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没落令嬢の旦那様  作者: くまきち
おまけ
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とある御者の回想

「初めまして、マレクと申します」


 国の中でも有名なファウム家のご子息を迎えに、言われた場所に馬車を走らせました。

 そうして門の前に立っていた、小さなご主人様に挨拶をします。


「本日からお城への送迎を担当いたします。よろしくお願いいたします、シュトレリウス様」

「……」


 主人となった方の後ろには、大きな門が開かれています。

 開け放たれた門の奥には、屋敷があるはずなのですが……。


 さらに奥なのか、庭園に隠されているだけなのか。

 かすみがかったようにぼんやりとして、門の外からは見ることは叶いませんでした。




 私がシュトレリウス様を迎えに行くことになったのは、ほんの偶然です。

 そもそも一人でやっと馬車に乗れるようになった若造に、貴重な魔法使いの送り迎えを頼むなど普通ではあり得ません。


 目の前にいる少年は、一人の執事を従えているだけです。


 頭からは真っ黒い布をかぶって、挨拶をした私を見上げるように頭が揺れた気がしましたが、口元は引き結んだままなので返事はありません。


 その黒いローブの中を見ると呪われ、さらに口を開いたら攻撃をされるという噂がお城に広がっています。


 ……この少年の実の母親が言いふらしているから、信憑性が増したのでしょう。


 私自身はまったく信じていないということと、魔法使いでも国王様でも乗せる人の階級は関係ないと言ったことで、この役が回ってきました。


「行っていらっしゃいませ、旦那様」


 まだ小さな少年にうやうやしく見送る、これまた若い執事。


 ガタガタと揺れる馬車の扉を閉めたら、歴史上も珍しいと言われている、無詠唱の魔法使いをお城に運ぶことにいたします。




「お帰りなさいませ、シュトレリウス様」


 国を守ることが、魔法使いの仕事だとは知っています。

 けれど私は御者として、門の前で帰りを待つだけです。


 朝と同じく挨拶をしながら扉を開けた私に、ほんの少しだけ頭を揺らしたようでした。


 ……これが、挨拶の代わりなのでしょうか。


 口元は見えても開かれることはありません。

 もしかしなくとも、噂を知って意識的に閉じているのでしょうか。


 そうではないと気付くまでに、二十年近く経つとは思いませんでした。




 その後も変わらず二人しかいないお屋敷に、ある日突然、女性が二人も増えました。


 二十歳を過ぎても結婚の話も何も聞かないどころか、年に一度、父親らしき男性が訪ねてくるだけの寂しいお屋敷に、です。


 らしき・・・というのは、シュトレリウス様の顔も声も知らないので、似ているところがわからないからです。


 身長も、すくすくと伸びたシュトレリウス様には私もすでに追い越されています。


 ……あれは、魔法使いの特徴なんですかね。

 あんなに小さかったのに、全体が大きいのではなく、足がとても長いのです。


 ほとんどの人を見下ろすくらいに大きくなったのは、小さな頃から知っている私としても嬉しい成長です。


 しかし背が高くなったということは、ローブの中が見やすくなったということでもあります。


 いまだに例の噂を信じている人だらけのお城の中ですから、見ないようにと前よりも人が遠ざかってしまいました。


 そんな中での、女性です。

 一人は明らかにメイドの格好だったので、薄い茶色の髪のおっとりとした方が、シュトレリウス様の伴侶になったのでしょう。


 これで安心だとホッとした私は、その日は普段あまり飲まないお酒を祝杯代わりに飲み干しました。




「おいこら。なんか言うことがあんじゃねぇのか、あ?」


 ……幻聴か何かか、私の聞き間違いでしょうか。


 一人しかいなかった見送りに、妻になったメイリアさんという人も増えました。

 シュトレリウス様は相変わらず真っ黒いローブを被っていますが、それでも並んでいる姿を見ることができて、勝手に感動をしていたものです。


「おい、なんか言えや」


 ……ええと。


 そんな感動をしている私の前で、恐ろしく低い声と鋭い目付きになった奥様が、シュトレリウス様を下からにらみながら凄んでいます。意味がわかりません。


 このやり取りはその後も続き、「さっさと行けボケがぁ!」と蹴り上げるということまでなさいました。


 しかし、私からどういう人なのかと尋ねるわけにはいきません。


 なんとか見なかったということにしておいて、とても危険な女性を押し付けられたのではと心配する日々に変わってしまいました。




「お帰りなさいませ、シュトレリウス様」


「行っていらっしゃいませ、シュトレリウス様」


 それでも、毎日毎日繰り返される挨拶に変わりはありません。


 ニコニコと微笑む姿は、最初に見た雰囲気のままです。


「おい、いい加減なんかしゃべれや」


 ……あの、その声色はどこから出しているんですかね?


