二話:実家からの強襲 後編
「なあ、姉ちゃん。あの黒い塊はどこだ?」
「え?ああ。シュトレリウス様は仕事に行ったから、今はお城だよ」
「うわぁ、本当にお城でお仕事してるんだ!」
わたしとそっくりな蜂蜜色の瞳を輝かせて、キョロキョロとシュトレリウスを探しているギルタと、本当だったんだと失礼なことを言っているミレナがしがみついたまま離れない。
「二人とも、まずは離れなさい」
「「はーい」」
母親の号令で離れてくれたけど、本当に二人とも大きくなったんだなあ。
しがみついてくる力は強くなったし、何より顔が近くなっている。また背が伸びたみたい。
「とりあえず、メイリア」
「はいっ!?」
じろっと睨んだ母親が、こげ茶色の瞳をわたしに向けて凄んできた。
慌てて握っていた雑巾を隠したけど、最初から見られているなら意味がないな。
けれど身構えているわたしの目の前で、母親が急にカクッと膝から崩れ落ちて倒れこむ。
「お母様!?」
「かーちゃん!」
「お母さんっ」
「あわわ……。母さん、どうしたの!?」
オロオロした父親が地面に膝を着く前に腕を捕まえられたけど、気丈な母親が倒れるなんてどうしたんだと騒然としてしまった。
門の前でちょっとしたパニックだ。明日は嵐かもしれない。
「……こ」
「こ?」
わたしも慌てて手を伸ばすけれど、グルグルと両親の周りを忙しなく回って心配している双子が壁になって届かない。
こら、心配している顔も行動もかわいいけれど、今は落ち着かんか。
「腰が……」
「へ?」
ふるふると震えながら必死に立ち上がって、それでも腰を押さえた母親が恨めしそうに馬車を睨んだ。
「あー……、わかりました。お母様には柔らかい椅子を用意しますね」
「そうしてちょうだい」
くぅっと悔しそうに、それでも父親に腕をつかまれたままで、ゆっくりと母親を家の中に案内することにした。
わたしがシュトレリウスと実家に帰ったときも半日以上かかるからって、ベッドにもなる特別仕様の馬車を用意してもらったもんなあ。
没落貴族って言われているウチの古い馬車じゃ、ふかふかとは縁遠くて腰をやられることも当たり前かも。
「ギルタとミレナは大丈夫?」
「うん。途中で何度か外を見るために立った」
「お母さんには『はしたない』って言われたけど。ガタガタの硬い椅子になんて、半日以上も座ってらんないよ」
「だよね」
長距離の馬車に酔ってもいないようで、二人は元気に庭の薔薇を珍しそうに見つめている。
なんにでも興味津々で、クルクルと変わる表情は小さい頃と同じ、かわいいままだな。
年末の大掃除の一つ、窓拭きは中断され、急遽わたしの家族を持て成すお茶会に変わってしまった。
けれど優秀なうちのメイドであるユイシィは、即座に掃除道具を片付けた上で、家に入ったときにはお茶の用意もしてあった。
おお、しっかり母親用のふかふかの椅子も用意してある。
……どこから会話を聞いて用意したんだ、優秀過ぎだろ。
「はあ……」
ようやく人心地ついたからか、ふかふかの椅子に座った母親が安堵の溜息を吐いていく。表情からも、よっぽど馬車の椅子が苦痛だったと見える。
でも帰りも乗らなきゃいけないの、もしかしなくとも忘れていないよね?大丈夫かな。
「それよりこんな朝早くに着くなんて、何時に家を出たんですか?」
シュトレリウスを見送って朝食を片付けただけだから、まだ十時にもなっていない。
出された紅茶を飲んだ母親が、もう一度はーっと溜息を吐いたら、カップを置いてわたしに向き直った。
「少し飛ばしてもらったということもありますけれど、夜明け前に家を出たのですよ」
「そんなに早く!?」
いや、それよりもその速さでよく着いたな。御者の人にもお礼を言っておかなくちゃ。
でもこれで、双子のテンションが高い理由がわかった。
今もユイシィが出したタルトをほうばりながら、瞳は爛々と輝いたまんまだ。若干、目元が赤く充血しているのは寝不足だからか。
出掛けることもほとんどないから、こんなに遠出して興奮気味なんだろうな。
おやつを食べさせたら寝かせようかと考えていたら、タルトを指差したギルタがユイシィに尋ねていった。
「このタルト、姉ちゃんが焼いたのか?」
「ええ、そうですよ。奥様が昨夜、焼いたものです。今日は旦那様のお弁当の日なので、リュレイラ様たちと召し上がっていただこうと思いまして」
「しーっ!」
わたわたとユイシィに、それ以上は言うなと手を振ったけど意味がなかった。
サラッと言っちゃった言葉に、寛いでいた母親の目が吊り上がる。
「メイリア。お弁当とはなんですか」
「かーちゃんも食べたことあるだろ?」
ウチでもピクニックしたじゃんと平気でギルタは言うけれど、家事をすることを実家で怒られたのを見てたはずだろうがっ。
