十一話:親になるということ
どうやらわたしの食欲が増したのも眠いのも、熱っぽいまま体調が戻らないのも妊娠したかららしい。
わたし自身に変化と言えることはまったくなく、一目見た母親に言われても。
……正直、ビッミョウな気分だ。だって、よくわかんないし。
それよりも間違いないと言い切った、母親のこげ茶の瞳がギラついているほうが怖い。
「わたしもお婆ちゃんになるのね」
「……」
ウキウキと、父親が持ってきた赤ちゃん服の新作カタログを開きながら。
この前来たときに気に入った、ふかふかの椅子に座ってふんふんと鼻歌を歌っている。
機嫌がいいのは悪くないけど、なんか知らない圧が見える気がする。
「今からだと産まれるのは秋ね。綿入りの服のほうがいいかしら」
「……」
わざわざ機嫌を損ねることはないんだ。
そっと顔を逸らしてハーブティーを飲もう。うん。
パラパラとカタログをめくる母親の指に迷いはない。
もしかしなくとも、すでに買う物を決めていたんだろうか。
とある服の絵をじいいいっと見つめては、たぶん値段と着れる年数を考えているのかもしれない。
目が真剣すぎる。っていうか血走っている気がする。怖い。
しばらくあれこれと見ていた母親がカタログを片付けたら、今度は文字がたっぷりと書かれている大量の紙の束を取り出していく。
それは父親が来るたびに持ってきた、孫の名前一覧ではないか。
「名前は何がいいかしら」
「……まだわかんないじゃん」
「いっそ二人くらい、一気に産んじゃえばいいんじゃない?静かすぎる家が賑やかになるわよ」
「聞いてる?」
あくまで妊娠していると言い張って、わたしの言葉は全面的に無視していく。
根拠はなんだ、根拠は。
「あなたたちを妊娠したときの、わたしと同じ症状だからよ」
「そっすか」
それは勘というか、なんというか……。
そんな曖昧なものに確信を持って、ハッキリ妊娠したのだと言っていいのかな。
違ったら、かなり恥ずかしいんだけど。
顔を逸らしつつもビッミョウな顔のままのわたしに、ジロッとこげ茶の瞳が突き刺さる。
「違うの?」
「えっと」
「心当たりもないと言うのですか」
「……えっと」
じろっと睨み付けた母親が、まさか秋からなんにもなかったとか、残念なことを言う気なのかと迫ってきた。近い近い。
なんにもなくは……なかったけど。
心当たりと言われても、初めてのことなんだからわかるわけがないじゃん。
ごにょごにょと唇を尖らせて誤魔化すわたしに、「何か?」とでも言っていそうな視線を向けてくる。
「ほら、あの。ただのストレスによる体調の変化の可能性も」
「なんだって!?」
「……あるかもしれない、と、思うのです」
腕を組んでわたしの目の前に立ちはだかる母親が、さっきのカタログを見るよりも、じいっとわたしを見下ろしてくる。
「……」
なんだ、この無言は。
とてつもない圧力を感じる。ものすっごく怖い。
「つまりメイリアには、心当たりがまったくこれっぽちも全然ないと言うのですね!?」
「うっ」
「あるんでしょうがあ!」
「はい、すみませんっ」
とっとと吐けと母親に脅されて、なんにもなくない夫婦生活でしたと暴露されるとか意味がわからん。
こら、扉の隙間からキラキラした瞳をこっちに向けてくるんじゃない。
メイドは大人しくお茶を淹れてくれればいいんだよ。
絶対にいると言い張る母親に負けて、帰ってきたシュトレリウスにも伝えることになった。
両親の前で言うのは、やっぱりかなり恥ずかしい。困った。
恥ずかしくて小さな声になったわたしに、聞こえにくくてシュトレリウスが近付いてきた。
そうしてわたしの発言にその姿勢のまま固まって、今は書斎にこもっている。
なんにも言わなかったけど、何度か小さく頷いてくれたから聞こえたんだよね?
