二話:お守りよりも必要なこと
しばらく門のところでへたり込んでいたわたしを、庭師で執事なリュードが見つけて腕を取って立たせてくれた。
「何をしていたんですか、奥様」
「何!?……な、なななんにもしていないけどっ!?」
そんなところに座っていないでと、なぜかわたしが窘められる。
し、したのはシュトレリウスだし!?
それこそ夏から毎日のように何度もしているのに、いまだに腰が抜けるわたしのほうがおかしいのはわかっているけれど。
慣れないんだから仕方がないじゃんと、真っ赤になったまま黙るわたしに呆れるような溜息を吐いていく。……シュトレリウスのせいなんだってば。
さっきのことを思い出して腰がまた抜けそうになるところを踏ん張って、なんとか畑に向かって平常心に戻れるようにと一心不乱に草を抜いてやる。
さっきのこととかは全部、草と一緒に抜いて忘れればいいんだ。そうすれば恥ずかしい気持ちごと、スッキリどこかへ行ってくれるはず。
「あれ、リュード。どうしましたか……って、奥様?」
ちっとも戻ってこないわたしを迎えに来たユイシィが、庭園じゃなくて畑の前にいる庭師のリュードを見つけて。さらに親の仇のように草を引っこ抜いているわたしに怪訝な顔を向けてきた。
「奥様は門のところに座っていたので、連れてきたら草を抜き始めました」
「はあ?」
意味がわからないと首を傾げるユイシィは置いといて。なんでそんなところで座っていたんだと訊かれても、答えられないんだから無視だ。
帰ってきたら、こうなった原因に訊いてくれ!
午前中は畑を整えてなんとか平常心に戻ってくれたから、ひとまず良かった。
美味しくできた昼食も、たっぷり食べたらいつもの調子も戻ってきたし。
朝に抜いた雑草を片付けたら、昼寝をしようかローブの刺繍を頑張ろうかと思っていたら。
家の前に見慣れた馬車が止まって、これまたとっても見慣れた人が笑顔で出てきて手を振ってくる。
「久しぶり、メイリア」
「お父様」
午後の予定は、父親とのティータイムに決定だな。
久しぶりだから良いってことにしよう。
なんかまた色々と抱えるように持ってきている中身は、ちょっと、かなーり気になるけれど。
こっちもアレか、例のいつものアレですね。はあ……。
にこにこしていても、この父親は油断ならないことを知っている。
ファウム家について、ただのお金持ちの友人としか教えてくれなかったのに。
しっかり魔法使いを輩出しやすい家系ってことも、シュトレリウスがどんな人かってことも知ってる上でわたしを嫁にやった張本人なんだから。
「今日はねえ、いつものお店で春物のカタログがあったから貰ってきたんだよ」
「……そっすか」
そう言って、とてもいつも通りに赤ちゃん服のお店の春の新作の絵を並べていく。
ついでとばかりに安産祈願のお守りまで渡してくるけれど。何個目だよ、お父ちゃんや。
「あのですね、お父様」
「春だったら、生地は綿よりも絹がいいかな」
「お父様」
「手触りは大事だしね」
「お・と・う・さ・ま」
「女の子かなあ、男の子かなあ……」
「聞けや」
ウキウキとしながらまた考えたのか、前とは別な孫の名前まで言い出し始める。
「……あのですね、お父様」
「なんだい、メイリア?」
気持ちを落ち着かせるために紅茶を飲んでカップを置いて、そうして向き直ったわたしに視線を合わせる父親に、今日も同じ言葉を言ってく。
「孫の名前は気が早いって、何度言ったらわかるんです?」
「ちっとも何もないからこうしてプレッシャーを与えているってことに、いつになったら我が娘は気が付いて行動してくれるのかな?」
ニコリと微笑みながら、「気ぃ早ぇっつってんだろうが」と言うわたしに。
似ている顔で微笑みながらも、「遠回しに言っても無駄っぽいからこうして何度も直接言ってんだろうが」と、負けじと父親も凄んできた。
お、今日の父ちゃんは負けてないね。
そんなに孫が欲しいのか。うむ、すまん。
「それで。いつ頃の予定か、そろそろわかったかな?」
「……そのうちです」
「そのうちって、具体的にはいつなのかな?」
すいっと視線を逸らしたら、もっと顔を近付けてにこにこしながら具体的にいつなのかと食い付いてくる。
身体全体を近付けて、微笑みながらプレッシャーをかけてくるんじゃない。
「いつって。……そのうちは、そのうちです」
さらに視線をぐるっとさ迷わせながら、いつなんて言えるわけがないだろうと返すわたしを、下からじとっと半眼で睨んでくる。
「つまり、この春物も出番はないということなの?」
「そっすね」
だって今から、……その、したとしても。どんなに頑張っても産まれるのは夏だもんね。
「はーーーー……」
とっても。とっても呆れた深ーい溜息をたっぷりと吐いた父親が、頭を抱えて固まった。
今日も空振りですまんね、父ちゃん。
一応、一応、……ほんのちょっとずつだけど、進んではいるんだよ。
