番外編:没落令嬢の若奥様
何も話さない自分に話しかけようともせず、ただぼんやり向かい側に座って紅茶を飲んでいるだけの物静かな少女。
それでも何かを考えているのか、こちらが見えないと思っているからか。表情をコロコロと変えながらも無言でいる。
何を好き好んで、実の母親に「お前は呪いを受けた子だ」と言われる男と結婚を進められるのか。
父親に勝手に決められた同士、ただ気の毒だとしか思えなかった。
だからああ言えば向こうから断ってくれるだろうと思ったのだが……。
「てっめぇ、今なんつった!?」
スカートの裾が翻っていることも気にせずに、カップを置いたテーブルに片足を乗せ指を立て、こちらに向かって初めて聞く言葉を言い放つ。
そこには先程までの大人しい少女はいない。
「メイリア、しーっ!」
「……うふっ」
「……」
慌てた様子で「足!手!顔ぉ!!」と言い続ける父親の声で気が付き、裾を叩いて足を下ろし小首を傾げてなんでもなかったように笑顔を向けてくる。
なんだ、これは。
本当にこの少女から発せられた言葉と声なのか?
「あの、ええと、娘はその、元気で。そう、元気で!!」
父親も目を泳がせながら、なんとか言い繕おうとするが下手糞すぎる。
娘のほうはまったく取り繕うことをやめ、他人事のように慌てている父親を横目で見ているだけだ。
……なるほど。このくらいでなければ結婚話など自分には来ないのだろう。
「……面白い」
「ふぁ?」
こうしてメイリア・ジャン・キュレイシーとシュトレリウス・ヴァン・ファウムは結婚をすることになった。
「おい。なんか言うことがあんだろーが」
「……」
「奥さま、しーっ!」
口の悪さは初対面から変わらず、今日は腕を組んで仁王立ちまでしている十歳年下の自分の妻。
結婚をして小さい頃から住んでいる家で正式に暮らすことになって一ヶ月。こうして毎日自分に向かって言い続けるが飽きないのだろうか。
「なんか、言うことが、あるでしょって、何回言えばわかんだ、テメーは。あ?」
「奥さまっ!」
「……」
メイドがいつかの父親のように、こちらに向かって睨み付けている妻の口調を嗜める。
それも無視して、家族ですら目を合わせようとしない自分に向かってなんという目付きで睨んでくるのだか。ついでにどこからその低い声を出しているのかもいまだにわからない。
「……行ってきます」
「はい、行ってらっしゃいませ」
そのたった一言を聞いただけで、先程までの剣呑な視線も消して年相応に笑って手まで振ってくる。
一ヶ月暮らしても、妻は相変わらずよくわからない存在だ。
迎えの馬車に乗り込んでもまだ手を振っている妻を見て、向かいの席に座っている男が小さく笑った。
「ぶふっ……、失礼。すごい奥さんをもらったんですね、シュトレリウス様」
「……」
「この前はローブの後ろに足形つけていたから何事かと思っていたんですけど、あの奥さんなら確かに蹴りつけそうだ」
何が可笑しいのか、口元と腹を押さえながら震えて笑っていく。
「結婚すると聞いた時はこれでも心配したんですよ。シュトレリウス様は箱入りですからねえ。いやあ、でもあの奥さんなら安心だ。仲良くやっているようですし」
「……」
先程のやり取りのどこで仲が良いと感じたのか。それでも可笑しそうに笑い続ける。
「あー、笑った笑った。……それより奥さんはシュトレリウス様のことをどの程度、知っているのですか?」
「噂程度じゃないか」
実際、結婚したからといっても会話はほとんど喧嘩腰だ。
素っ気なく言いすぎたからか呆れた溜息を吐かれたが、相手のことを知らないのはお互いさまだろう。
「結婚をしたのにその辺りは全然変わりませんね。それでも挨拶をするシュトレリウス様は初めて見ましたから、少しは変わったようですけれど」
そんな一方的な会話をしながら馬車に揺られ、いつもの場所へ着いたら静かに止まった。
