第一章 鬼無里村①
「おい鬼助はどこにおる?」
とある山寺に、黒衣を纏った老僧の声が響き渡った。
「和尚、鬼助は今中書院で掃除をしているはずだで」
雑巾がけの手を休めて返事をしたのは、まだ十歳前後と思われる背の低い少年である。
薄汚れた白小袖に黒の短袴を穿いて、何より頭を丸めているので一見して寺の小僧と分かる。
「何か用があるならおらがやらずか?」
雑巾を持った手に息を吐きながら、小僧は言った。
春を迎えたとはいえ、今は三月になったばかり。
この山中の気温は、いまだ低い。
小僧の顔には、当座の辛い雑巾がけから逃れられさえすればいいという、子供じみた考えが透けて見える。
老僧はそれを見抜いてか、或いは他の思惑があってか、
「ずくなしめ。いいから早う鬼助を読んでまいらんか」
きっぱりと小僧に言いつけた。
その口調から、和尚は、またいつものように鬼助に用事を言い付けるのだろうと察せられる。
自分も巻き添えを食らってはまずいと、小僧は慌てふためいて駆け出して行った。
中書院の廊下を、脇目も振らずに雑巾がけをしている少年がいる。
その背中に向かって、
「おい鬼助、和尚が呼んでるど」
丸刈りの小僧が声をかけた。
鬼助と呼ばれたほうは、年の頃ならば十二、三であろう。
こちらは前髪頭を麻紐で乱雑に結い、紺木綿の筒袖に、三尺帯を締めている。
身体の線は細いが、僅かに日焼けした肌は精悍な印象を与える。
一方で、黒々と伸びる睫毛は女人の如く麗しい。
鄙の山中に住む少年のわりに品よく見えるのは、その容貌ゆえか。
「和尚が?何の用だって?」
「おらにはよう分からん……。なんでも鬼助でなけりゃ駄目らしいから、早う行ったほうがよさそうやど」
小僧が若干の憐憫を含んで言うと、
「分かった、すぐ行くで……」
少年は固い表情で俯いた。
まるで、これから何か良くないことが起きるのを、覚悟しているかのようである。
「鬼助、おめもいっつも大変だなあ。おらが代わってやってもええんだけど、和尚はおめにだけあんな調子だしなあ」
「克林ありがとな。とにかく早う和尚のところへ行かなけりゃいけねえさな」
小僧の肩をぽんと叩いて、少年は作り笑顔で駆け出した。
三月といっても、旧暦の三月なので、新暦で言えば四月くらいになります。
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