この話を知らないユイシィはきょとんとした顔で、いつもの様子を続けて話す。
「旦那様は奥様の作られた食事しか召し上がりません。昼食もお城の食事は口に合わないと聞いてから、必要なときにはお弁当を持たせております」
「お姉ちゃんのご飯は美味しいもんねぇ」
「はー……、まったく嘆かわしい」
ニコニコとミレナも賛同してくれるけど、首を振ってさっきよりも深い溜息を吐いた母親は「情けない」と呆れ顔だ。
いいじゃん、ご飯くらい作ったって。
「メイドの仕事を取るのではありませんっ」
「実家でずっとしていたから習慣になってるの」
「それが情けないと思っていたから、こうしてメイドを雇ってもらったのですよ?」
実家にもかろうじてメイドはいたけど、通いだから二日に一回くらいしか来てくれなくて。
っていうか毎日来てもらうほど、お金がなかったっていうのもあるけれど。
「シュトレリウス様も良いって言ったから、我が家はこれでいいの!」
以上!っと勝手にこの話はおしまいって締めたわたしに、申し訳なさそうな顔をしているのは父親だ。
まあ父ちゃんがもっとしっかりしてくれていれば、一応、端っことはいえ貴族のご令嬢が食事の支度とかしなくて済んだんだもんね。
それもとってもいまさらだから、別に気にしてはいないけど。
まだ不機嫌な母親は置いといて、ウトウトとしてきた弟妹を寝かしつけるためにとベッドを整えてもらった客室に運んでいく。重い。
「すみません、奥様。もしかしなくとも言ってはいけなかったのですね」
「もう実家でバレたから、さっきのはユイシィのせいじゃないよ」
ここに来たときから家事をしていたし、何より慣れた手つきだったことでユイシィも不思議に思わなかったみたいだけど。
わたしが家事をしないようにメイドがいるんだって、シュトレリウスも言っていたもんね。
「あ、でもユイシィの作る食事が美味しくないって言ってるわけじゃないからね!?」
だって、絶対に譲らないスープの腕はさすがだし。
最近はその……。たまに、たまーに、朝に間に合わなくて全部作ってもらうことだってある。
「もっと休んでもいいのですけれど?」
「……それこそ両親の前で言わないで」
秋に実家に帰ったとき、朝までお説教喰らわせられた内容を、その、あれからちゃんと夫婦になれたよって伝えたら喜ぶのはわかってるけど。
「じゃあ孫が産まれるのは夏だね!」とか満面の笑みで言われたら恥ずか死ぬ。
「旦那様と奥様の子供を待っている人は増えましたものね」
「その時まで絶対に言わない」
「そのほうが良さそうなメンツばかりです」
赤ちゃん服のカタログなんて、そろそろ一年分がたまってきたし。
名前すら男女合わせていくつも考えていて、お守りも各種揃って準備万端だ。
今から考えても、わたしよりもシュトレリウスのほうがプレッシャー半端なかったんだろうな。
って、それは今もか。
「……あのですね、奥様。何も言いませんけど、一番待っているのはリュードなんですよ」
「え、父親じゃなくて?」
「旦那様が何歳の頃から一緒にいると思っているんですか」
「そっか」
十歳くらいしか離れていないけど、小さい頃から今まで一番身近にいた人だもんなあ。
「ん?リュード自身の家族っているんだっけ?」
そういえば聞いたことないし、何よりずっとこの家から離れたこともないはずだ。
首を傾げて普段の会話を思い出そうとするわたしに、とっても呆れたユイシィの視線が突き刺さる。
「リュードに家族はいませんよ。だからずっと、旦那様とここで暮らしていたんじゃないですか」
「え?」
けれど新年に実家に帰っていいよって言ったら、アッサリと「じゃあ行ってきます」って返事がきたのはどういうことだ。
じゃあ実家って、誰の実家?
「両親のお墓参りだそうです。管理してくれている人は父親の弟さんだそうで、そちらに挨拶をしに行くだけと聞いています」
「そ、そうなんだ……」
シュトレリウスの苦手な物も、やっとこの前知ったばかりのわたしは、今までシュトレリウスを守ってくれていた人のことをちっとも知らなかったことにも気が付いた。
いくらなんでも知らなすぎるし、色々と遅い。
やっぱりかなり呆れつつも小さく溜息を吐きながら、ユイシィがすでに寝息を立てている双子の布団を被せ直していった。
「だからこそ、旦那様の子供ができることを誰よりも楽しみにしているんですよ」
「……そっか」
ここで自分の家族を作ろうと考えないことはどうかと思うけど。たった一人で二十年近く、一緒にいたリュードらしいか。
執事で庭師の忠誠心が強すぎる。
妻としてわたしができることは、シュトレリウスを幸せにすることだよね。よし、頑張ろう。
……ええとその、他にも色々と。