天狗の孫娘、その名は萬美
私は天狗の娘。
天狗の郷で生まれ育った。
名付け親は私の母。
だけど私はこの名前が嫌い。
それこそ、小さな頃から。
「かか様、かか様、どうしてわたしの名前はお花の名前じゃないの? さくらにに様もぼたんにに様もお花の名前なのに」
「え、おはな?」
「……ちがうの?」
首を傾げる母の姿に、嫌な予感がして由来は尋ねなかった。
ますます自分の名前への不信感が高まる。
だから、じじ様が私を下界に……人間社会に勉強に出すと決めた時。
「そうじゃ、戸籍やら住民票やらを偽造せねばならんのぅ。どんな書類が必要なのか、あやつに聞いておかねば……」
「じじ様、今から書類を作るの? ……私の名前の?」
「うん? そうじゃな」
「だったら私の名前、違う名前にしてください! 本名では嫌なのです!」
……私は、ばんび。
名前の意味はまだ知らない。これから知る予定もない。
じじ様にお願いしたら、じじ様は、少し考え込んで。
「そうじゃな、名前に漢字を当てて『萬美』。別の読みを当てて『まみ』とでもするかの」
こうして下界での私の名前は『山上 萬美』になった。
その名前が偽りだとしても構わない。
私はこれから、ずっと『萬美』と名乗って生きていこうと思う。
母には少し悪い気もするけれど、どうせ碌な由来じゃないだろうし良いでしょう。
ある日、じじ様に連れられて山を下りた。
天狗の郷を出るのは初めてだ。
下界で暮らし始めるに先立って、色々な準備が必要だという。
その次いでに、じじ様が準備を進めている間に、下界にいるじじ様の『古い友人』にこれから生活を始める下界の街を案内してもらえという事らしい。
連れられて行った先、立派なお庭のあるお宅。
初めて会った『じじ様の古い友人』を見て、私は衝撃を覚えた。
――『王子様』がいる!?
そこにいたのは金色の髪に青い目で、白い肌の美丈夫だった。
内心の驚きが、口から叫びとなって出てしまいそう。
はしたないから、必死で堪えた。
じじ様の嘘つき。
日ノ本には絵本に出てくるような『王子様』は存在しないって言ったのに。
幼い頃、天狗の郷でも稀な『孫娘』を殊の外可愛がったじじ様は、いろんな物を与えてくれた。
その中に、下界の絵本が何冊かあった。
描かれていた『王子様』は、いずれも金髪に青い瞳。
お姫様を救い出す、きっと下界での理想の『恋人像』。
そんなものが目の前に現れたら、驚かないでいられるはずもない。
思いがけない出会いに、ドキドキした。
けど、すぐ冷めた。
だって『王子様』、妻子持ちだったんだもの……。
なんというか、なんだかなぁ。もう。
無駄に疲れた。
ぼうっとしながら、案内された縁側でお茶をすする。
ぽかぽかな陽気が気持ちいいなぁ。
良いお庭だなぁ。
じじ様と『王子様』が、なんかつまらない話に花を咲かせている。
話が合う、という時点でこの『王子様』、若く見えるけどさては爺か……。
ぼんやり庭を眺めていると、ひょいっと。
こう、脈絡もなく、ひょいっと。
庭の生垣を、なんか覆面のお兄さんが飛び越えてきた。
え、なんて自然な不法侵入……。
あれ良いの? 大丈夫? 家主、目の前にいるよ?
驚いていた私が、家主に声をかけるより早く。
覆面の人は、大きな声で遊びの誘いを投げかけていた。
……どうやら、このお宅のお子さんのお友達らしい。
友達、選んだ方が良いんじゃない? ここの人。
いや、郷でも仲の良い間柄だと勝手に家に入ってきたりするけれども。
さすがに生垣を飛び越えてくるのは……どうなんだろう?
