隣家の妹
6/18 誤字報告をいただきました。
床の上に広げられたのは、四色の丸が並んで描かれたマット。
その上で極限の一歩手前を感じさせる複雑なポーズを取る少年少女。
いつもは微笑を張り付けたような顔を崩さない少年が、赤い頬に涙目で昭君を見上げる。
「あ、昭おにいさん……(た、助けてください)」
なんとなく、少年の心の声が聞こえた気がした。
彼の名は羽恒くん。
三倉家のお隣さんである、水島家の長男である。
そして、年齢的にそろそろ早熟な子は思春期である。
「あ、昭おにいさん、こんにちは」
「ああ、来てたんだ。羽恒、叶衛」
昭君を見上げる、三対の瞳。
マットの上で絡まる明ちゃんと羽恒君。
その隣、スピナーの隣に正座しているのは羽恒君の妹である叶衛ちゃんだ。
羽恒君と同じく、貼り付けたような微笑みがデフォルトの美少女である。
彼女は楚々として微笑みながら、スピナーをにこにこと操作している。
「次、お兄様は右手を赤です」
「叶衛、一旦やめよう。昭おにいさん、何がご用があるのでしょう」
「別に続けてくれても構わないけど?」
「いえ、よく見れば他にもお客様がいらっしゃる様子です。この状況で明ちゃんの部屋に来るということは、それなりのご用件では? ね、明ちゃんもそう思いますよね」
羽恒君は、気になる幼馴染みの女の子(明ちゃん)と半強制的に密着せざるを得ない状況に限界を感じていたのだろう。いつもの彼らしくない必死さで昭君を縋るように見上げている。
そんな少年心には気づいていない様子で、同意を求められた明ちゃんは素直に驚きでこくこくと頷いた。
「そうね、すごくびっくりしてる……さくま(仮名)君はわかるけど……お兄ちゃんが、小夜お姉ちゃん以外の女の子を連れ込むなんて!」
「明、僕が連れ込んだ訳じゃ無くて、この子は父さんの客だよ」
「お父さんの!?」
「より正確に言うなら、父さんのお友達が連れてきたお孫さんだよ」
「は、はじめまして、お邪魔しています。萬美です……」
昭君に前へと出され、萬美ちゃんは戸惑いながらも頭を下げた。
天狗の里で生まれ育った彼女には、目の前に広がる光景がどんな状況なのか掴めていない。
年頃というには少し若すぎるけれど、それでも未婚の男女が床の上で絡まっているのだ。
奇怪なポーズで。
しかし密着している事実は事実、これは問題ではと思うのに、周囲の誰もが平然と視覚情報を受け入れている。え、みんな気にしないの? これ、私の方が気にしすぎなの?
疑問に思うのに、答えは自力で見つけられそうにない。
仕方が無いから恐る恐ると、物申す。
「あ、あの、それでその……これ、どんな状況なの?」
女天狗の疑問に答えたのは、この場で最年少の少女……叶衛ちゃんであった。
「それは私がお答えしますわ。ふふ、このゲーム、我が家の納戸に眠ってましたのよ。一人で遊べるものでもありませんし、ルールもよく判らなかったので我が家のお兄様と明お姉さんをお誘いして試しに遊んでみているところでしたの」
「へ、へえ、そう? なんだか大人びたしゃべり方をする子ね……どんなゲームかよくわからないけど、ちょっとはしたないと思うわ。どんなゲームかよくわからないけど」
「この操作盤で指示された通り、手足をマットの色丸に置いていく遊びですわ。ご一緒になさいます?」
「私は……ちょっと、遠慮するわ」
「それ、さくま(仮名)が参加したら敵無しだと思うよ。それより明、この子に服を貸してあげてくれない? 父さんからこの辺の案内するように頼まれたんだけど、今の格好だと町歩きに適さないから」
「お兄ちゃん、女の子の格好にその言い方は……あー……うん、そうだね。それじゃあその子に似合いそうな服を出すから。羽恒君、叶衛ちゃん、そういう訳だから遊ぶのはここまでで良いかな? ごめんね、遊んでる途中だったのに」
萬美ちゃんの服装(修験者風)を見て、さすがに明ちゃんもあんまりだと思ったのだろう。
ブリッジした体勢のまま、困ったように眉尻を下げて隣家の兄妹への謝罪を口にする。
だけどこれ幸いと、むしろこの気を逃すなと羽恒君は積極的に乗っかった。
