不出生主義
この手の話題が賛否両論あるのは仕方のないことだと思う。
人それぞれ、生まれ育った環境が違い、経験していることも千差万別だからだ。
「正しい」と信じていたことが、別の視点で見ると「間違っていた」ことになるのはよくある話だ。
どの立ち位置で物事をとらえているのか正確に冷静に分析することが肝心だ。
最終的に何に価値を見出しているのかが判断の根源なのかもしれない。
不出生主義(子供は要らない)
俺は生まれてこの方一度も子度が欲しいと思ったことがない。
大学生のころ、麻疹にかかった友達に「良かったな。タダでパイプカットが出来て。」と本気で喜んで声をかけたのだが、相手は微妙な表情をしながら「俺は子供が欲しい。」と言った。
俺には全く理解できなかったし、今も理解できない。
俺は、毎日「生まれてきたくなかった。勝手に生みやがって。」と何度もつぶやく。
生きていることに対して腹が立って腹が立ってしょうがないのだ。だからと言って死ぬ勇気もない。自殺は何度も考え実行しようとしたこともあるが、怖くてできなかった。
とんだチキン野郎だ。今もこの日本で1日あたり50人以上自殺しているようだが、正直に“凄い”と思っている。俺と違い実際に実行してのけたのだ。その勇気と行動には脱帽するしかない。
俺が小さいころに受けた教育に“人に迷惑を掛けない”との教えがあった。今もあると思うが。
“自分がされて嫌なことは、他人にもするな”とも。
俺は生まれたくなかった。心からそう思う。自分がされて嫌なことである。だから“子供を持つことは絶対にない。自分の血は自分で止める。苦しい思いは俺の代で止める。”
確か中学生のころに自分自身に誓った言葉だ。
現在、俺は59歳。独身・子なし。あの時の自分の誓いは実現している。
仕事中の世間話で、部下が「現在不妊治療中なんですよ。」と言ってきた。俺は聞こえないふりをした。すると、また部下が「現在不妊治療中なんですよね。」と言ってきた。俺は完全にスルーすることにした。部下は俺から「大変ですね。」の言葉が返ってくるのを期待しているのだろうが、俺はそんな言葉は言いたくない。俺の本音は「馬鹿か。」だからだ。
だいたい不妊治療がそもそも間違っている。普通に子供が出来ないのならそれまでだろ。
なぜ、無理して子供を作ろうとするのか。それによって生まれてきた子供は本当に幸せか。
不妊治療の上、生まれてきた子供が障害児だったなどとよく聞く。俺から言わせば、当たり前だ。普通に生まれないはずの子供を科学の力を使って誕生させるのだから何らかの障害がないはずがない。最近の子供に精神障害が多いのと不妊治療による出生率に関係があるのではないか。と予測している。
子供を持つ親たちはどういう考えをしているのだろう。
これまでの人生においてすべてが順調で“死にたい”とか“生まれてきたくなかった”とか1度も思ったことがないのだろうか。
それとも全くそんなことも考えず、“ただやることをやっていたら出来た。だから仕方なく産んだ。”のだろうか。
俺には全く分からない。
いじめの果てで自殺する子供がいる。この時俺は強く思う。自殺する前に復讐しろと。
いじめをしている側は、ほとんどの場合が無自覚または“記憶がない”という。
しかしやられ続けた側は、死ぬ時まで忘れない。きっかけさえあれば復讐してやるとの強い怨念は尽きることはない。ただ、ほとんどの人が実行する機会を得ず不完全燃焼のまま人生を過ごす。この精神状態が健康に影響を与えないはずがない。現在不安神経症に悩まされている方は心当たりがあるのではないか。俺もきっとそうだ。
最近、自殺した子供の親が学校や教育委員会に「事実の確認」の裁判の申し立てを行っている。いじめた張本人を特定して、徹底的に責任の追及をすることは大賛成だ。学校や教師などの“見殺し”にした連中にも責任を取らせるのは当然だ。
これらの「現実」を追求する姿勢は俺自身、賛同している。
ただ最近、別の考え方が頭をよぎる。問題の本質は別のところにあるのではないか。
そもそも親が子供を作りさえしなければ、その子供はいじめられることもなかったのではないか。
以上
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