それでもあくまで可能性って念を押したら、ちょっとガッカリしてしまったけれど。
だって本当に、わかんないんだもん。
「……今までが今まででしたからねえ。慎重になることは当たり前だと思います」
レタスを持ったユイシィが、水で洗ってちぎっていく。
わたしも鍋に入れたじゃがいもにフォークを刺して、中まで茹で上がっているか確認していく。よし、ほくほくだ。
「だって心当たりとか変化とか言われても、さっぱりなんだもん」
「心当たりはしっかりあるじゃないですか」
「うるさいよ」
夕食の支度をしながら、ユイシィは半々かなあとサラダを完成させていった。
火を止めたわたしも鍋を揺らしながら、どうなんだろうと呟いていく。
茹で上がったじゃがいもを鍋から取り出したわたしは、その可能性は限りなく低い気がするんだけどと思いながら潰していく。
ユイシィもやっぱり首を傾げているから、半々よりも三分の一くらいの可能性じゃないかということで落ち着いた。
絶対に孫ができたと言い張る両親は、今日のところは帰ってくれたけど。
また来ると、絶対に安静にしろと厳命して馬車に乗りこんだ。
つーか魔法使いらしい、長ったらしいほうの名前も男女合わせて十個も考えたとか。
……やっぱり父ちゃんは気ぃ早ぇよ、マジで。
考えろって言ったのはわたしだけど。
シュトレリウスにももう話したとか、恥ずかしすぎてとっても困る。
できるかもしれないから、名前を考えるように両親に言うとか。
そんな妻を、シュトレリウスはどう思っているんだろうか。
「自分が考えたかったのにと悔しい気持ち、とか?」
「それはあるか」
少し考えたユイシィが、親になるなら自分が付けたいんじゃないのかと言っていく。
初孫だからと父親が特に張り切っているけれど、シュトレリウスにとっても初めての子供になるんだもんね。
だからって別な名前もと催促するとは、まるでその日を待ちわびているようじゃないか。
……そろそろかなとか、思ってはいたけどさ。
潰したじゃがいもにひき肉を混ぜて、丸めながら形を整えていく。
そうだった。このコロッケ、ミレナが好きだったんだよね。
「今日来るってわかってたら、朝に作っておいたんだけど」
「またすぐ来るって言ってましたから、次は事前に知らせを送ってくれるんじゃないですか」
突然思い立って来る両親だから、その可能性も限りなく低いんだけどね。
その日の夕食は、久しぶりに真っ黒いローブを被って無言だった。
ぼけっとしている気もするし、なんだか心ここにあらず、って感じだ。
「魔法使いなのに、口の中はダメなんですか」
「……」
今日の夕食は熱々のコロッケだ。
ボーッとしたまま口に運んで、思いっ切り齧ったらそりゃ火傷もするわな。
「毒は効かないんじゃなかったでしたっけ?」
「体内に取り込めば自動的に解毒される。口の中は……無防備らしい」
自分でもわかっていなかった事実に、ちょっと驚いているみたい。
そういえばグラタンとかラザニアとか、熱々の火傷注意のものはまだ出していなかったね。
口の中も物理的攻撃になるのか。ふむ、よくわからん。
それよりコロッケを齧った途端に、口元を押さえて無言で熱さに耐えるシュトレリウスがおかしくて。
やっぱり今日も、面白くてかわいいな。
「……」
思い出して笑いをこらえるわたしに気が付いて、口をへの字にして拗ねたらしい。
そういう顔も、かわいいって言わなかったっけ。
「いつまで笑っている」
「ふ、ふふ……」
耐えきれなくて笑いがこぼれるわたしを、ちょっとだけ突いて不機嫌になっている。
シュトレリウスも小さく微笑んでいるなら、まあ、いいじゃん。
「火傷をしたのでは?」
「もう治った」
突いたついでに顔を近付けなくていいんだって、何回言ったらわかるかな。
何度も近付けて、今日も食べられているみたいに深く絡ませる。
すぐにクラクラしてきたのは、久しぶりだからか、まだ熱があるからなのか。
それでもわたしも離れたくないからと、背中に腕を回してもっと近付いていく。
夫婦になれたからって、毎日するものじゃないって思っていたけれど。
少しでもしない日があると、やっぱりちょっとつまんない。
その先は、さすがに遠慮してほしいときのほうが多いけれども。
今日もお風呂に一緒に入って、こうしてベッドの上でぎゅっとしながら。
そういえば、お腹に子供がいるかもしれないんだったと思い出す。
「どうした?」
「ええと、あの……」
わたしとしては、まだいないと思っているんだけど。
母親の言う通りに本当にいるとしたら、この先はちょっとまずいんじゃないだろうか。
「今日は帰ったはずだろう?」
「そっちじゃないです」
前みたいに家族が同じ家にいることが恥ずかしいからと、今日は無理だという意味で、少し離れるように手で押したわけじゃなくて。
押さえていた手のひらでお腹に触れるわたしに、怪訝な顔をしていたシュトレリウスも気が付いてくれたみたい。
本当に、ここにいるのかなあ?
