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没落令嬢の旦那様  作者: くまきち
おまけ
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いつもと変わらない日々

 柔らかい日差しが厨房に降り注ぎ、ここで眠ったら気持ち良さそうだなあと思いながら。

 わたしまで眠るわけにはいかないと思い直し、慌てて首を横に振ります。


「息、してるのかな?」


 規則正しく揺れている様子から、息はしているようですけれど。

 静かにうたた寝をしているリュードを起こさないように、そっとヤカンに手を伸ばします。




 わたしがこの家にメイドとして来てから、もう五年以上が経ちました。

 四人だけの静かな家は六人に増えても、家に来る人は増えません。


 見つけにくいことが原因ですけど、積極的に来る人も元々いない家です。


「奥様のご友人のフェイナ様、友人らしき・・・ニエラさん」


 それ以外では殴られ続けても通ってくるファウム家の二人と指折り数え、少ないにもほどがあると気が付きました。


「それよりも、女性はまともなのに男性はみんな変態とか最悪……」


 国で有数のお金持ち、ファウム家の現当主と次期当主を変態というのもアレですけれど。

 奥様に何度殴られても舌打ちされても向かってくるのですから、変態という呼び名で十分です。


 ……こんな男性しか周りにいないから、結婚する気がないというのに。


 実家から届いたばかりの手紙をつまんで、婚約者とはどうなったのかという文面に眉間を寄せます。




 シュンシュンと湯気を出し始めたヤカンの火を止め、ポットにお茶を淹れていきます。


 相変わらず寝息一つ立てないリュードは眠り続け、外は少しだけ風が流れたようです。庭の木が揺れて、カサカサと小さな音が聴こえてきました。


「ふう……」


 カップに淹れたお茶を飲んだら、一息吐いて手紙を開きます。

 そこには実家に挨拶をしたはずの婚約者・・・とは、どうなっているのかという言葉が並んでいました。


 わたし自身に結婚願望はまったくありません。

 下の弟妹きょうだいが多かったことで、子育てもお腹いっぱいです。


 それでも両親を安心させようと、里帰り途中のリュードを使った・・・ことに、今頃、頭を抱えることになるなんて。


「……」


 わたしが悩んでいることにも気付かず、とても静かに眠っているリュードを見やります。


 奥様には何度か、「結婚しなくていいのか」と訊かれたことがありますけれど。

 旦那様の実家とのゴタゴタや産まれてきた双子の世話で、やっぱりお腹いっぱいな気持ちだというのが正直な本音です。




 外で揺れている草木と、柔らかい春の日差し。

 厨房でのんびりと眠る、執事で庭師の同僚の寝顔と美味しい紅茶。


「正直、今の生活にはけっこう満足しているからなあ」


 子育てはお腹いっぱいでも、自分の子供というものには興味があります。


 けれど、興味があるというだけで。

 誰の子供でもいいわけではありませんし、何がなんでも産みたいわけでもないのです。


 まだ二十歳ちょっとで、この心境はいかがなものか……。


「相手がいないわけでも、ないんだけど」


 チラッと目の前で眠る同僚に視線を向けて、手紙の最後の文面を見やります。


 わたしがこの家のメイドになることに反対しなかった通り、相手が二十歳近く年上でも問題がないのはいいとしても。


「んー……、『五年も婚約状態とはどういうことか』と言われても」


 そもそも、婚約してないし。


 このままだと、ここに乗り込んで来るかなあ。

 そうして今すぐ結婚しなさいとか迫るんだろうか、ああ嫌だ。


「はー……」


 静かに眠る同僚が、この手紙を読んだらどうすることか。

 きっともう、あの時のことなどとっくに忘れているはずだ。


 万が一、忘れていなくても。


「いまさら結婚とか、ないない」


 ぺいっと手紙を放り投げたら、紅茶のお供にビスケットでも持って来ようと立ち上がることにします。




「ユイシィ、この手紙はどういうことだ?」

「うえっ!?」


 野菜を置いてある保管室でおやつを物色している間、どうやらリュードが目覚めたみたいです。

 テーブルに投げた手紙を見てしまい、なぜか問い質されることになりました。


 まだ少し寝ぼけている目をこすっているリュードにお茶を淹れ、手にしたおやつはお皿に並べます。

 軽く説明をしてから、面倒くさいので手紙を読んでもらうことにしました。


「……まったく音沙汰がないから、冗談だと思われているものと考えていたが」


 まさか婚約者になっているとは思わなかったらしいリュードは、先ほどのわたしのように頭を抱え始めました。


「巻き込んだことは悪かったですが、これ以上の迷惑はかけませんよ。次の休みに説明してきます」


 せっかく穏やかな生活が手に入ったのに、強制送還や解雇などごめんです。

 手を振って片付けてくると言うわたしに、リュードの眉間がぎゅっと寄せられました。


「その場で訂正しなかったのだから、説明なら一緒に行こう」

「待ち構えていた両親と兄弟に、強制的に式を挙げさせられますよ?」


 説明ったって、わたしが勝手に紹介したことが原因です。

