表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/84

第九章 因縁⑥

 いつの間にか太陽はひるの位置にまで昇っている。

 急がねば暗くなって、フウの元へと辿り着けなくなる。

 風は絶え間なく吹き続け、森を強く揺らす。

 木の葉は互いに擦れ合い、騒音を発している。

 その音が大きくなるにつれて、鬼助の心にも、焦りが募る。

 ただ今は、ひたすらに前を向いて走るしかない。


 鬼助は、韋駄天いだてん走りに山を疾駆しっくして、やがて水芭蕉の繁る湿原へと出た。

 今はもう白い花は見られず、水面には青々とした葉が姿を現している。


 そのほとりから対岸に眼をやると、そこにはフウの住む小屋が見える。

 小屋の周囲や裏の畑には、誰の姿もない。

 この位置からでは、フウとベニが無事なのかは判然としない。

 鬼助は腰に差した刀を一度握って、山の神に祈りながら再び走り出した。


 小屋まで来て、鬼助は戸口の前で立ちすくんだ。

 耳をすましてみても、室内からはなにも音がしない。


 鬼助の脳裏には、痛ましく斬り殺された久安の姿が思い出された。

 もしフウの身に何か起きていたら、自分はどうしたらいいだろう。

 どう責めを負えばいいだろう。

 そんな思いを抱えて、戸口に手をかけては、その手を動かせずにいた。


 するとその時、カラリ、と乾いた音がして、自然と戸口が開いた。

「きゃっ!」

 叫び声がして、眼の前にはフウが眼を丸くして立っている。


「無事だったんか…」

 鬼助はその場にへたり込んだ。

「鬼助様どうしたの?腰を抜かしたりして」

 フウは驚いて、鬼助の手を引いて起こそうとした。


 その時、鬼助の腰に真剣が差さっていることに気づいた。

「鬼助様、その刀どうしたの?」

 鬼助は無言で頷いてから立ち上がった。


「大変なことになった。山に曲者くせものが出て、和尚を斬り殺したんだ。そいつはフウのことを狙って、この山小屋にやって来ようとしている。おめえたちのことはおらが守るから、ここに隠れててくれ」

 フウと、その後ろで心配そうな顔をしているベニに向かって、力強く言った。


「どうしてそんなことに?おっとさが今夜は大事なことがあるって言うてたけど、それと何か関係があるの?」

「それは分からねえ…。けどフウのことはおらが絶対守るから。そのために剣の修業をしてきたんだ」

「剣で戦うつもり?そんなのは絶対駄目よ。斬られたら鬼助様が死んじゃう」

「いやおらは死んでもおめえを守るんだ」


「鬼助様それはなりません。鬼助様のお命は、あなた一人だけのものじゃありません。鬼助様には、これからもっとやらなくてはならないことが、いっぱいあるんですよ」

 ベニが、鬼助にすがりつくようにして言った。


 命が自分だけのものじゃないとはどういうことか、鬼助にはよく分からない。

 それにこれから先の話をされたところで、今はそこまで考える余裕などはない。

 今は与えられた使命を、いかに完遂かんすいするかが大事なのである。


「ベニさん、何も心配いらねえよ。危ねえから二人は小屋の中で待っててくれよ」

 鬼助は落ち着き払って戸口を締め、独り戸外で敵を待ち構えた。


 もう夕闇が迫り、僅かにのぞいた月が、湿原に淡く映っている。

 鬼助は足元にあったたらいを伏せて、そこに腰かけた。

 周りからは虫や蛙の声が響いて、意外にも騒がしい。


 ふと気がつくと、いつの間にか風が止んでいる。

 なぎのように、空気がピクリとも動かない。

 山の神様もしずまっただろうか、このまま何事もなく時が過ぎればいいのに、と鬼助は心の中で念じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