第十章 それぞれの戦い②
座敷には、真っ白い死装束を纏った喜左衛門が、静かに座していた。
傍らには脇差の乗った三方がある。
「喜左衛門どの、お手前やはり死ぬるおつもりでしたか…」
新右衛門の顔に、沈痛の色が浮かんだ。
「それがしが死ぬるのを、分かっておられましたか」
喜左衛門の顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。
「新右衛門どの、貴殿松代からの回し者でないとしたら、一体何者でございますかな?冥途の土産に、正体をお明かし願えませぬか?」
この言葉に、新右衛門の表情が引き締まった。
新右衛門のほうも、ここへわざわざやって来たのは、正体を明かす覚悟があってのことである。
無言で頷いてから、低い声音で言った。
「拙者は公儀御庭番、実の名を倉地新兵衛と申す」
「公儀…それでは公儀の隠密でござったか───」
御庭番とは幕府役職の一つであり、普段は大奥の御広敷に詰め、奥に植木職人などの人足が入った時に、これを取り締まるのを表向きの職務とした。
だがこれはあくまでも表向きの職務であり、裏では将軍から直々に命を受け、諸大名や幕臣の動静を探るなどの諜報活動を主な任務とした。
即ち公儀隠密である。
新右衛門の役目は、その御庭番だという。
それでも喜左衛門は、大して驚いた様子も見せずに、むしろ嬉しそうな笑みすら浮かべていた。
「新右衛門どの、隠密としてこの鬼無里へとやって来たわけを教えてはくださらぬか?無論、貴殿の邪魔をしようとの考えは毛頭ござらん。だが次第によっては、最期に頼みごとを一つしたい。貴殿を武士と見込んでの願いでござる」
喜左衛門の言葉には、真情が込められているのが分かる。
公儀の隠密は、何があっても正体を見破られてはならない。
見つかればその時点で任務は失敗し、自身の命がないも同然だからである。
しかし新右衛門にも、正体を明かしたのには理由がある。
それは宮藤喜左衛門を、同じ武士として認めていたからである。
正体を明かした以上、鬼無里に来たわけを話すことも、覚悟の上であった。