昭殿、そう呼びかけて覆面の人が寄ってくる。
近づいて、気付いたのか。
覆面の人が気まずそうに襟首を掻きながら、私達に声をかけてきた。
「来客がござったとは、申し訳ござらぬ。お客人を驚かせてしまい申した」
「いや、構わぬよ。元気が良いのは良いことじゃて。ここのお子さんのお友達かのう」
「うちの三番目の子のお友達だよ。さくま(仮名)君という」
「さくま(仮名)でござる。お騒がせ申してすみませぬ」
……どうして誰も覆面していることに触れないんだろう?
あと(仮名)ってなに?
下界の人間って、不思議な名前を付けるのね。
不思議に思って首を傾げると、何故か覆面の人も首を傾げた。
曇りない、純粋な眼がじじ様に寄せられている。
「おじいさん、どうしておじいさんはそんなに大きな御鼻をしているのでござるか?」
「うん? おお、それはのぅ……」
「天狗だからだよ」
「……」
「あ、昭殿! こんにちはーでござるー」
「こんにちは、さくま(仮名)」
覆面の人の声に誘われて出てきたのは、私より少し年上くらいの男の子だった。
顔は母親似なのかな? 金髪でもないし、『王子様』ともあまり似ていない。
あ、いや、ちょっと待って。
いまこの人、じじ様のこと天狗って言い当てなかった……?
「それで昭殿、いまこのおじいさんの御鼻について何と申したでござる?」
「天狗」
「一目でひとの正体を言い当てるのは止めてもらえんかのう……」
「こら、昭君。天狗を指さしちゃいけません。あ、この子はうちの三男で昭君だよ」
「……見鬼の才は細君譲りかのう」
「いや、前に一度会わせたから。それで覚えてたんじゃないか?」
「ああ、あの時の子か……いきなりお前さんの名付けについて質問に来た。いや、じゃが今の儂は人間に化けておるんじゃがなあ!? あの時とは姿が違うぞよ」
「なるほど、おじいさんは天狗さんでござったか! だから山伏風の恰好をしているんでござるな! ではこちらの女子も天狗さんでござるか?」
「「あ」」
覆面の人の言葉に、何を気付いたのか。
じじ様と『王子様』が、露骨に「しまった」という顔で私に視線を向けた。
え、一体何なの……?
さっきから、よくわからない展開で。
私はこの時、話について行けていなかった。
結論から言うと、私の『天狗の郷風』の恰好は下界に馴染まないらしい。
馴染まないというか、あからさまに浮く。
特に私のような『若い女の子』なら奇異の目で見られる格好だったらしい。
ああ、どうりでここに来るまでじろじろと視線が……私の恰好、おかしかったのね。
そういえば山を下りてから、私達と似たような恰好をしている人を一人も見かけていない。
恥ずかしい思いをしたと憤るべきか、新生活を始める前に気付いて助かったと胸をなでおろすべきか。
「これは街を案内してもらうついでに、当座の衣類も調達すべきかの」
「その前にこの格好で散策させるのは可哀想だろう。ああ、それと当座の衣類っていうけれど最低限の衣類を揃えられるだけの現金の持ち合わせは? 人間の使う通貨はちゃんと準備してあるだろうね?」
「そこは抜かりないぞよ! お主から預かっていた水晶髑髏を売っぱらって結構な額を手に入れたからの!」
「おいこらちょっと待て」
あら、今、じじ様と『王子様』の友情にひびが入る音が聞こえた気が……
「あの水晶髑髏どこに売ったって!? あれは私の友人の形見だって知っているだろう!? 込められた怨恨が強すぎるから、霊地で天地の気に晒して浄化する為に預けてたのに!? あれを世に解き放ったの!? 化けて出たらどうしてくれる!? がしゃどくろ的な!」
「安心せい、清めは終わっておる。つい三週間ばかり前に」
「浄化が終わったなら知らせてほしかったかな! そして返してほしかったんだがな!?」
「ちいとばかし、先立つ物が必要でのう……物件を借りるには敷金礼金も必要じゃし」
「金を作る当てなら他にもあっただろう! それこそ相談してくれたら真珠払いで都合したのに!」
うららかな日差しの中、鶯の鳴き声が聞こえる。
私の隣からは、醜い争いの声が聞こえる。
どう考えても、私の身内の有責で争う声が。
じいっと私と、『王子様』の子と、その友達が大人達を見つめる。
その視線に気付いてか、『王子様』はハッと我に返って私達に笑顔を向けた。
「ああ、ごめんね。みっともない所を見せて。ちょっと私とこのおじいさんとで『大人の話し合い』が必要になったんだ。街を案内する約束だったけど……ああ、そうだ。昭君、さくま(仮名)君、私の代わりに彼女に街の案内をしてくれないかな。彼女は今度、この街に引っ越してくる予定なんだ。色々と知っておいた方が良い場所とか、教えてあげてくれないかな」
大人の私より、世代の近い君達の目線で案内してあげた方が役立つかもしれないしね。
そう言って微笑む、年齢不詳の『王子様』。
皮の指抜き手袋? をはめながら、そんなことを言う。
「父さん、『大人の話し合い(拳)』は結構だけど、家ではやめたら? 母さんがすっ飛んできて、天狗のおじいさんを調伏しかねないよ。母さん、因縁がある分、『天狗』には容赦しないから」
……このお宅の母君って何者かしら。
天狗って強い部類のイキモノなのだけれど、調伏? できるの?
