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没落令嬢の旦那様  作者: くまきち
第三部:深まる秋
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一話:不意打ちの見送り

「はー……」


 畑から採ってきたばかりのレタスの葉を細かくちぎり、ボウルに一玉丸ごと入れていく。


「はー……」


 水に戻した海草類も入れたら、オニオンドレッシングと一緒に()えていく途中で手が止まった。


「……」


 結婚して二ヶ月目で、やっと手を繋いだり抱き……ぎゅっとしたりできて。

 夏にはやっと、キ、ち……。顔が近付くことができてから、さらに二ヶ月。


 昼間はまだ残暑が厳しくても世間では秋だというのに、まだギリギリ新婚と言える時期なのに。

 わたしたちの距離は、ほんの少し近付いただけでそれ以上は縮まっていない。


「はーーー……」




 いつだって、無理矢理するような人じゃないから。……その、わたしの覚悟が決まるのを待っていてくれているんだろうけれど。

 最初の頃の意気込みはまったくなく、とにかく途中でぶっ倒れるという毎日。


 毎日というか毎晩というか……その、今朝もやっちゃったんだけど。


 かなり辛抱強く待っていてくれるのは、正直とってもありがたい。

 だって前世でもお付き合いなど全然したことがないから、どうすればいいのかなんて手探り以前の問題だし。


 でもなんかこう、ここまで来たら勢いというかきっかけというか、とにかく気持ちが変わる何かがないと難しいのが現状だ。


「よしっ」


 とりあえず気合いを入れ直すために卵を手に取って、別なボウルに割り入れる。そうして手早くかき混ぜたら、小さいオムレツを人数分作っていこう。


 こうして朝のいつもの行動をするだけで、ちょっとだけだけど落ち着いてきた。

 やっぱりなんと言われようと、食事の支度と畑仕事は続けよう。ストレス解消にもなるし、気分転換にもなるもんね。


「よっ……と」


 中にはチーズを入れた、ふわっととろけるチーズオムレツをお皿に盛りつけて完成だ。

 よしよし、今日もいい色合い。


「ん?」


 パンはそろそろ焼けたかなとオーブンを覗いたら、隣りでスープをことこと煮込みながらわたしを見つめている視線に気が付いた。




「何、ユイシィ?」


 食事の支度に掃除もしているけれど、何もメイドがいないわけじゃない。

 だって独立したとはいえ、シュトレリウスは国で有数の侯爵家であるファウム家の長男だし。


 ある程度はわたしの好きにさせてくれるメイドはとっても助かるけれど、最近はこうして、何も言わずにただじいいっと見つめることがある。


 なんだ、なんか言うのか。なんかっていうか、アレしかないんだろうけど。

 でもいつものアレならノーサンキュー。


「あのですね、奥様」

「はい、なんでしょう」


 はーっと思いっ切り深い溜息を吐きながら、ユイシィが首を振ってとっても呆れた視線を向けてくる。

 ……これはアレだな、いつものやつですね、はい。


「わたしは毎朝、今日こそは遅く起きてくるだろうと思って厨房に入っているんですよ」

「はあ」


 わたしが遅く起きてくることを、楽しみにしているメイドってどうなんだ。

 いや、言っている本来の意味はわかるけれども。


「なのに今朝もしっかりと定時に起きてくるし、全っ然フツーだし」

「はい」


 ぐるぐるとスープをかき混ぜながら、あれ・・からしっかり目覚めて着替えまでして、さらにいつも通りに食事の支度を始めたわたしに文句を言ってくる。

 思っていたよりもそんなに気絶をしていなかったみたいで、畑に水をやる時間の余裕まであったくらいだ。


 それでもわたしを抱えるように眠っていたシュトレリウスを離すことは大変だったけれど。


「世間ではもう新婚ではないかもしれませんけれど。奥様たちは今までなんにもなかったのですから、新婚と呼んでもいいのですよ!?」

「はい」


 ええとその、世間一般的の新婚よりも……。

 かなーり手前でウロウロしていると思うんだけれど。……主にわたしが。


 これについてはシュトレリウスにも謝りたいことだけれども、それ以上になんにもないと毎日のように嘆いているメイドってどうなんだ。

 うちの父親も孫を待っている一人だけれど、こんなに露骨には訊いて……、いや訊いてきたな。


「いいですか、奥様?」

「はあ」


 いつになったら孫が来るんだと訊いてくるセクハラジジイどもは置いといてと、オーブンからパンを取り出したわたしにユイシィがビシッと指を差す。


「今夜こそ旦那様を押し倒して、きちんと夫婦になってください!」

「うぐっ」

「新作のネグリジェは仕入れてありますから!」

「は!?」


 フンッと拳を握って茶色の瞳を輝かせ、わたしの年齢に合わせつつも色っぽくなるように選んできたと細かく説明をしていく。


「安心してください、奥様。胸にボリュームがあるようなデザインですよ!」

「うっさいわ!」


 あああああ朝からなんということを大声で宣言しやがるんだ、ウチのメイドは!?

