第八章 祭と政(まつりごと)①
鬼助が初めて奥裾花の山小屋へ行ったのは、水芭蕉の花が咲き乱れる四月のことであったから、それから四ヶ月ばかりの月日が流れようとしていた(この年は閏六月があった)。
その間鬼助は、人目を忍んで、何度かフウの元へと遊びに行った。
山小屋でフウと家族同然に過ごしていると、この少女は見た目こそ違えど、自分と何ら変わりのない人間だということを実感できる。
不思議な霊力などは少しもなく、人と同じように、泣いたり笑ったり悩んだりする。
だからこそ、鬼助はこの無力な少女を守らなくてはならないと、強く思うのであった。
普段の鬼助は、相変わらず新右衛門を相手に剣術の稽古で、時には一日たっぷり木刀を振るうこともある。
この日も午前の稽古が終わって汗を拭っていると、
「この頃随分と熱がこもっておるの。どういうつもりか知らぬがあまり無理をするでないぞ」
と、新右衛門はいつもの明るい態度で言った。
鬼助は、フウを守るために頑張っているとも言えず、この場は曖昧な返事をして誤魔化した。
それにしても、新右衛門がこの寺に来てからもう随分になる。
いつまでもここに滞在して、やる事と言えば散歩に鬼助との稽古くらい。
武士にもかかわらず、目的もなく日々を無為に費やしているように見えて、却って鬼助のほうが心配になってくる。
だが本人は至って屈託ない様子で、
「そういえばそなた、明日の村祭りはどうするつもりだ?」
などと呑気に鬼助に問うた。
この鬼無里には、祇園社と呼ばれる小さな雑社が、かつてあった。
今となっては火災で社殿は失われてしまったものの、毎年七月十五日には、祇園祭と称して村総出の祭日となる。
鬼無里千石の祭典で、十五日から二十日までの間、村に市が立ち、村人は夜通し踊り狂い、大層な賑わいを見せるのである。
「どうした?左様に浮かない顔をして」
問いかけに鬼助がいつまでも黙っているので、新右衛門は怪訝な顔をしている。
実は、鬼助が祇園祭に行ったのは、たった一度しかなかった。
その時は、村の子供たちに執拗にいじめを受けたから、以来祭には寄り付こうともしていない。
普段は厳しい久安も、この日ばかりは鬼助に村へ行くよう勧めるのだが、鬼助は肯じず、克林ばかりが楽し気に山を降りるというのが毎年の事だった。
もしフウと共に行くことになれば、自分がいじめられることなどは我慢しようと思っていたが、それも駄目になった今となっては、祭に行くつもりなどは毛頭なかった。
「おらは今年も祭には行くつもりはありません」
鬼助が不貞腐れたように言うと、
「それは困ったな。この村の祭は大層にぎわうと聞くから、そなたに案内を頼もうと考えていたのだが…」
「克林に頼めば案内してくれると思いますよ」
「克林ではチト頼りなさそうなのでな。わしはそなたを見込んで言うのだぞ。剣術稽古の月謝だと思って考えてくれんかの…」
新右衛門はいたずらっぽく笑って、鬼助の肩に手を置いた。
こう言われれば、初手から断れないことは明らかである。
「分かりましたよ。連れてけばいいんでしょう」
鬼助は渋々ながら、承服せざるを得なかった。