「まだ、いるかどうかはわからないですよ?」
「そうか」
「あと、あの……。ゆ、昨夜のではないですからね?」
「……そうか」
ええと、あの。
昨夜はお風呂に一緒に入った後、意外と馬車酔いが残っていなくて。
さらに夕食もしっかり食べれて熱も引いたっぽいからと、その、アレだったんだけど。
昨日の今日というわけではないからと言ったら、ちょっとだけホッとしてくれた。
その前にも色々あったから、心当たりはたぶん、あの日かもなあ……くらいには、あるけれど。
さすがにそんなことまで母親に言うのは恥ずかし過ぎるから、ないってことで誤魔化しておく。
でもシュトレリウスは、一緒に考えなくちゃいけない当事者だし。夫だし。
っていうかシュトレリウス以外とはしてないんだから、お腹にいるとしたら当然、親の一人なわけで。
「はっきりとはわかりませんから、まだなんとも言えません」
「わかった」
いるかどうかは、わからないと言ったらちょっとガッカリしたんだもんね。
それでも心当たりはないから、怪訝な顔をしているんだけど。
……ないよ。そんな心当たりなんて、全然ないんだよ。ないんだからね!
心当たりはないと言ったからって、いないと思うとも言ったからって。
「もうちょっと遠慮しろとも言ったのに、”断る”ってなんだ、”断る”って」
もう無理って言ってるのに、あ、あんなのとかっ。
本当にお腹にいたらどうするんだ、まったく。
ぶちぶちと昨夜のシュトレリウスに文句を言いながら、ザックザックと土を耕していく。
よし、ちょっとはスッキリしたぞ。
「奥様、そろそろ家に入りませんと。また風邪を引きますよ?」
「あ、はいはい」
わたしと同じく、まだ子供はいないんじゃないかと思っていても。
雪がちらついているんだからと、ユイシィに呼ばれて家の中に入ることにする。
「なんで真冬に泥だらけになっているんですか」
「……」
文句を言う途中で思い出して恥ずかしくなって腰が抜けて、土の上に座りこんだからとは言いにくい。
少しだけ視線を逸らして唇を尖らせるわたしに、呆れ顔のユイシィがお風呂を沸かしてきてくれた。
「旦那様は夕食まで戻ってこない日ですから、このままちゃんと温まってくださいね」
「うん、ありがとう」
お風呂からあがったら、いつもの暖炉のある部屋で刺繍の続きをしていよう。
わたし用のローブは、もういらないかなとか思っているけれど。
それでも外出するときとか、シュトレリウスが被ったままなんだから必要だよね。
「わたしもローブを被れば、魔法を使わなくて済むし」
被っていても前が見える魔法陣はかなり複雑で、シュトレリウスのローブは本当に母親が縫ったのかと疑ったくらいだ。
最初はなんでもないただの布を被らせていたなら、その間に魔法に詳しい人にでも頼んだのかな。
「普通の貴族の令嬢なら、自分の手ではあんまりしないよなあ」
母親が唯一、渡した物だから被り続けているのかとも思ったけど。
さっさと独立をしたシュトレリウスに、そんな感傷は持ち合わせていないか。
自分の家族と縁が薄くても、わたしの家族とは仲がいい。
でも親ということがよくわからないと、これから子供が産まれたらどうするのかな。
「まあ、いっか」
わたしだって、親になるのは初めてだもん。
とってもゆっくり夫婦になったみたいに、一緒に親になれればいいよね。
「産まれるまでは奥様が大変ですけれど、産まれたらそうも言ってられませんよ」
「だねえ」