 頑なに口を開こうとしないシュトレリウス様に対して、穏やかな雰囲気と表情なのは最初だけです。

 返事をしないとなったら、すぐに凶悪な顔になる様子は何度見ても慣れません。


 それでもちっとも返事をしようとしないシュトレリウス様は、城で流れている噂を知っているからなのでしょう。

 蹴られても何を言われても、口を開こうとはいたしません。


 しかしこの女性なら、そんな噂も殴り飛ばしそうな気がするので、気にしなくていいと思うのですけれど。




 今日も喋らないだろうに、毎日声を掛ける奥様は偉いなあと思いながら扉を押さえている私です。


「行っていらっしゃいませ、シュトレリウス様」

「……行ってきます」


 小さく、とても小さい声でしたけれど。

 初めて口を開き、そうして少し低めの声で返事をしました。


 奥様も驚いてはいましたが、私のほうが驚きました。

 なんせこの二十年、一度も聴いたことがなかったからです。


 シュトレリウス様が返事をしたことで、とてもいい笑顔で手を振りながら奥様が見送っていきます。

 この奥様ならもしかして、ローブを外す日も近いのかと期待しながら馬を走らせました。




「ただいま、メイリア」

「お帰りなさいませ、シュトレリウス様」


 しばらくしたら、とても自然に声を掛け合っていました。

 目元や髪はローブで隠れていても、口元しか見えなくても、とてもわかりにくくても微笑んでいることがわかります。


 表情がコロコロと変わる奥様と接しているからか、会話というものもしているようです。


 その様子に嬉しくもあり、寂しくもあり。

 なんとも言えない気持ちになっている間も、季節は移り変わっていきました。




 奥様のご実家に行く時には、座席がベッドに変わる大きめの馬車で向かうことになりました。


 この馬車を提案して良かったと、この時に強く思いました。

 初めてローブが外されて、シュトレリウス様の顔を見ることができたからです。


「本当に、銀の髪なんですね……」


 金に銀、白金プラチナの髪は魔法使いの証です。

 銀の髪ではあると聞いてはいましたが、国王様ですら見たことがないのですから誰も知らないのです。


「外で見るとまぶしいよね」

「……そうか」


 日の光に反射して、とてもまぶしいとは思いましたけれど。

 まあ、奥様はすでにローブの中は見慣れていての、その感想なのでしょう。


 執事とメイドも呆れているみたいですが、そういう奥様だからこそ、シュトレリウス様も口を開いてくれたのだということにしておきます。




「お帰りなさいませ、シュトレリウス様」

「ただいま、メイリア。……誰がいる?」

「ああ、わたしの家族です」


 屋敷がある方向を指した奥様が、自分の家族が来ているのだと話しました。


 私は、この門の中には入る許可はいただいていません。

 こうして門の前でシュトレリウス様を乗せて、送り届けるまでが仕事だからです。


 もう二十年も繰り返されている仕事ですが、家族と御者は違うものだということがわかります。


「マレク」

「はい」


 城へ戻ろうと、扉を閉めた私の名前が呼ばれました。

 こんなところに知り合いでもいたのかと振り返ったら、シュトレリウス様が近付いてきます。


「……え?」


 もしかしなくとも、私の名前を呼んだのはシュトレリウス様だったのでしょうか。


 扉に手を掛けたままの私に、そのまま明日の朝に来るようにと話してきます。

 どうやら奥様のご家族と出掛けるために、この馬車が必要ということらしいです。


「かしこまりました」

「頼んだ」


 軽く頷くように頭を揺らしたら、口元が少しだけ歪みます。

 もしかしなくとも、私に向かって微笑んだのでしょうか。


 その日はお酒が進んだことは、言うまでもありません。




