第二章 宮藤喜左衛門⑤
そんなある日のこと、
「お侍様、毎日そんな暮らしをして退屈でねえかい?」
和市は、食事を出す時何気なく話しかけた。
定めでは、罪人と口を利くことは固く禁じられている。
だがこの時は、日頃思っていることが、つい口をついて出てしまったのである。
小助は、和市から初めて話しかけられたことに、一瞬眼を見開いて意外そうな顔を見せた。
それからすぐに無表情に取り繕って、
「おぬしにはこの身、なんと見える?」
溜息をつくようにして聞いた。
「いっつも平気そうなお顔をしとりますから、きっと平気なんだろうなあとは思うど」
「ははは…いかに平然としていようとも、斯様な仕打ちが身に応えぬはずもない。心の内では泣いておる」
小助は弱々しく笑った。
「そらもうらしいなあ。お侍様、おらにできることがあんならなんでもせうてくれや」
「忝い…おぬしの如き優しき心を持った者がこの村におるとは…」
小助は目頭を着物の袖で押さえてから、
「ではおぬしに折り入って話したいことがある。もそっと近くへ参れ」
和市のことを引き寄せて耳元で囁くには、次のとおりである。
自分が牢に入れられたのは、もとより町方より金銭を受け取り私腹を肥やしたとの咎を以てで、これに関しては申し開きをするつもりはない。
だが腹を斬らず斯様な仕打ちを受けてまで生き延びているには、わけがある。
自分にはまだ幼い子がある。二歳になる娘である。
その娘を残して、今この身が死ぬわけにはいかない。
幸いなことに、秘かに貯めた金は今でも町方へと預けており、その所在は奉行には知られていない。
自分が牢を出た暁には、数百両もの金が戻ってくる算段となっている。
だが今は金より妻子に一目でいいから会いたい。
ここを出してくれるのであれば、まずはお前に百両の金を支払うことを約束する。
だから和市よ、どうか手を貸してはくれまいか。
小助は、格子を隔てて和市の手を握り、涙を振り絞って語るのだった。
「お、お侍様、そんなわけがあったんかい。ならおらに任せてくらい」
「なんと願いを聞いてくれるか。ではまずはここから出るためののこぎりを用意してくれ。あとは脇差か何かあればいうことはないが、なければ鉈や包丁でも構わん。さすればあとはおぬしが月番のときに隙を見てここを抜け出す。おぬしには何も迷惑をかけぬゆえよろしく頼むぞ」
純朴な青年和市は、武士を疑うということを知らなかった。
次の月番が廻ってくると、さっそくのこぎりと鉈を持参して、番小屋へと赴いた。
「小助様、せわれた通り持ってきたど」
「これは有難い。さ、それをわしに寄越せ。礼はたっぷりするからな」
「おらは礼が欲しくてやってるんでねえ。小助様が娘様に会えねえってのがもうらしいから手伝ってるまでだ」
「おおそうであったな。本当におぬしのお陰で娘に会えるというものだ。感謝をしてもしきれぬぞ」
目頭を拭ってそう言った後、早くのこぎりを渡すよう小助は促した。
それを受け取るや否や格子を斬り落とし、人が一人通れる隙間を拵えると、身体をねじって、見事をそこを通り抜けた。
「小助様やったなあ」
「ああ本当におぬしのお陰だ。わしはこれから急ぎ松代へ行き、里へ返した妻に金のありかを告げてくる。娘に会ったその後は、金を持参してここへ戻って来るからな。おぬしも百両の金があれば、江戸で一生遊んで暮らせるぞ。吉原で遊女を買うのもいいかもしれんな」
「いやあありがとござんした。おらも小助様にしこたま礼をせわねばならねえ」
「ところで和市、脇差か鉈を持ってきてくれたか?あれがないと道中が不安での。金を持っていると賊に狙われるかもわからん」
「へえせわれた通り鉈を持ってきたど。脇差はさすがにおらには手に入らんだで」
「いや鉈でけっこう。おぬしを殺るにはこれで十分だ」
「へっ?」
小助は鉈を受け取ると、真っすぐ、和市の脳天めがけて振り下ろした。
「さてと、これからどうするかな」
小助は冷静に呟いてから、鉈の血を自らの着物で拭うと、和市の死体から着物と草鞋を剥ぎ取って、自らのものと取り換えた。
人目につかぬよう慎重に山を降り、村の入口まで来たところで、小助は迷った。
妻子に未練があるというのは真っ赤な嘘だが、金を隠してあるというのは本当である。
松代へ戻ればある程度のまとまった金が手に入る手筈となっている。
このまま山を越えて越後のほうへと姿をくらませば安全だが、無一文では、一生日陰者として暮らさざるを得ない。
さすればまずは松代へと戻って、資金を手にするのが得策と考えた。
鬼無里の里を見渡すと、チラホラと野良仕事をする村人が見えるだけで、通りには特に人はいない。
小助は手拭いで頬かむりをして顔を隠すと、鉈を帯に差して、堂々と里へと這入った。
顔は動かさずに正面を見据え、眼だけは小刻みに動かして四辺を伺う。
何食わぬ顔で歩みを進め、松厳寺の辻までやって来た辺りで、
「あら和市さんじゃない?こんなところで何してるの?」
背後から声がかかった。
小助はピタリと歩みを止めた。
「今月は番小屋の月番でしょう?お父様が和市さんのこと案じていたよ」
声の主は、鬼無里割元宮藤武兵衛の娘、あやめである。
ただ今の小助には誰であろうと都合が悪い。
後ろ手に鉈の柄を握りしめながら振り返って、
「あっ!和市さんじゃない…。お前様、なにもんだ?」
小助は応えなかった。
背中から取り出した鉈が、陽の光に照らされて妖しく光った。