わたしと同じく下の弟妹がいるユイシィが、ハーブティーを蒸らしながらしみじみと呟いた。
いつ泣くか、何が原因で泣いているのかわからないところも謎だけど。
すやすやと眠っている顔は天使なのに、起きたら怪獣になるとか意味がわからない。
「それでもやっぱり、かっわいいんですよねえ」
「わかる!」
ふかふかのほっぺとか、小さい小さい手のひらとか。
「あー」って、わたしに向かって微笑んでくれた瞬間は、絶対に一生忘れない。
「あまりにもかわいすぎて、一時、過保護になったくらいだもん」
「なっちゃいますよね」
ちょっと困った顔で微笑みつつも、世界一かわいいんだから攫われると本気で心配していたと話すわたしに何度も賛同してくれた。
弟妹でこれなんだから、自分の子供だったらどうなるかわからない。
「旦那様のほうが過保護になるでしょうけど」
「うん。だろうね」
魔法は使うなと言ったのに、さらに家の守りを強化したらしいし。
これじゃあ本当に門から中に入ったことのない人は、例え血が繋がっていても家を見つけられなくなるんじゃないだろうか。
「それより家の魔法って、継続的に掛け続けないといけないものなんでしょうか?」
「国を守る魔法は定期的にしないといけないって言っていたけど、あれは余所から来た不特定多数の人向けだろうし」
魔法はやっぱりよくわからないと、ユイシィと首を傾げるだけで終わってしまった。
きっと秘匿とされる内容だらけだろう。
とりあえず、普段の生活で魔法は使うなとまた言っておこう。
のんびりゆったり午後を過ごして、せっかくお城に行ったのに、意味不明な畑のことを訊きそびれたことを思い出した。
王宮図書館がちょっと気になるから、また行けないかなあ。
「雪が本格的に積もるのはもう少し先でしょうから、近いうちに行けるんじゃないですか?」
「シュトレリウスが帰ってきたら訊いてみるよ」
古いだけの部屋だと言っていたけど、魔法に関する本を見ていいなら見てみたい。
それでもわたしが魔法を使える日は来ないのにと、シュトレリウスは不思議な顔をしていたけれど。
魔法が使えなくても理解はしたいという感覚は、よくわからないらしい。
「普通は身近ではありませんから、魔法について調べようとか気になるとか思う人もいないんですよ」
「使えるなら使ってみたかったし。それでなくとも夫が魔法使いなら、知っておいたほうがいいじゃん?」
「そういうものですか」
寿命は短いし派手に輝くまぶしい髪だし、国のために奉仕しなければいけないなんて窮屈だとユイシィはとても嫌そうな顔をしている。
そういうものか。
ふぅんと軽く頷いたわたしに、チラッと横目で見たユイシィがニヤリと微笑んだ。
「まあ奥様は、旦那様が大好きですからねえ」
「なんの話!?」
「好きな人のことなら、なんでも知っておきたいですよねえ。……ねえ、奥様?」
「ちちち、違うしっ、全然!」
ニヤニヤとした顔を向けながら、だ、大好きとか言うんじゃないっ。
「そういえば、フェイナさんからの贈り物は開けました?」
「……まだ、だけど?」
「早く使ってくださいね」
「……」
バチンとウィンクをして親指を立てて、早く使えってどういう意味だ。
「中身って、なんなの?」
「わたしは知りませんよ。うふふふ」
「嘘をつくな」
今までのユイシィが買ってきた寝間着を思い出して、オーダーしたと言うフェイナの言葉も思い出して顔を引きつらせるわたしに、とっても輝かしい微笑みを向けるだけとは。
ますます開けにくくなったじゃないか。