ただ一歩進んだら三歩以上下がって、さらにぶっ倒れて一回休みって状態が続いているってだけで。
あれこれ進んでるって言うのか?……言わないな。
それもこれも、全部わたしの覚悟のなさというか、いまさら春の勢いがなくなってどうしようというか。
つまり後は、わたしの気持ち次第ってことになっている。
だって最近のシュトレリウスは、起きてからも仕事に行く時も、ええと、あの、顔を近付けてくるくらいだし。
そんなわたしに小さく溜息を吐きながら、父親が別の話をしていった。
あ、今日はこっちが本題だったのか。
「もうすぐ下の二人が十歳になるだろう?誕生日はメイリアに帰ってきて欲しいっていうから、その時に仲の良い二人が見れたら、母さんも少しは認めてくれるかなあって思ってたんだけど」
わたしと七歳離れている弟妹は、秋生まれの双子だ。
わたしとっていうか、父親と同じうっすい茶色の髪と蜂蜜色の瞳なのに、どうしてここまで可愛いんだろうと思うくらいに似ていない。
「今日も一緒に来ようと誘ったんだけど。実家と変わらず土仕事をしているってことを知ったら、母さんは寝こむだろうね」
「うん……」
前触れもなく急に来たから、わたしは午前中に抜いた雑草を片付けている最中で。
せっかく国で有数のお金持ちのファウム家の長男に嫁いだって言うのに、田舎にいた頃と同じ畑仕事に精を出しているって母親が知ったら倒れるだろう。
これはもう趣味みたいなものだからと言っても、生粋の貴族なお母様は理解してくれないんだろう。
理解されないことは寂しいけれど、こればかりは仕方がないし。
わたしが好きでしていることを知っている父親は、小さく溜息を吐くだけだ。
「ただでさえ家のために結婚をさせてしまったって、毎日のように泣いている母さんだからね」
「でも、シュトレリウス様は好きにしていいって言ってくれたよ」
「それはわかっているけどさ。子供には何不自由なく過ごしてほしいのが親なんだよ」
「……うん」
それはこの世界に来てからも、身に染みて感じていることだ。
前世ではヤクザな家の組長な父親だったけど。
任侠映画ばかり見た影響で言動がアレなわたしに、礼儀作法にマナー教室と、一人でも生きれるようにって料理教室にも熱心に通わせてくれた。
おかげでここに来てからも、この父親が事業に失敗してもたくましく生活して来れたんだし。
自分のせいで苦労をかけたからと、せめて良い家の良いお相手にって、シュトレリウスを見つけてくれたのは感謝している。
最初は色々あったけど。今もその、色々とあるんだけど。
「誕生日に、一緒に行ってもらえるか訊いてみます」
たぶん行くって、行っても良いって言ってくれるとは思う。
でもあのローブ姿を見たら、母親はともかく弟妹はどんな反応をするんだろう。
見慣れてる父親に確認しとこうと訊いてみたら、これまたアッサリとしたものだった。
「たぶん、ローブは被っていくと思うんですけど」
「ああ、髪の色を隠しているんだっけ。でも別に問題ないんじゃない?下の二人はメイリアに似て、誰に対しても物怖じしないし」
「似てないってば」
わたしはあんなに可愛くないもん。
……シュトレリウスにだって、もっと美人が良かったって言われたくらいだし。
別に、いいけど。
誕生日に実家に行けそうなら早めに連絡をすると言って、馬車に乗って帰る父親を見送っていく。
……用はないと言ったのに、しっかりと今回も春物の新作の絵を置いていきやがって。
「安産のお守りじゃなくて、夫婦円満とかにすればいいのに」
別に仲が悪いわけではないけど。安産以前の問題なんだよ、父ちゃん。
「はー……。これも片付けておくか」
今までのカタログもお守りも、捨てるには忍びないから全部取っておいてある。
だからってシュトレリウスと「どの服が似合うか」、なんて。
そんな会話をする日が今年中には来ない現実に、わたしもちょっとどうすればいいのかわからなくなってきた。
「それにしても。この春に結婚したばかりだっていうのに、赤ちゃん服の絵が大量すぎる」
ついでに安産祈願を始めとする、お守りの数も尋常じゃない。
もしやお百度まいりみたいなこともしているんだろうか。……あの父親ならありえる。
そして母親はいまだに孫ができないことで、余計に政略結婚だったからと嘆いているのかな……。
最初はそうでも、今はそんなことは、たぶん、ないと思われる。……たぶん。
「奥様、今日の夕食はどうしますか?」
「え?」
あ、そうか、もうそんな時間か。
けれどお守りと服のカタログを抱えていたわたしの手元を見たユイシィが、驚愕した顔で固まった。
「ユイシィ?」
「とうとう……」
「え?」
「とうとう奥様もその気になってくださったのですね!?」
「へっ!?」
キラキラと茶色の瞳をまぶしく輝かせて、ついにわたしが意識し出したと感極まって震えている。
……おーい?