彼の右足も明ちゃんに乗っかっていたけれど、それよりも力強く乗っかった。
「いえ、とんでもない。僕らのことは気にしないで、明ちゃんも彼女の支度を優先してください。ほら、僕達がいてはお邪魔でしょうし」
今まで強張っていた顔に、常の胡散臭い微笑みを取り戻し。
羽恒君は自分の妹の後ろ襟を掴むと、昭君やさくま(仮名)君の背中をずいずい押しながら明ちゃんの部屋を後にした。
部屋に残されたのは明ちゃんと萬美ちゃんのみ。
「萬美ちゃんだったよね。スカートとズボンどっちが良いかな」
明ちゃんは何の疑問も持つこと無く、萬美ちゃんに困ったような笑みを向けた。
一方その頃、廊下に出された男ども+叶衛ちゃんは。
羽恒君は深く、深く、肺の中の空気を全て吐き出す程に深く息を吐いた。
そのまま無言で、じっと自分の妹を見つめる。
真顔だ。
感情というものが消え去った、真顔だ。
いつも胡散臭い優しげな微笑みを貼り付けた顔がデフォルトなのに、今は一切の表情が排除されている。
妙な緊張感を帯びる羽恒君の隣で、さくま(仮名)君がきょとりんと首を傾げている。
「それで、叶衛殿は何がしたかったのでござるか」
「先ほども言いました通り、我が家の納戸で遊んだことの無い玩具を見つけましたので、試しにお兄様達に遊んでいただこうとーー」
「叶衛」
じっと。
じぃぃーーっと。
羽恒君は微笑みを貼り付けた妹の顔を見た。
「それで、本当のところは?」
「いつまでも煮え切らない、進展の一切無いお兄様の恋に助力しようかと」
「それで、本当に本当のところは?」
「いつもすましていて綺麗なお兄様のお顔が、羞恥と戸惑いと混乱で狼狽えている場面を見てみたいという、私の細やかな妹心ですわ」
「叶衛」
うふふふふ、と。
叶衛ちゃんは柔らかく笑み声をこぼす。
「あら、そうです。もう今日はお遊びはお終いとのことですし、私、納戸から引っ張り出してきたこの玩具を仕舞ってきますわー」
「叶衛」
兄から注がれる無言の追求と、
叶衛ちゃんはあくまで和やかとスピナーとマットと取扱説明書を抱えて立ち去った。
これは面倒な状況に、逃げたな。と。
羽恒君には判っていたけれど、見逃さざるを得なかった。
何しろ明ちゃんが、早々と萬美さんお身支度を調えて出てきたためだ。
明ちゃんに背を押されて部屋から出てきた、萬美ちゃん。
そんな彼女の服装は、今や修験者風の装束からレモンイエローのワンピースに替わっていた。髪も明ちゃんのものらしいシュシュでまとめられており、盛大なイメージチェンジとなっていた。
「どう、かな。この格好なら人混みの中で悪目立ちしない、かな?」
「はは、似合うでござるよー。萬美殿ー」
「お兄ちゃん、萬美ちゃんに聞いたけれど、萬美ちゃんもうすぐこの近所に引っ越してくるんだよね。だから、近隣の案内をするって聞いたけど……」
着替えを手伝う内に、打ち解けたのだろうか。
萬美ちゃんの腕に手を添えたまま、明ちゃんは自分の兄の顔をじぃっと見つめた。
いつもと変わらない、感情の波が見事に凪いだ瞳が見返してきた。
「……道案内、私も一緒にいく。お兄ちゃん達だけだと心配だもん」
「ああ、それじゃあ僕もご一緒しようかな。昭おにいさん、僕が同行しても構いませんね」
明ちゃんの言葉に、親切そうな顔で参加を表明するのだが。
羽恒君のその顔は明ちゃんとの密着で狼狽えた、先程までの情けない自分を無かったことにしようとしているかのようだった。
それぞれが身支度を、整えて。
三倉家の敷地から出てきた少年少女達。
連いてくることにした明ちゃんは、兄に疑問を投げかけた
「それでお兄ちゃん、最初はどこから行くの?」
やっぱり近所の便利なスーパー?
それとも病院とか重要な公共施設から?
だけど昭君の答えは、明ちゃんの予想したどことも違った。
「それじゃあまずは地区公民館から行こうか」
地区公民館、とな。
確かにそこも必要だろう、災害時には避難場所に指定されるだろうし。
だけど、地区公民館……。
釈然としない気持ちで、明ちゃんは怪訝そうな顔をしていた。