 そのまま正直に話して、結婚する気はないということも伝えてきた方が簡単ですし、問題も少ないのです。


 この国は身内の前でお披露目をしたら即・結婚なのですから、迂闊うかつについてきたら厄介なことにしかなりません。


 式を挙げさせられると話したら、顔を引きつらせてしまいます。

 それでもリュードの決意は固いようで、次の休みにまたあの道を二人で向かうことになりました。




 実家には、いつもお城へ旦那様を乗せていく馬車を貸していただけることになりました。座り心地は良いですからね、助かります。


「街から出たよ!」

「もっと遠くまで行くんだよね?」


「……」


 馬車は良いのです。普通なら乗れない、王家の紋章入りの真っ白い豪華な馬車です。

 それよりも、どうして二人ではなくて六人が乗っているのでしょうか。


「その場で式を挙げられたら参加できないじゃない」

「挙げさせないように、断りに行くんですよ」


 何を言っているのかときょとんとした顔の奥様が呟きますが、結婚する気はないと言った言葉を忘れているのでしょうか。


「ユイシィの実家の先には、リュードの実家もあるんでしょ?そのまた先に宿があるなら、家族旅行にもピッタリだし」

「はあ……」


 前に色々な食材を買いこんだことを覚えていたのか、楽しそうな奥様の言葉にお子様たちも乗り気です。

 旅行というものをしたことがない旦那様は、いつもとは違う景色が珍しいようです。窓から視線を外さず、あれこれと話すお子様たちに小さく微笑んでいます。


「……仕方がないですね」


 自業自得とはいえ、お子様たちにとっても初めての遠出です。

 それが奥様のご実家ではなく、わたしの実家なのは意味がわかりませんけれど。


 ガタガタと揺られながら、懐かしいわが家へ向かおうと思います。




 降りると言うお子様たちを押しとどめて、待ち構えていた両親に向き直ります。


「そういうわけで、結婚する気もありませんし孫にも期待しないでください」


 何か言いたそうなリュードをにらみつけ、一方的に宣言をすることにしました。


 五年ぶりの我が家に変わりはなくとも、あんなに小さかった弟妹きょうだいと目線が近くなっていることを不思議に思います。


 反論も何も受け付けないと言い切ったことで、小さな溜息が返ってくるだけでした。


「別に結婚して欲しいわけでも、孫が見たいわけでもないよ」

「え?」


 じゃああの手紙はなんなんだと首を傾げたら、もっと呆れた溜息を吐かれます。


「結婚だけが幸せじゃないからね。満足しているなら、それでいいよ」


 たまには顔を見せに来なさいと言うだけで、アッサリと両親の面会が終わってしまいました。




 よくわからないまま実家の訪問は終わり、リュードの家にも挨拶を済ませたら宿に着きます。


「全然帰らないから、単純に顔が見たかっただけかもね」

「そうなんですかね?」


 あまりにもアッサリすぎて拍子抜けしましたけれど、確かに五年は帰らなさすぎました。

 双子だったお子様たちと過ごす毎日が、あっという間だったことも事実です。


 真っ黒いローブも銀の髪も目立つからと、旦那様とお子様たち、それにリュードは宿に残っています。


 前に来たときに寄ったお店を奥様に案内しながら。

 式を挙げる準備はしてなくとも、実家に何かあったのではと首を傾げながら呟きます。


 実家からの手紙は年に何度か届いていました。返事もしましたが、その間はリュードのことも結婚のことも何も書いていなかったのです。


「さすがに、二十歳過ぎたからじゃないの?」

「んー……、そうかもしれません」


 無理矢理、式を挙げようとしなかったことからも、今後も自由にのんびり暮らすことに文句はないようです。


「わたしとしては、良い人を見つけて欲しいけど」


 ちょっと困った顔の奥様が呟いて、今度はわたしが待たせていることにも気が付きました。


「誰でもいいってわけじゃないけどね」


 旦那様と奥様のお子様を待っている人は、それこそたくさんいました。

 けれど同じくらい、わたしの将来も気にしていると言われては、少し考えてしまいます。




「それなら、わたしよりリュードが先ですよ」


 あの家に新しい人を入れることに、旦那様は反対しそうですけれど。だからと言って、手近な二十歳近くも年下の小娘を押し付けられても困るでしょう。


 肩をすくめるわたしに、それもそうかと奥様が納得してくださいました。


 この五年、なんにもない穏やかな毎日です。

 すでに隠居生活な気分だったのに。結婚という言葉で、これから先の長い将来のことを考えることになるとは思いませんでした。


 それでもなんにもない毎日は、明日からも変わりがないでしょう。


 少しつまらなさそうな奥様ですが、こればかりはタイミングもあります。


 いたかもしれない自分の家族より、今の六人がちょうど良いのです。


「……そっか」

「そうです」


 もったいないと言いながら、じいっと一点を見つめる奥様には、前にも伝えた言葉を言うだけにします。


「胸で恋愛はできませんよ」


 バンッと胸を叩いたら。

 待っている人たちの元へと、美味しい食材をたくさん抱えて帰ることにします。


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