「お待ちしておりました。シュトレリウス・ヴァン・ファウム様、デーゲンシェルム・ウォン・ヴァイツ様。王女様がお待ちです」
「さて、今日もお仕事をしますか」
馬車から降り立ち、この国の王女が住まう城の一角へとデーゲンシェルムと入っていく。
「仕事については話したくなければどーでもいいですよ」と言い切る妻はどうかと思うが、説明しにくいし口外法度な内容ばかりなら、あれくらい無関心なほうがいいのかもしれない。
「えっ、シュトレリウス様が何をしてるのかも、どこに行ってるのかも知らないんですか!?」
「言ってないからな」
「いやいや。家族っていうか、奥さんじゃないですか」
「特に聞かれない」
「相変わらずの口下手というかなんというか……」
デーゲンシェルムが大袈裟に驚いて呆れていくおかげで、静かな廊下に話の内容が響き渡る。
向かう先の扉が開き、中から金の髪を揺らした幼女が顔を出した。
「何かしら?面白いお話?」
好奇心に輝かせた深紅の瞳をこちらに向け、この塔の主が声をかけてきた。
「聞いてくださいよ、王女様。シュトレリウス様の奥さんなんですけどね」
「メイリアさんというのでしょう?どんな人なのか、デーゲンシェルムは見れたの?」
「ええ、バッチリ」
「あとで教えてちょうだい」
「……」
何が可笑しいのか、王女がデーゲンシェルムの言葉にくすくすと笑っていく。
「早く済ませたいのだが」
「早く家に帰りたいのね?」
「奥さんが待っていますからね」
「……うるさい」
王女が出てきた扉の中へ入り、今日も仕事を済ませることにする。
王が住まう城の中枢にある、この国を守る核と呼ばれるものを管理する塔。
何重にも防御の魔法で守られ、他国からの侵入を防ぐ役割を担っている。
詠唱を唱えながら防御魔法をかけていくデーゲンシェルムと、一言も話さずに術式に間違いがないか確認をしていく自分を見つめる金の髪を持つ幼女。
「……うぅーん。何度聞いても、この魔法の詠唱は長すぎてわたくしには覚えられないわ」
「そのようなことはないですよ、王女様」
頭を振って金の髪を揺らし、今日も途中までしか覚えられなかったと言っていく。
将来は自分が国を守らなければいけないからと、幼いながらにこうして魔法の勉強をしているこの国の王女。
一通りの防御魔法をかけて確認が終わったら、今日の仕事も完了のはずだ。あとは事後処理と書類の整理、家に関する仕事を片付けようと塔の中にある執務室へ向かおうとしたら捕まれた。
「そんなに早く帰ろうとしなくてもいいじゃないの」
「……」
小首を傾げて、それでも有無を言わさずに。お茶の用意がされている中庭へ三人で向かうことになった。
今日も家に仕事を持ち帰るしかなさそうだ。
長い詠唱を唱えなくても魔法が使えるからか、特に疲れはしないのだが。「疲れたら甘いものよね」と、今日もクリームがかかったケーキを紅茶と一緒に出されてしまった。
家とは違って王女に合わせているからか、ここで出されるものは甘すぎる。
紅茶で流し込みながらいただいていたら、最初から話し続けていたデーゲンシェルムがさらに口を開いていった。閉じている時は見たことがないくらい、自分とは真逆なおしゃべりだ。
「リュレイラ様は金の御髪をお持ちなのですから、きっとどんな複雑な魔法も使いこなせるようになりますよ」
「でもシュトレリウスは無詠唱なのでしょう?……髪も銀なのに」
「歳が違いますし、口数が少ないことも影響しているのでしょう」
少し拗ねながら自分のほうをちらりと見て、クリームと一緒にケーキを放ばる姿は年相応に幼い。
それでもこの国の王の第一王女で、金の髪とくれば魔法力も申し分ない。
「それよりシュトレリウス様の奥さんですよ。わかりやすい銀の髪なのに、どうして魔法が使えることも知らないんですか」
「今まで周りにいなかったのだろう」
