第六章 楓と水芭蕉③
この前鬼女を見かけた日も、確か風が強かった。
その時と同じように、今も段々と風速が増している。
ただあの日は闇夜だったのが、今日は白日の下である。
陽の光がどれほど心に力を与えるか、山に住むものならばよく分かっている。
鬼助は木太刀を握りしめた。
例え鬼女とて、もし襲ってくるようならば今日はこの木刀で戦ってやる、と心の中で意気込んだ。
すると次の瞬間、
「───!」
何か気配を感じて辺りを見回すと、川べりに立つ美しい枝ぶりをした山楓の木が、一本揺れている。
その動きは風に靡いているのとは少し違う。
明らかに、木陰に何かいる。
「お、おいそこにいるんは誰かい!?」
鬼助には、自分の声が震えているのが分かる。
それでも己を励まして、木刀を山楓に向かって構えた。
「姿見せねえならおらから行くど!」
言いながら身を起そうとしたがとしたが、眩暈がして到底立ち上がれそうもない。
それでも片手拝みに木刀を構えていると、楓の向こうで、じゃりじゃりと足元の川石を踏みしめるような音がした。
「て、手出しはせんから出て来んかい!」
そう言いながら、木刀を持つ手はガタガタと震えていた。
いくら武器を持っているとはいえ、手負いの状態では、襲われたらやられてしまうだろう。
まして相手が化物だとしたら、助かる見込みはない。
鬼助は恐怖で、己の震える切先の向こうにくぎ付けになっていた。
その時、一陣の強い風が、山の中を通り抜けた。
そして木陰から、白くて長い髪の毛のようなものが、風に流れて一瞬見えた。
山楓の陰にいるのは、山犬などではなく、正しく鬼女である。
長い白髪が、風に靡いて姿を見せたのである。
鬼助の身体は金縛りにあったようになって、そのまま木の幹を凝視し続けた。
やがて、細くて長い手の指が、山楓の幹を掴んでいるのが見えた。
確実に鬼女はそこに存在している。
鬼助は覚悟を決めた。
敵が木陰から姿を現した瞬間、木刀を手裏剣の如く投げようと判断した。
我が身を助けるためには、この手段しかない。
「よし!」
と心の中で気合を入れて、木刀を右手に振りかぶろうとしたその刹那、
「あっ!」
折からの強風が吹いて、担いだ木刀が煽られた。
そのまま手からするりと零れ落ちて、地面に音もなく転がった。
万事休した。
無手の状態で敵が現れれば、もはや成す術はない。
鬼助は死を覚悟して、敵の潜む山楓を見つめていた。
やがて、鬼女がその全貌を現わした。
「───!」




