魔法の発達に職を奪われた男
「何が『遠距離通信魔法が開発されたから…』だよ!ジャミングされたらどうするつもりだってんだ!」
王都の片隅にある小さな酒場に、みっともない喚き声が響く。
金髪で痩身、髭をきれいに剃っていなければ浮浪者と間違えられそうな身なりの男は、ジョッキいっぱいに注がれた安酒をあおるとさらに声が大きくなった。
彼の名はロイ。伝令兵だ。
平時は新政策のお触れだとか指名手配犯の似顔絵だとかを各駐屯所に配って回り、戦時は前線と後方司令部の間を、魔弾降りしきる中走って情報を伝える。
そういう仕事だ。
…いや、そういう仕事だった。
というのも、厄介な魔法が開発されたせいで、彼がいかに自慢の脚力を発揮しても、到着する頃には情報が行き渡っていることが増えてきたのだ。
しかもこの魔法、魔力の消費も少ない上に覚えやすいらしく、今後はわざわざ危険な戦地を走り回る必要も無いという。
そんなに簡単ならどうして今まで発見されなかったのか、という疑問もあるが、得てして新技術というのはそう言うものだろう。いずれにせよ、彼にとってはとにかく迷惑極まりない話だった。
「伝令兵がなければ騎士団はヴァイスヴァルドの戦いで全滅してたんだぞ!それなのに…それなのに!!」
「飲みすぎだ、ロイ。世の中、お前の価値をわかってくれる人はちゃんといるって。僕みたいにね」
荒れるロイをなだめる筋骨隆々とした大男は、ロイの無二の親友。クロイツ・ドラグーン。
龍を乗りこなし、数々の武勲を立てたという伝説の英雄シリウス・ドラグーンの末裔にして、稀代の軍神と名高いハイドリヒ・ドラグーンの次男。
高貴な出身で、本来なら平民のロイなどと対等に酒を酌み交わすことなどあり得ないのだが、名家のぼっちゃんにも相応の悩みがあるようだ。よく父親のハイドリッヒ将軍や兄のギュンター近衛兵長と意見を違えては、ロイと連れ立って安酒屋で愚痴り合う。
さっきも真っ向から将軍と対峙してロイを庇い、父の怒りを買ったばかりだという。何故かロイとは妙に馬が合うらしい。
「そうは言うても、足の速いだけの輩など他にいくらでもおるじゃろ。その“つーしんまほー”とやらよりの方が速く伝達できるのじゃろ?お前から足の速さを取ったら何も残らんからの、クビになるのも当然じゃ」
「何だと?もう1ぺん言ってみろ、ただじゃ…」
「ほう、何をしようというのじゃ?物理スキルも魔法も使えず、非力すぎてその辺のリスにすら傷1つ付けられぬ雑魚がよう吠えるわい」
「流石にそこまで弱かねーわ!」
憎まれ口を叩く幼女(そう、口調こそ年寄りじみているが幼女なのである)はニア。
3歳の頃には既に聖術を操り、5歳にして教皇を超えたという神童。今年で10歳になる。
聖女として崇め奉られており、彼女の聖術で癒された者は幸福な一生を過ごすことができる-などなど、まことしやかに語られているが、実際に誰かに聖術を掛けたという噂が流れたことはない。
まだまだ見た目も中身も幼いが、純白に輝く豊かな髪に縁取られた容貌は非常によく整っており、将来は絶世の美女となること請け合いだ。本来、下々の者が近づける御仁では無い為、我儘でお転婆な気性は一般には知られておらず、稀有な聖術の才を抜きにしても抜群の人気を誇る。
そんな彼女が何故このような寂れた安酒屋に居るかと言えば、以前ロイに競走で敗れて以来、何かと突っ掛かってゆくようになったからだ。
競走と言っても、ロイが仕事で走っている横で、ご自慢の聖術でバフしまくって勝手に並走しようとして、あっさり千切られたことへの逆恨み。時折こうして飲み屋に付いてきては、ふんぞり返りながらオレンジジュースをたかる。
無論、そのような事情を知らない他の客達は、どこの馬の骨ともわからない男がどうやって聖女様に気に入られたのか、なんて話題で持ち切りだ。吹けば飛ぶようなオンボロ小屋が満杯になるほどにこの店が繁盛しているのは、王都七不思議にすら数えられる彼ら2人の関係性が大いに貢献しているからだろう。
「もう、ニアちゃんもそのくらいにしましょうよ。今日はロイのお別れ会なのよ?」
「やかましいわい!こんな奴甘やかしても仕方なかろう!」
「何のために来たのよ…まったく、最後くらい素直になればいいのに」
「ど、どういう意味じゃ!?」
「何でもないわよ。ニアちゃんらしいし、いいんじゃないかしら」
何故か呆れた様子の美女はマリン。“蒼の癒し手”の異名を取る宮廷魔道師だ。
蕩けるような美貌と、ローブを押し上げる母性の塊…訓練で怪我をすると、こんな美女が慈愛に満ちた微笑みを浮かべつつ回復魔法を掛けてくれるものだから、女っ気のない訓練生活を送る兵士達は皆、為す術なく彼女の虜にされてしまう。
一方で、魔道師間の評判は何故か悪く、何かとストレスが溜まるのだろう。時折ロイとクロイツの愚痴祭りに乱入しては、彼らを足して2を掛けたくらいの愚痴を撒き散らす。…ニアがいるときは慎むことにしているようだが。
普段は聖女以上に聖女らしいとまで称される彼女も、本性を知っているロイとクロイツにとっては酒癖の悪い酔っ払い。お陰で魅了されずに済んでいる様で、またマリンにとっても変にヨイショして来ない彼らの側は居心地が良いのだろう。
「ところで、これからどうするんだい?」
「取り敢えずしばらくは冒険者として、配達系の仕事で凌ぐっきゃねえだろうな…」
「故郷に帰ったりはしないの?」
「元々王都スラムの出身だし、帰る場所なんざねえんだよ」
「なんじゃ、これでお別れという訳ではないのか」
「良かったわね、ニアちゃん」
「なっ、何を言うとるか!もう2度とこやつの辛気臭い顔を見ずに済むと思うておったのに残念なくらいじゃ!」
「ああそうかよ!こっちだってこれ以上クソ生意気なガキの子守りをさせられるなんざゴメンだぜ!」
「まったく、素直じゃないんだから…」
「どっちもどっちだけどね…」
ロイの兵士最後の1日は、いつもの仲間と騒いでいる内に過ぎていった。