 ついでに余計なことは言わんでよろしい。誰の胸が貧相だと言うんだ。




 せっかくいい色と形のオムレツができたというのに、わたしの機嫌はとってもよろしくない。


 ムスーッとしたまま無言で咀嚼そしゃくするだけのわたしに、向かいに座っているシュトレリウスが首を傾げながらカトラリーを動かしている。


 最近では、この形が上手くできたとか味はどうかとか。今日の予定と何時に帰ってくるのかとか、そういう普通の会話もするようになったのに。


 カチャカチャと静かにお皿の音が響くだけって、これじゃあ春先のまだ結婚したての頃に戻ったみたいじゃないか。


 その頃と違うのは、常に被っていた真っ黒いローブを取って、シュトレリウスの銀の髪と紫色の瞳がきちんと見えているってこと。

 さっきのことが恥ずかし過ぎて、視線なんて合わせられないけれど。


 中途半端になっている、わたし専用のローブを今日は仕上げよう。

 どこに視線を合わせればいいのか困るこういう時のために、こっちからは見えるけど外からは見えない、特殊な魔法陣の刺繍を縫うことにしよう。そして被ろう。


 ……だ、だって夜はアレでしょ。

 気合いの入ったユイシィ御用達の例の店から仕入れた新作を着せられて、寝室でシュトレリウスを待たなくちゃいけないんでしょ!?


 どんな寝間着なのかは分からないけれど、とりあえず胸にボリュームがあるらしいから無駄にフリルとかついているんだろうか。そっちのほうが不自然だろうに。

 ……うっさいわ。




 途中から、ぶちぶちと文句を言いながら顔を赤くしているわたしに。

 やっぱりなんと言えばいいのかわからないシュトレリウスは、とりあえずわたしの頭を撫でて機嫌を取ろうと頑張っているらしい。


 一晩中わたしの腰に腕を回していたこととか、途中で膝枕をしてこととかは覚えていないみたいで怪訝な顔をしたままだ。……この野郎。


 そうして迎えの馬車が門の前に着いて、御者が扉を開けたらいつもの人は乗っていなかった。


「あれ、デーゲンシェルム様はいないのですか?」

「ああ。今日は先に行っているそうだ」

「ふぅん?」


 最近は朝食まで勝手に食べていた変態……、もとい、シュトレリウスと同じ魔法使いを思い出しながら空の馬車を覗きこむ。

 いつも鬱陶しいくらいに一緒にいたがるのに、先に行っているとは何かあったのかな?


 デーゲンシェルムは、さらに希少だと言われている白金プラチナの髪を持つ魔法使い。

 歳はわたしよりも二つ上。高身長といい物腰の柔らかさも相まって、見た目はかなりの好青年。いつも笑顔を絶やさないし、整った顔立ちをしているからシュトレリウスとはまさに真逆の存在。


 シュトレリウスが夜だとすると真昼、冬と夏くらいに全然明るさが違う。

 現にその見た目につられて、一目惚れする人が後を絶たないくらい。


 まあ中身を知って、光の如く一瞬で遠ざかっていくけれども。


 アレさえなければなあと思わず溜息を吐いたら、わたしの頭を撫でていたシュトレリウスが、今度はポンポンと背中を優しく叩いていった。


 ……どうも、あやし方が子供に対するものなんだよな。そりゃあ十歳も離れていれば子供だろうけど。


「近いうちに王女が呼びたいと言っていた」

「この通り暇ですから、そちらの都合に合わせられますと伝えてください」

「わかった」


 王女様も魔法使いの一人なんだけど、まだ十歳ということで外にはあまり出られないらしい。

 だからこうして、歳の近いわたしを呼んではお茶をする仲だ。とても可愛い。


「フェイナちゃんは呼ばないのですか?」

「……たぶん、呼ぶだろう」


 わたしよりも二つ下で、この夏に新しく共通の友達になったもう一人の女の子の名前を出したら、あからさまにシュトレリウスがムスッとした。


 今は外に出るからと、ローブを被っていて口元しか見えないけれど。

 さすがに半年以上、一緒に過ごしているもんね。これくらいの変化は読めるようになったよ。次にお義父様が来たら自慢してやろう。フフン。




 うんうんと頷くわたしに、シュトレリウスがよく使い込まれている長い指を伸ばしていく。


「今日は早く帰る」

「……わ、かりました」


 するりとあごに指を添えて、そのまま上を向かせたら顔が近付いて。

 ちょっとだけ唇が触れたら、意地悪そうに微笑んでいる紫色の瞳と目が合った。……この野郎、何を笑っていやがるんだ。


 思わずじろっと睨んだら、それすらも楽しそうに口元を歪ませて。

 指を離したら、そのまま馬車に今度こそ乗り込んでいった。


「行ってきます」

「行ってらっしゃいませ」


 春に逃げていたのはそっちのクセに。

 夏にちょっとだけ近付いたと思ったら、今みたいに不意打ちをかますようになってとっても困る。


 ……触れることに、わたしに近付くことに許可はいらないとは言ったけれど。


 軽く触れただけの唇が熱くて、ゆっくりと遠ざかる馬車を見送りながらその場でへたり込んだ。


「くそぅ」


 帰ったら覚えておけと馬車が走り去った方向を睨みながら、気絶をしない代わりに腰を抜かしてしまった。


 本当に、いつになったらこういうことにも慣れて。

 ぎゅっとするより、顔を近付けることよりも先に行けるって言うんだろうか。


「これじゃあ夫婦とは言えないよね」


 とりあえずユイシィが用意したという寝間着に気合いを入れさせてもらおうか。


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