「うわぁぁ……。こちらの靴下なんて、わたしの手のひらよりも小さいですよ!可愛いですねえ」
「う、うん」
イキイキと今の時期ならこれが可愛いとか、どっちに似るのだろうかと楽しそうに嬉しそうに話していくユイシィに、まだ全然そこまでいってないんだってばと言いにくくてとっても困る。
「そういえば銀の髪は遺伝しやすいんでしたっけ」
「うん、確か」
金の髪は王家独特の色らしく、デーゲンシェルムの白金はかなり希少。
それでも銀と同じで突然生まれるからわからないみたいだけど。
シュトレリウスの家は何代か続くくらいに産まれやすいから、王族の覚えもめでたい家になっていると聞いたことがある。
「じゃあ奥様は魔法使いを産むかもしれないんですね」
「髪の色がちょっと違うだけで、他は普通の子と変わらないでしょ」
いきなり手のひらから炎を出すとか空を飛ぶとかされたら困るけど、王女様も詠唱を覚えて魔法を使うことに慣れているって言ってたからなあ。
「そうですね。そもそも確実に産まれるかもわかりませんし」
「それもあるけど、ウチの血のほうが濃い気がするんだよね」
「奥様の家ですか?」
わたしと父親しか見たことがないユイシィに、自分の髪をつまんで我が家の見た目を教えることにする。
「そう、ウチ。三姉弟全員、うっすい茶色の髪に蜂蜜色の瞳なの。母親は濃厚な焦げ茶なのに」
「それはまた別な意味で濃いですね」
「うん」
だから人目で家族ってわかる。
わかるのはいいんだけど、やっぱり見た目しか似てないから可愛い弟妹と比べられると困るんだよね。
わたしも小さく溜息を吐いたら、赤ちゃん服を眺めていたユイシィも溜息を吐いて呟いた。
「早くどんな子が産まれるんだろうかという会話が聞きたいです」
「……はい、がんばります」
結局のところ、その問題に行き着くわけで。
それでもまだちょっとと言い続けるわたしを待っているシュトレリウスにもいい加減、悪いしなあ。
「知っていましたか、奥様?リュードにも言われたのでゆっくり見守ろうかと思い続けていたら、半年以上が経ってしまったんですよ」
「うん……」
本当に、それは申し訳ない。
「でもそれなら今日のネグリジェはぴったりだと思います。デザイナーさんも太鼓判を押していましたからっ」
「はあ」
「今夜は奥様から旦那様を押し倒しましょうね!」
「誰が押し倒すかっ!!」
可愛らしい顔でなんということを叫んでいるんだ、ウチのメイドはっ。
「……まだ外は明るいんですけど」
コンコンと控えめなノックをして、リュードも何を叫んでいるのだと注意をしに来た。
庭にいたはずのリュードがここにいるってことは……。
「旦那様がお帰りですよ」
「ぎゃおうっ!?」
なんとも言えない顔で微笑んだリュードの後ろに、真っ黒いでっかい塊がチラッと見えて思わず叫んでしまった。
「……」
「……」
ローブ越しだけど、シュトレリウスがとっても困っていることがわかる。
つまり、……き、聞こえたってことだよね?今のユイシィとの会話を。
かなり話しこんでしまっていたみたいで、外はさっきよりも暗くなっていた。
どうすればと固まっているわたしに一緒に眺めていたユイシィは、ちょうど良いとばかりにわたしに向かって親指をグッと立てて謎の合図をするだけとはどういうことだ。
もっと慎みを持ちなさい、慎みを。
「とりあえず部屋を片付けましょうか」
「それが良いでしょう」
固まったままのわたしとシュトレリウスを交互に見ていたユイシィとリュードが、抱えたままのお守りとカタログをわたしの手から取っていく。
「はっ」
もしかしなくても、わたしが持っているこれを誤解して、もっと戸惑っていたりする?
「……」
「奥様?」
「うーん……」
「奥様!?」
そういう意味じゃないと言おうとしたのに、それよりも先にわたしは気を失って床に倒れこんだ。
やっぱり次は安産祈願のお守りじゃなくて、精神統一とか心願成就みたいなお守りを持ってきてもらうことにしよう。
これじゃあ慣れる前に倒れっ放しでシュトレリウスにも呆れられてしまう。
……いやもう呆れているだろうけど。