「ああ、それもそうだね。じゃあちょっと近所の河原にでも足を延ばすか……もちろん、来るよね?」
「誰も逃げぬわ。見縊るでないぞ。儂とてまだまだ現役じゃあ、お主に目に物見せてくれるわ」
「反省が見えないな、この天狗め」
こうして、慌ただしく大人達が出ていって。
その場には私と、男の子ふたりが残された。
なんとなく、微妙な空気が漂っている気がするの……え、これ大丈夫?
いま初めて出会った、この子達に案内されるの? 私?
なんだか空気が張り詰めてる気がするし、この子達も嫌なんじゃあ……私、ここでじじ様の帰りを待っていた方が良いんじゃ…………
「昭殿、昭殿の父上は大丈夫でござろうか。あまり肉体派には見えぬでござる。天狗殿の方は、ゆったりした衣類で見た目上はそう見えぬでござるが、鍛え上げられた筋肉を感じたでござるよ」
「大丈夫でしょ。父さんだって長く生きてるし、自分の分は把握してるんじゃない。あの顔だし、過去には危険を退ける為に武威を示す必要がうんたらかんたらって前に言ってたし。酒が入った時に」
「昭殿の父上って強いんでござるか?」
「コロッセオで拳闘奴隷相手に三年戦い抜く程度には?」
「何の例えでござるか、それ」
「例え、ね。例えか……それはともかく、ばんびだっけ」
「萬美です! なんで名乗ってもないのにその単語が出てくるんですか!?」
「萬美ね。とりあえず外行く前に着替えが必要だね」
「いえ、あの、え……?」
え? 本当に案内する気?
このお兄さん、なんだか底知れない気がして、ちょっと怖いんだけど……。
「年齢的にも体格的にも合うだろうし、僕の妹に服を借りよう」
「妹さんがいらっしゃる?」
え、だったらこのお兄さんより、その妹さんに案内してほしいかも……
戸惑いを前面に押し出しているのに、気付いては貰えない。
とりあえず家に上がってと、妹さんの部屋に連れていかれた。
部屋のドアには、『明』の文字。
明さん? それとも明さんとおっしゃるのかしら。
「明ー、ちょっと良い」
外れたわ。
そう、明さんというの。
あの『王子様』の娘で、この昭さんの妹……あら? どんな子なのか想像できないわ?
そうして、入室許可の声があって。
昭さんがドアを開けた、その先で。
床の上、私と同じくらいの年頃の男女が、複雑怪奇なポーズで絡まり合っていた。
えっと、これ、私どんな反応をすれば良いの?
とりあえず、これだけ言わせてほしいわ。
――ふ、ふしだらだわぁぁああああああああっ!?
さて明ちゃんの部屋では何が行われていたでしょう?
a.ツイ●ター
b.ツイ●ター
c.人間知恵の輪ごっこ
d.ツ●スター
ちなみにばんびちゃんのママンの実家は精肉店。