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第六章 楓と水芭蕉⑪

 翌朝鬼助が目を覚ますと、小屋の中には誰一人として残っていない。

 戸口の隙間から射しこむ光を見れば、まだ外はそこまで明るくないことが分かる。

 不審に思って戸外に飛び出すと、すぐそこで、フウがたらいに水を張って洗濯をしていた。

 やはり外はまだ薄暗く、早朝の冷たい空気が肌を刺す。


「おはよう。起こしちゃった?もっと寝ててもよかったのに」

 昨夜二人きりのときに見せた涙の名残りは少しもなく、明るい笑顔を鬼助に向けた。


「朝早くて驚いたでしょう。うちではみんな朝早くから働くの」

 確かに村では畑仕事をするのはもう少し後になってからである。

 辺りを見回せば、小屋の裏手に広がる畑では、五郎兵衛とベニが汗を流して土を耕している。


「鬼助起きたか。じゃあ朝飯の支度をフウと一緒に頼む」

 普段不愛想な五郎兵衛は、家族の前だとどことなく明るいように見える。

 こっちが五郎兵衛本来の姿なのだろうか。

 そんなことを思ってぼんやり立っていると、

「じゃあ鬼助様、これお願いね」

 手渡されたのは昨晩と同様火吹き竹である。


 二人は一緒に小屋へと戻り、鬼助はへっついの前に陣取った。

 それから火を入れて、釜で米を炊いた。

 フウは囲炉裏に吊るされた鍋で、味噌汁を作るらしい。


 鬼助は独り釜の火に集中していると、

「ねえ鬼助様、鬼無里の里ってどんなところなの?」

 不意に後ろから話しかけられた。


「楽しいところ?おっかないところ?」

 鬼助が振り返ってみると、フウは手元の鍋をかき回しながら、どことなく嬉しそうである。

 まだ見ぬ鬼無里に思いをせているようにも見える。


 だが鬼助には、気の利いた答えが見つからなかった。

 なぜなら、鬼助にとって鬼無里の里は、決して居心地のいい場所ではないからである。

 真実を語ればフウを失望させることになるし、嘘をついて誤魔化すのも気が咎める。

 鬼助が応えにきゅうしていると、

「そういえば、あと少ししたらお祭があるんでしょう?一度でいいから行ってみたいなあ…」

 と、フウは寂しそうに笑った。


 七月になれば、鬼無里で一番の年中行事である夏祭の季節となる。

 その時は村総出で踊り、路上には市が出て、近隣の村々からも人が来訪する。

 その賑わいを、フウは知らないという。


 だがこの祭りという点では、鬼助もフウの立場と大きくは変わりなかった。

 祭に行けば、村の人々からは鬼の子が来たと白い眼で見られ、餓鬼大将の仙吉からは苛められる。

 周りで皆が楽しそうにしていればしているほど、その輪に加われない者の孤独は強まる。

 だから鬼助は、一度だけ祭を見に行ったことがあるだけで、以降は克林から誘われても寺に籠ったままで山を降りることはなかった。


「お祭なんて、そんなにいいもんじゃねえよ…」

 つい日頃の愚痴が口を突いて出ると、

「どうして?お祭ってみんなでおどりを踊ったりして楽しいものでしょ?おっかさから前に聞いたことがあるもの」

「おどりを踊るのはそうだけど、あれは踊っている人が楽しいだけで、見ている方はちっともおもしろくねえ。おらは踊れねえから、踊りの輪に入れねえしおもしろくねえよ」

「なら鬼助様も踊りを習えばいいのに」

「いろいろあってそう簡単に習えねえんだ。だから別に、お祭に行けねえからってそんなに残念がることねえさ」


 結果としてフウを励ますような言い方になったものの、フウのほうは、そこまで納得がいっている様子ではない。

「そうなのかあ」

 と、まるで子供のようにがっくりと肩を落としている。そこへ、

「おういい匂いがしているな」

 五郎兵衛とベニの夫婦が帰ってきた。

 ベニは項垂うなだれるフウの姿を認めて、

「おやどうしたの?鬼助様と喧嘩でもしたかい?」

 笑いながら聞くと、

「そうじゃないよ…。ただ村祭は、本当はあまりおもしろくないって鬼助様が言うものだから、がっかりしちゃっただけ」

 不満そうなフウの答えを聞いて、五郎兵衛はチラリと鬼助を見遣った。

 うつむく鬼助を見て五郎兵衛は、彼の内心を察したに違いない。


「いつかお前ら二人も祭を楽しめるようになるさ。さあそれよりも、早く飯にしようじゃないか」

 と、殊更明るい口調で話を切り替えた。

 五郎兵衛のその態度は、鬼助に対する励ましのようにも思えた。

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