第八章 祭と政(まつりごと)④
喜左衛門は新右衛門と対峙し、鬼助のことをチラと見た後、
「お侍様、祭のほうは楽しんで頂けておりますかな?」
穏やかな声で言った。
喜左衛門は黒羽二重の紋付に、仙台平の馬乗袴を穿いて、脇差と太刀の二本をしっかりと差している。
足には白足袋に草履を履いて、新右衛門と向かい合っても、少しも見劣りするところがない。
年齢は喜左衛門のほうがやや上だろうが、それ以上に落ち着いて見えるのは、剣の修業で身に着けた風格が、物を言うからであろう。
新右衛門も既にそれを見抜いているから、
「ええ随分と楽しませてもらっておりまする。申し遅れましたが、拙者倉橋新右衛門と申します。雲海院で世話になっておって、本日はこの鬼助に誘われて祭へと見物に参りました」
至って丁寧に挨拶をすると、喜左衛門のほうも柔和な口振りは崩さずに、
「ほう左様でございますか。手前はこの村の割元を務めておる宮藤喜左衛門と申します。何もない村でございますが、こんな祭でよければ是非楽しんでいってくだされ」
言ったあと、一瞬鋭い眼つきをして言葉を続けた。
「新右衛門様は、日頃村のほうも散策しておられるようでございますが、この村に何か興味がおありですかな?」
「いや憚りながら、格別この村に興味があるほどにてはこれ無く…」
「松代へも何度か足を運んだとも聞いておりますが、向こうのほうに誰か親類でもございますかな?」
「いや拙者松代は全く縁もゆかりもなき土地ゆえ、善光寺詣でに参るついでに寄ったまでのことでござる」
「そうでしたか。手前もこのところ松代のほうへ行く用事が何度かありましたが、新右衛門様の眼にはあちらの様子、どのように写りましたかな?」
「そういえば…真田家御家中の者たちが立て続けに城内に出入りして、何やら騒がしい様子でございましたな。城下では商売もさほど繁盛してるとは見えず、どうも武家も町方も人々は皆一様に疲れ切っているようで…おっとこんなことを拙者が申したと御家中に知れたら後で面倒なことになるゆえ内密に、ははは」
新右衛門は町方での暮らしもあったせいか、少しも悪びれないで松代藩の風説を全て明かしてしまった。
一方の喜左衛門は、新右衛門の言葉を、何かを確認するかの如く真剣な眼をして聞いていた。
そんな大人たちの会話を、鬼助と克林はぼんやりと眺めていた。
すると不意に、喜左衛門が鬼助の肩に手を乗せて、
「そういえば久安和尚から聞きましたが、この鬼助に剣術を仕込んでくださっているようで」
柔らかい表情に戻って言った。
「貴公のような、松代に聞こえた達人の腕には遠く及びませぬが、拙者もかつて道場に通ったことがあるゆえ、腕が鈍らぬよう鬼助に稽古の相手をしてもらっているようなもので。なかなかこの鬼助も筋が良く、いずれいっぱしの使い手になりそうですな」
新右衛門の言うことは、本音なのかお世辞なのか今ひとつ掴めない。
だがいずれにせよ、褒められて鬼助は悪い気はしなかった。
喜左衛門のほうも満足そうに頷いてから、
「鬼助、良き師に巡り会えてよかったの。新右衛門様、どうか物の用に立つよう仕込んでくだされ」
深く礼をして、互いに再び丁寧に挨拶を交わしてその場を別れた。
その後三人は、誰に邪魔されるでもなく、祭を朝まで楽しんだ。
鬼助にとっては、露店で買い食いするのも生まれて初めての経験であった。
まるで夢のようなひと時で、フウにも、いつかこの祭を経験させてあげたいと思わずにはいられなかった。




