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第八章 祭と政(まつりごと)⑥

       *


 原小隼人が家老まで進んだのは、今から十年以上前のことである。

 藩主真田信安の寵愛ちょうあいを極め、自ら傲慢ごうまんの心を起こし、私利私欲のために賄賂わいろむさぼり、日夜淫楽(いんらく)ふけって、ついに藩政を失墜しっついせしめた。


 或る時、小隼人が主君に同行して江戸へとおもむいいた際は、吉原で藩の公用金を湯水の如く浪費した。

 国許くにもとから家臣に支払うべき金が、江戸藩邸へと到着した際には、小隼人は吟味役に命じて、その金子きんすを全て吉原へと運び、一夜の遊興ゆうきょうことごとく使い果たしたという。


 この様な有様ありさまを以て、正義廉直(れんちょく)の士は自然と主君のそばから退しりぞけられ、諂媚てんびていする奸物かんぶつのみが、藩中に蔓延はびこることになった。


 藩要職は小隼人の息がかかっている者のみ登用とうようされ、いずれの虎の威を借る狐の如く権勢を振るう。

 しかして藩財政は窮乏きゅうぼうの極みに達し、藩士に給与すべき扶持米ふちまいにすら事欠くようになった。


 小隼人は苦肉の策として、『半知借上はんちかりあげ』と称し、藩士の知行ちぎょう及び扶持米ふちまいの半分を、借用の名義を以て取り上げるなど、苛烈かれつな取り締まりを行った。


 これにより影響を受けたのは、なにかと出費の多い江戸勤番の武士たちで、大身の士といえども飯米の俵を買う資力なく、深夜に五十文、百文ばかりの小銭をたずさえて穀屋で米を買ったので、「松代の提灯袋米」として、江戸っ子の嘲笑ちょうしょうを招いたという。


 くて藩士の不満は頂点に達し、まずは足軽たちより反乱がおきた。

 足軽たちは、今でいうストライキをくわだてたのである。


 これに藩当局は大いに狼狽ろうばいし、これまでとどこおっていた諸勘定を支出して鎮撫ちんぶするとともに、当面の問題として藩財政の改善をすべく、経済に通じた田村半右衛門という人物を新規召し抱えし、遂に原小隼人を家老から追放した。


 さらに小隼人は、藩主信安の側室蓮光院と不義密通しているという悪事が露見ろけんし、果たして家老の免職のみならず、藩より左の如く申し渡されることになった。


「段々不届きの儀共これ有り、急度きっと御仕置(おしおき)おおせ付けらるるべくそうらえども、御情おなさけもっ御知行おんちぎょう召し上げられ、清野村へ御預おあずけ仰せ付けらるる」


 この通り、小隼人の栄華は終わりを告げたのである。

 小隼人は、清野村へと蟄居ちっきょを命じられた後、一説によれば、吉原の遊女であった妻とひっそりと余生を過ごしたとされるが、実はそうではない。


 野心鬱勃(うつぼつ)たる小隼人は、いつかは藩政に復帰しようと機を伺っていた。

 しかしそれを見破った新家老・田村半右衛門によって、謀反むほん嫌疑けんぎをかけられ、鬼無里の山牢へと移送になったわけである。

言うまでもなく、これら原小隼人の行いは史実です。


足軽の蜂起は、史料には次のようにあります。

「今朝足軽共残らず引き込み、御番所残らず開き、御役人付人並びに使番まで一人も相勤め候者御座なく候。御曲輪、木戸番代わりこれ無く引き申し候。同夜八時原小隼人宅へ御役人相招き人々存じ寄り、書一通宛取り申し候。四月九日寺院御礼の節、御門立番足軽これ無きに付き、御手子の者罷り出候」

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