第二章 宮藤喜左衛門⑦
数日が経ち、喜左衛門は鬼無里での役目を無事終えて、松代への帰路についた。
城下では、喜左衛門が小菅小助を退治したという話が、早くも広まっていた。
どういうわけかと訝しむと、宮藤家から蒔田家へと派遣された使いの者が、喜左衛門の鬼無里での雄姿を、小者から女中に至るまで誰彼構わず言いふらしたからだという。
喜左衛門は、好奇の眼に居心地の悪い思いをしながら家の門を潜ると、そこでは父の喜内と長兄の清之進が、神妙な面持ちをして待っていた。
「これはこれは二人そろってどうなされました?」
喜左衛門はおどけて誤魔化そうとしたが、これから何が起こるかは大体察しがついている。
「いいからそこへ座れ」
兄の清之進が笑わずに言ったあと、
「鬼無里で何があったか話してくれ」
父も無表情で続けた。
「鬼無里で?既にお耳には入っているとは思いますが、咎人を一名捕縛いたしました。人を殺め牢から逃げ出した不届きな輩でございます」
喜左衛門は引き攣った笑顔で答えた。
「本当にそれだけか?」
清之進の眼はさらに吊り上がっている。
「……」
喜左衛門には、これ以上答え得なかった。
しばらくの沈黙が流れた後、
「武兵衛どのより、そなたを婿に取りたいと申入れが来ておる。そなたは何と心得る?」
兄の視線は厳しいままだった。
武士の家に生まれたならば、まずは家のことを第一に考えるのが筋である。
だが喜左衛門は、次男であるのをいいことに、これまで気ままに暮らしてきた。
縁組に関して言えば、いつかどこかの家に婿入りするのだろうくらいに考えていた。
蒔田家は微禄であるから、大身の家に入ることは難しい。
むしろ喜左衛門としては、良家に入って気を遣って生きるより、のんびりと暮らしていきたいと、漠然と思っていた。
それが、降って湧いた宮藤家への婿入り話である。
宮藤家に婿入りするということは、即ちあやめと結ばれるということになる。
しかし喜左衛門は、松厳寺で坐禅を組んだあの夜、あやめへの想いを断ち切っていたはずだった。
久安に警策で打たれて導き出したのは、己の私心を捨て、武士らしく家のために生きようということであった。
なのに、武兵衛が話を切り出した時、喜左衛門の頭に真先に浮かんだのは、あやめの麗しい姿であった。
いくら坐禅を組んで無心になってみてたとて、心の奥底では、やはりあやめに対する想いを捨てきれないでいたのである。
喜左衛門が答えようもなく黙っていると、
「実はな、父上は既に武兵衛どのへ返事をしておる」
清之進が面伏せ気味に言った。
「それは何と?」
「そなたの婿入りを承知した、とだ」
「それはなぜ!?」
喜左衛門は、あやめへの思慕を見透かされているような気がして、顔を赧らめて問うた。
しかし、ここで兄が語った理由は、喜左衛門にとっては意外なものであった。
「宮藤家と申さば、鬼無里千石の大名主で、実入りも相応にある。そなたも知っての通り、このところ御家中では、財政が極めて逼迫しており、我らの扶持も借り上げられ、手取りは半分だ。日々の支出を節約するにも限りがある。片や余禄で言えば広い田畑を有する宮藤家のほうが遥かに多く、もしそなたが婿入りをしてくれれば、我らにも何かにつけて融通が利くであろう。恥を忍んで申すが、家のためと思うて鬼無里へ婿入りしてはくれんか」
喜内と清之進は、揃って頭を下げた。
松代では、藩主信安が政事に倦み、家老に実権を握られ、藩財政は悪化するばかりということは喜左衛門も知っていた。
半知借上の制という悪法のせいで、収入を確保しようと躍起になっているのは、どの家も同じである。
もし剣の腕を買われて他家に婿入りしたとて、そこで待ち受けるのはお金の話ばかりかもしれない。
それを思えば、自分が鬼無里に行くことで実家の助けになるのだとしたら、これ以上の孝行はない。
「いやか…?」
父の喜内が不安気に聞くのを見て、
「め、滅相もございません。この喜左衛門、御家のために喜んで宮藤家へと婿入り致しましょう」
喜左衛門は深々と頭を下げた。
その後上役からの許可も得て、翌年の秋に、喜左衛門はめでたく宮藤家へと婿入りを果たしたのである。
第三章 紅葉伝説へ続きます。
記録によると、鬼無里村は千石あったようです。
それはあくまで村の石高の話で、割元の収入ということではありませんが、豪農から武士へ嫁いだり或いは逆に武士から豪農へ婿入りすることは、当時全国的にあったことのようです。