「それにしてもお互いを知らなさすぎでしょう。……本当に結婚したんですか?」
静かに紅茶を飲む自分に向かって呆れた視線を向けながら、デーゲンシェルムが疑いの言葉を投げかけてくる。
「その顔を見ても何も言わないってところから、おかしいとは思っていましたけど。もしかして夜もローブを被りっぱなしではないですよね?……失礼いたしました、王女様」
幼女が目の前にいるというのに、あからさまな質問をしていくデーゲンシェルムが、いまさらのように王女に向かって詫びていく。
それには小さく笑うだけで、企んだような悪戯を考えているような表情を王女も向けてきた。
「いいのよ、デーゲンシェルム。わたくしも気になっていましたから」
「ではこのまま突っ込むことにします。で、どうなのですか?」
「まだ結婚して一か月でしょう?もう少し休んでもいいのよ、シュトレリウス?」
「……」
先日、家に義父が来た時と同じような居たたまれない空気が中庭に漂ってくる。
あれもあれで困ったが、目の前にいるのはこの国の王女と白金の髪を持つ魔法使い。
自分の銀も珍しいと言われているが、それよりもランクの違う二人に尋ねられては答えないわけにはいかない。
「何もないのだから、ローブのままでも問題ない」
新婚だからと気を使って早く帰そうとしてくれるが、結局お茶に巻き込まれて二人のおしゃべりに付き合わされる。
城にある執務室に籠ろうとしても、「奥様が待っているのでしょう?夕食に間に合わなくなりますよ」と追い出すのだから必然的に家に仕事を持ち帰る毎日だ。
そのままを言っただけなのだが、なぜか二人が固まってしまった。
「は?え?何もないって、この一ヶ月なんにもないってことですか?」
「ファウム家を継ぐのは弟だが、それでも長兄としてやらなければいけない仕事はある」
今の家は小さい頃から住んでいるがファウム家の所有で。成人したらそのまま自分の物にはなったが、引き継いだものは家だけではない。
「……そうでしたわね。土地の管理に関することは家を持つ者として当然ですし、シュトレリウスはわたくしの魔法の先生という以外にも、お父様のいるお城でも仕事を持っていますものね。うぅーん、これはわたくしにも責任があるわ」
「気を使ってもらわなくて結構だ」
「そういうわけにもいかないでしょう」
デーゲンシェルムは「まさか、いやそんな。でも次の日には書類が出来上がっていたしな……」とぶつぶつ呟いて。王女は気を回したつもりが邪魔をしてしまったと余計な気を使い始めた。
「いつ死ぬかも分からない者と添い遂げるよりは、次にいったほうが向こうにとっても良いだろう」
金に白金に銀の髪は、その身に膨大な魔力を有している証でもある。
手厚く保護はされるし保証もあるが、死ぬまで国のためにその魔力を使うことが決まっている。
他の大多数の者が所有していない魔力を持っているのだから、通常よりも身体を酷使していることになるのだろう。
魔法使いのほとんどが短命だ。
「何を言っているの、シュトレリウス?わたくしは貴方の孫を見るまで現役で頑張りますよ」
「そうですよ。私だってシュトレリウス様のお子様を待っているのですから」
「……勝手に待つな」
真面目な顔で何を言っているのかわかっているのか、この二人は。
それでも今の国王が五十歳を過ぎても現役なことから、少しずつ寿命は延びているのかもしれないが。
だからといって、「手ぇぐらい繋げよ、ヘタレ」と寝言にまで言われるくらいにまったく触れ合っていないのだ。
「今日はもう仕事をしないでメイリアさんとイチャついてちょうだい」
「帰りに花を買っていくのはどうでしょう?ケーキだと太ると怒られますけど、花は何回もらっても良いと聞きますし」
「……」
追い立てられるように家に帰ると、泥にまみれた妻に出迎えられた。
自分のいない間に、妻は一体何をしているのだ。