「あれ?」


 いつものように、馬車を走らせていたはずなのですけれど。


「どうした」

「門が閉められているようです」

「?」


 この家には許可をされた人しか辿り着けず、入ることもできません。

 だからかお城に近い場所なのに、今までは門が開け放たれていたのです。


 ガチャガチャという音で、鍵まで掛けられていたことを知ります。

 初めての異常事態に、シュトレリウス様の雰囲気が険しくなりました。


「街で変態に会ったんです。追い駆けてこようとしたので門を閉めました」

「城にいたはずだが……」

「デーゲンシェルム様ではありません」


 なんと、この街には他の変態がいるというのでしょうか。


 それなら門が閉まっていることにも納得したシュトレリウス様は、しばらく閉めておくようにと伝えました。




「変態は義弟でした」

「……」


 シュトレリウス様の弟で、ファウム家の跡取りとなったルィーズ様がメイリア様に声を掛けた人だったそうです。


 ファウム家とはこの家に来てからも、あまり交流がありません。

 それは結婚をしてからも変わっていないことで、逆にしょっちゅう来る、奥様のキュレイシー家のほうが詳しいくらいです。


 変態の正体がわかっても対応の変わらない奥様に、とても安心したのは内緒です。


 それにしても、義弟だとわかっても殴り飛ばすとは、奥様には怖いものはないのでしょうか。




「行っていらっしゃいませ、シュトレリウス様」

「行ってきます」


 少しずつ、とてもゆっくりと進んでいるようなお二人に、また少しだけ変化があったのは冬の日です。


 お城に行きたくないと言い出すシュトレリウス様も珍しいですが、奥様が少しふっくらとしたように見えました。


「?」


 風邪で寝込んだと聞いたはずなのですけれど、食欲はかなりあったようです。


 元気ならいいかとキュレイシー様も乗せて家へと戻ったら、家族が増えたという話をしていました。


 そうしてお腹が大きくなっていく奥様に、今まで見たことがないくらいに慌てているシュトレリウス様です。


 春に結婚したと考えると、かなり遅い気もしますけれど。

 それでもゆっくり夫婦になったお二人は、のんびりと親になっていくのでしょう。




 春になり、夏になり、思っていたよりも大きなお腹になった奥様です。

 お城からは大きなベッドまで届いたり、名前はどうするのかとキュレイシー様たちが押し掛けたり。


 あんなに静かだったこの家が、急に賑やかになりました。


 そうして秋の日に双子が産まれ、さらに賑やかになってしまいます。


「ほら。レミリオ、ジュリエラ。シュトレリウス様を送迎してくれる御者ですよ」


 ファウム家の人たちは、ことごとく近付かせていない奥様です。

 そんな奥様が私に双子を見せてくれたどころか、抱っこをするようにと掲げてきました。


「こっちの、茶色い髪がレミリオという男の子です。銀の髪は女の子のジュリエラ」

「……はじめ、まして。坊ちゃま、お嬢様」


 まだよく見えないのか、二人はぽかんとした顔を向けています。

 それでも口元を一生懸命に開いて、何かを話そうとしてくれていました。


 瞳の色まできれいに半分こされている双子を見て。


 一人でも二人でも、例え色も見た目も似ていなくとも。

 この人に家族が増えることを、私も待っていたのだと知りました。




「おめでとうございます。シュトレリウス様、メイリア様」

「……ありがとう」


 とっても小さい声ですし、まだローブは家でしか取ってはいませんけれど。

 これからも賑やかになるこの家に、馬車を走らせることにいたしましょう。


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