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「婚約解消は諦めてほしい」
お茶会開始直後、殿下が発した言葉はそれだった。今まではまだ無理だとか大して進まない進捗度を伝えてくれていたのにこんなにもはっきりとした言葉を言われるなんて。
「何故でしょうか」
そう尋ねるしかない。けれど、殿下は私の問いに対して薄らと笑みを浮かべる。
「俺が君を、君自身を、気に入ったからかな」
「それ、は、どう言うことで」
「どうも何も、そのまんまだよ。そうだな、うん、はっきり言っておこうか。解消しない理由は君の隣に俺以外の異性が立つのが嫌だからってのもある」
殿下は一体何を言ってるのだろう。理解できるのに理解したくない。だって、私は嫌われるように立ち回ったはずなのに。そのはずなのに逆に気に入られるなんて、ありえないでしょう。
「殿下は私の噂をご存知ない?」
「いいや、知ってるよ。でも、どれもこれも嘘ばかりだ」
そうは言うけれど、本当は知らないだけなのではと思ったけれど、それが顔に出てしまったのか、殿下はにこりと笑う。そして、口を開いたそこから出てきたのは王都を中心に噂されている私のこと。間違いなく、知っていた。
「でも、男爵が更迭になったのも、男を飼ってるだとか言う話も事実を嘘で塗り固めたもの。実際は男爵が不正を行っていたがために更迭になった。男を飼っていると言うのだって君の商会の従業員になっただけ」
違う? と首を傾げる殿下。商会のことまで知ってるなんて、まさか影を使ってる??
「君は聡いからわかってると思うけど、俺にも影や諜報員なんかはいるからね」
「私などにそのような貴重な人材を使われる必要はないかと思いますが」
「そう? そんなことはないと思うよ。だって、俺の婚約者なのだし、悪い噂があるのならば、調べる必要があるのは当然だろ?」
確かにそれは一理ある。悪い噂のあるものを婚約者に添えておくのは良くないことだろう。待って、悪い噂があるのなら、それだけで解消する理由になるのでは。
「ハッと気づいた顔しても無理だと思うよ。父上も母上も君の悪い噂の事実に知っている。そして、君が公爵家がそれを放置しているのも」
そうよね。あの妃殿下が知らないはずがない。それにお父様に関しては変に執着する陛下もお父様が関わらなければ、非常に優秀な方らしいし。我が家が放置してるのは最初こそ婚約解消の礎にしようと考えてたからだ。けれど、次第にそれを篩とした。おかげでちょっと怪しい家とは距離を置けている。
「そうか、ジラルディエール嬢も背の低い男は嫌だよな。一応、侍従のイニャスはこれから伸びるって言ってくれてるんだけど」
「何を、突然」
「別に突然でもないんだが。この悩み。だって、ジラルディエール嬢って公爵や夫人によく似て、背がもう高いだろ。そうなると背の低い俺だと姉と弟みたいに見えるだろ」
いえ、突然です。突然だから。何故、悪い噂の話から身長の話になったのか。確かに殿下は今、小柄だけど、学園を卒業するくらいにはそれなりの身長になるって。よく男の子の成長期は遅いって言われてるし、殿下はその通りなんだと思う。ただ、身長伸びますよと断言することはできない。なんで、断言できるのかって答えられないから。
「別に私は相手の身長など気にしません。それに男の方は成長期が遅いと聞きますし、知り合いの孤児院の子供達中には後からグンと伸びた子もいるそうです」
孤児院の子供じゃないけど、キバチも拾った頃は小柄のガリガリだったのに今ではお兄様と同じぐらいの身長になっている。だから、日頃から鍛錬やきちんとした食事をとっている殿下がゲーム云々を除いても小柄なままであるはずがないと思うのよね。
「そうか、ジラルディエール嬢にそう言ってもらえると期待できるな」
「……私に笑いかけないでくださいまし」
「何故?」
「……何故って」
嬉しそうに笑う殿下の顔は眩しい。それにそれを向けられるべきは私ではない。だから、そう言ったのに首を傾げられる殿下。
「俺を好きになってしまうから?」
「…………」
「無言は都合のいいように取らせてもらうぞ」
何故、今日の殿下はこうもグイグイとくるのだろう。最初は偉そうだったけど、いつからはわからないけど今まではちょっとオドオドしてたじゃない。何があったと言うのか。あ、あった。妃殿下に呼び出しを受けてた。もしかして、妃殿下が何かをしたとしか思えない。
「ジラルディエール嬢」
一体、妃殿下に何を言われたのだろう。私を籠絡しろとでも言われたのかしら。
「ローズモンド」
「!!」
「あぁ、やっと俺を見てくれた」
耳朶を打った声にバッとその方向を向けば、目の前には満面の殿下の顔。近い。
「近いですわ、殿下」
「気づかなかったローズモンドが悪いんだよ」
「……名前」
「婚約者なのだからいいだろ。まぁ、今更聞くのもアレだから、勝手に呼ばせてもらったけど」
正面に座っていたはずの殿下はいつの間にか私の隣に来ていた。えぇ、考えに没頭してしまって殿下の動きを気にしてなかった私が悪い。
「そもそも、母上が先にローズモンドの名前を呼んでるのズルいし」
意味がわからない。ただ、拗ねた顔は可愛い。いや、それではない。そっと距離をとってみたけど、すぐに詰められた。
「あぁ、そうだ。俺のことも名前で呼んで構わないから」
「いえ、遠慮いたします、殿下」
私が殿下と言った瞬間、殿下の唇が弧を描く。え、なに、怖いんだけど。
「別にね、殿下と呼ばれてもいいんだけどな。でも、気に食わないな」
どうしようかなと言っている殿下。気に食わないとはどう言うことか。
「で、殿下」
「そうだな、こうしようか。これから、『殿下』と呼ぶ度、俺から君に口付けをしよう」
普通逆では!? いや、そうじゃない。そうではないわ、私。
「あ、あの、でんーー」
「そう、呼んでいいの? 言っておくけど、俺は君に口付けることに忌避はないぞ?」
手を取られ、そこに口付ける真似をされる。いや、手だけなら。
「あぁ、手だけじゃないからな。髪でも頬でも、なんだったら唇にだって、するぞ?」
バレてた。手だけならと思ってるってバレてた。あぁ、幼い顔が色っぽく見える。
「ローズモンド」
本当にやめてほしい。優しく呼ばないでほしい。愛おしいとばかりに呼ばないでほしい。
「ローズモンド、君が何を不安に思っているのかは知らないけど、これからは覚悟しておいてほしい」
どう言う覚悟でしょう。私がそう問うよりも先に本能は現実を拒否したらしい。
目が覚めたら、王宮の一室だった。
ここまで、読んでいただきありがとうございます。
愛すると決めた結果、早速暴走するエルキュール。ローズモンドとしてはその過程が分からずキャパオーバー。
がんばれイニャス、お前がエルキュールのブレーキだと思ってしまう作者だった。まぁ、そのブレーキも今回は役になってないわけだが……。
「いい手だと思ったんだが」
「いきなりすぎで、ジラルディエール嬢混乱してたぞ」
「混乱してた方が、本音を引き出しやすいかとも思ったんだ」
「その結果は」
「後で見舞いの花でも持っていこうと思う。あ、お菓子の方がいいだろうか」
「まぁ、そこは好きにすればいいんじゃね」







