喜助のことを慈しんだ。

 二人は共に白髪の翁媼おうおうとなるまで、この鬼無里で仲睦まじく暮らしたという。


 奥裾花に咲く水芭蕉の群生が世人に発見されたのは、昭和の時代になってからだった。


<終>

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

このページのイラストは、早稲田大学漫画研究会の才田優貴さんによるものです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