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第六章 楓と水芭蕉⑥

 フウは木曽殿あぶきから、さらに北に進路を取った。

 ここから先は、奥裾花おくすそばなと呼ばれる里人未踏の地域なはずで、人が住んでいるという話は聞いたことがない。


 しかし、山合のブナ林を、フウはまるで地図でも手にしているかの如く、迷わずに歩みを進めていく。

 木々の間には僅かに土を踏みしめたような跡が存在するだけで、もし鬼助独りでいたとしたら、とても迷わずに進めそうもなかった。


 そのまま山を登っていくと、やがて生える木がまばらになってきた。

 雪解け水をたたえた沢がそこら中に流れ、地面には山野草の可憐な花が咲き乱れている。


「あ、ちょっと待って」

 不意にフウはしゃがみこんで、辺りに生えている草を摘み始めた。

 コシアブラにコゴミの新芽である。

「これを摘みに来てあなたを見つけたの」

 フウは鬼助の顔を見て微笑んだ。


 四月とはいえ、まだそこら中に残雪のかたまりがある。

 確かに、あのまま一夜を過ごしていたら鬼助の命は危なかったかも知れない。

「摘んでいるとき、何か悪い予感がしてあっちの方へ行ってみたの。こんな偶然ってあるものなのね」

 少女の無垢な笑顔を目にして、鬼助はなんだか照れ臭かった。


 未だかつて、自分に向かってこんな無邪気に話しかけてくれた人物があったろうか。

 鬼助のほうも、フウの前ならば、自分の生い立ちなど気にせずに振る舞える。

 今日初めてであったはずの少女に、なぜか昔からの知り合いのような親近感を覚えた。


「あと少しよ」

 歩きながら、フウが森の先を指さした。

 ブナの森は、厳しい冬の季節を耐え抜いて、今は青々とした新芽を吹いている。

 そのこずえの間からは、優しい木漏れ日が射しこむばかりで、眩しいということはない。

 山頂に行けば行くほど木の生える密度は下がって、もう少し山道を登ると森の終わりが見えようとしている。


 そこは光に溢れていて、鬼助の心も一気に明るくなるようだった。だがフウは、

「ねえ一回眼をつぶって」

 と、森を抜ける直前になって、意外なことを言った。


「眼をつぶったら歩けねえど」

「あたしが手を引くからゆっくり歩いて」

 戸惑いながらも言われるがままに歩みを進めると、やがてまぶた越しに光を感じて森を抜け出たことが分かった。


「じゃあ眼を開けていいよ」

 言われるがままに鬼助が眼を開くと、

「───うわあ!」

 そこには驚くばかりの不思議な光景が広がっていた。

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