第七章 秘密⑧
用人の残していった言葉通り、ほどなく喜左衛門は松代への出頭を命じられ、小隼人と対峙することとなった。
呼び出されたのは、原家の屋敷ではなく、松代城内にある一室であった。
私的な側女のことで城内を使うとは、上をも恐れぬ無礼極まる行いである。
その広座敷には、当然藩主真田伊豆守の気配はなく、日頃藩主が座すであろう座には、堂々と小隼人が鎮座している。
そして脇には、藩侯の家臣であるはずの諸士が、あたかも小隼人を藩主として崇めるかの如くに恭順して、雁首を並べている。
喜左衛門は、居並ぶ家臣団の前に独り端座し、
「御家老もお忙しいでしょうに、それがしのような在所者をわざわざ松代へとお呼び出したりして、どうされましたか?」
無表情で言い放つと、小隼人の役者のような顔に、怒りの色がありありと浮かんだ。
「ベニがことよ。うぬは鬼無里の割元として、いかに責めを負う?」
「確かにベニが村から消えたのは事実ではございますが、当方にはあずかり知らぬことでございます。それがしは割元として、駈落ちは許すまじとして小隼人様の御意向、確と伝えてござります」
「それでおぬしの役目は終わりか?小娘ごときを言い含められなかったのは、その方が手落ちであろう!」
脇から用人が声を荒らげた。
その様子を、小隼人は冷徹な笑いで眺めて、
「喜左衛門、うぬと余はかねてより不倶戴天の仇であったことは言うまでもない。だがそれはあくまでも武芸の上での話。武芸から離れれば、その方は真田家家老たる余の申し分を履行せねばならぬこと、存分に分かっておろう」
脇息に凭れながら言った。
喜左衛門は黙って聞いていた。
いくら上役の命令とは言え、愛すべき村人を、この奸物たる小隼人の許へとやるわけにはいかない。
それに事の発端は、小隼人の個人的な恨みだということを分かっているから、いずれにしても喜左衛門は、全ての責めを負うつもりでいる。
「どのように申されましても、もうベニは戻りませぬ。それに、駈落ちなども根も葉もない噂話。その噂の当人である大日方五郎兵衛は、駈落ちどころか、未だ鬼無里にて暮らしております。それでもそれがしを疑い召されるようでしたら、即刻この場でこの腹を掻き斬って、一切隠し事無きことお示しいたしましょう」
この言葉を聞いて、脇に居並ぶ家臣団は騒めいた。
たかが小隼人の妾のことで、村の大名主に詰め腹を斬らせたと広まれば、領民も黙ってはいまい。
それに、元々松代城下で一、二を争う剣の達人であった喜左衛門は、下士とはいえ人望は篤い。
家臣団の中でも、内心は喜左衛門に与していた者も多かった。
そんな中で、
「小隼人様、斯様な者が腹を斬れば城内が血で穢れましょう。さすれば縁起も悪しく、御殿様へのご迷惑となります。鬼無里への沙汰を下すのはまたにして、この者はさっさと去なすのがよろしいかと存じます」
家臣団から声が上がった。
喜左衛門が横目でチラとそちらのほうを見ると、かつて道場で共に剣の技を磨いた同輩が、目でなにかを訴えている。
その様子から、喜左衛門のことを悪し様に言っているのは、この場を収めるための方便であることが伝わってくる。
家臣一同が発言に同意する様子を見せる中にあって、小隼人は思いのほか冷静に見えた。
皮肉な笑いを浮かべたまま、
「確かにうぬの如き下郎に切腹を申し付けるは生ぬるいかもしれんの…。いずれうぬにはこの世の地獄をとくと見せてやるゆえ、その時を楽しみにしておれよ」
と、意味深な呪いの言葉を吐いて、座を立ったのだった。
斯くしてベニの死は偽装され、あとは鬼助の知っている通り、ベニは山小屋で人知れず暮らし、五郎兵衛は木地師の仕事をしながら、村と山を行き来する生活が始まるのである。
それが即ち、彼らの選んだ人生であった。
夫婦は誰にも邪魔されることなく平穏に暮らしを営んで、やがて、フウの誕生を見る。




