十六話:……ちょっとだけ
「はー……」
なんだか色々あったけど、これで少しは落ち着いてくれたのかな?
そんな風に思いながらベッドの上に寝転んだら、寝室の扉が開く音がした。
……いや、してもいいんだけど。
シュトレリウスが入ってきたとわかって慌てて飛び起きて、結婚した最初の頃の夜みたいに、わたしはベッドの上で正座をした。
「どうした?」
「なんでもありません」
なんだか色々ありすぎて、余計なことも言ったりやったりしたことを思い出して、いまさらながらに恥ずかしくなってきた。
そもそも父親自らが画策するってどういうことだよ、まったく。大人しく畑でも耕していろ。
「……ローブは?」
「ここにある」
窓から入った月の光が反射しているなあと思ったら、シュトレリウスはローブを腕にかけたまま被っていなかった。
だからって、まっすぐこっちを見られると恥ずかしいんだけど。
最近は一緒に眠ることが増えたから、そのままベッドの縁に座るのもわかる。わかるけど、隣りに座られるとどうすればいいかわからないから困る。
だって父親にまで「気合いを入れろ」と言われてしまったから、意識してしまってどんな顔をすればいいのかわからない。
「ん?あ、また髪をそのままにしていますね?」
ローブの代わりにタオルを首からかけているけど、ポタポタと滴が落ちてるじゃないか。
シーツに染みができたらどうすると、ぶちぶち言いながら髪を拭き始めたら屈んでされるがままになってる。
「……」
おい、こら。そこは胸だって言ってんだろうが。許可は……別にいらないけど。
無言で人の胸の間に顔を埋めているから、仕方がないからそのまま髪を拭いていく。……動くなよ?くすぐったいし恥ずかしいんだから。
「……メイリア」
「なんですか?」
わしゃわしゃと拭いている途中でシュトレリウスがわたしの名前を呼んだ。でも呼んだだけで続きの言葉はなくて、何がしたいのかわからない。
髪を拭くのに立てていた膝を下ろして、わたしとタオルに挟まれていたシュトレリウスを覗き込んだらいつもの紫色の瞳と目が合った。
「……」
「?」
何か言いたいみたいなのに、口を開いたり閉じたりするだけで言葉は出てこない。首を傾げながらも待っていたら、やっと一言だけ呟いた。
「行かなくていいのか?」
「どこへ?」
「……デュラー家へ」
「なんで?」
なんであんなオッサンのところへ行かなくちゃいけないんだと尋ね返したら、もっと変な、よくわからない表情をしていく。
「向こうの家のほうが、合っている、と、思う」
「喧嘩売ってんの?」
「それなら利子付きで高く買い取ってやるけど?」と追加で言ったら、首を横に振って否定するけれど。どこを見て向こうのオッサンがいいと思われたんだ?意味がわからん。
「そもそも後妻にって話は冗談だったではないですか」
「……」
これもわたしたちの仲を焚きつけるためだったとか意味がわからん。
もしかしたらフェイナは知っていて、それであんまり嫌な顔をしていなかったのかもしれないな。
だって普通は自分と二歳しか離れていない女を「お母様」とか、認めたくも呼びたくもないだろうし。
それでもなんだかしょんぼりしているような、よくわからない表情のまま俯いているシュトレリウスは珍しいから、この前も言った言葉で確認してやろう。
もうちょっとだけ近付いて、胸倉をつかんで目を合わせるわたしに紫の瞳が驚きで見開かれている。
「お前の妻は誰だ?」
「……メイリア」
「そのわたしの夫は誰だ」
「…………私だ」
「間違えるな。あと忘れんな」
「……」
わかってるならいいと離れて、また頭にタオルを被せて追加する。
「向こうに行ったほうがいいなら行きますけど、わたしから行く気は微塵もありません」
「……」
だって畑ないしメイドは鬱陶しいくらいにたくさんいるし。お客さんだってひっきりなしに来て、そのたびに挨拶しなくちゃいけないとか面倒くさいし疲れるわ。
声が届く魔導具を通して聞いていたなら知っているでしょと見返したら、小さく頷いてはくれたけど。
「そもそも行くとしたらシュトレリウス様と離婚して、向こうの嫁になるってことですけど?」
「……」
「じゃあ二度と言うな」
「……」
「離婚してもいいのか」と訊いたら被り気味に首を振って否定してくれたけど、「次言ったらぶん殴る」って言葉には控えめに頷いた。
え、もしかして殴られたいの?変態か。
そのまま俯いているから一息吐いたらまた頭を拭くことにする。なんか喋れや、無理か。
「……賑やかな家のほうがいいだろう?」
「え?」
喋ったのはいいけれど、どこと比べて賑やかな家がいいとか言い出したんだ?
首を傾げて見上げたら、なんだかちょっと不機嫌な顔をしている。
「賑やかって、この家が静かなのは前からでしょう?……そ、それにそのうち……賑やかになるかも、しれないですし」
「……」
近付くだけで固まるから。……その、家族が増えるのはまだまだ先だろうけど。
フンッと言い放って頭をわしゃっとしたら、また無言に戻ってしまった。なんだ、なんか言えや。
そりゃあヘタレなのはわたしのほうだけど、なんかこう、これから増やそう!とか意気込みを……うんいいや、言わなくていい。
頬を叩きたくなった手をシュトレリウスの頭に置いて、そのままタオルで拭いて誤魔化すことにする。
いい。気合いはまだその……、入れなくていい。いいったらいい!
それにしても今日も憎らしいくらいにサラサラな髪だな。王女様やデーゲンシェルムの金や白金も、シュトレリウスと同じ髪質なのかな?
柔らかくてサラサラで、この前抱えて眠った時は思わず撫でてしまったくらいに触り心地が良かったことを思い出した。
「……」
「?」
しばらく大人しく拭かれていたのに、急にプイッと顔を逸らしてしまった。なんだ、今度こそ喧嘩売ってんのか?
タオルを被せたまま覗き込んだら、目を閉じて口をへの字に曲げてもいる。
なんだろう、この顔は。さっきとはまた違った表情だな。
「どうしました?」
「…………なんでもない」
ものすごーく躊躇いながら「なんでもない」わけないだろーが。もっと近付いて下から覗き込んだら、小さく息を飲んだ気配がした。
「シュトレリウス様?」
「……」
「息してます?」
「……」
「??」
「おーい」と呼び掛けながら顔の前で手をヒラヒラとさせてみても、閉じたままの目もムスッと引き結んだ口元もそのままだ。
なんだろう。新しいな。新しい反応すぎて意味がわからんぞ。
「シュトレリウス様?」
ベッドの縁に膝をついてもっと近付いたら、こちらを向いた紫色の瞳と目が合った。
「ひゃっ!?」
シュトレリウスの肩に置いた手はつかまれて、反対側の手はなぜかわたしの腰に腕ごと回されている。
さっきよりも、でもこの前よりは近くない距離にシュトレリウスの顔がある。……なんだ、これは。
「あまり無防備に近付くなと言っただろう」
「え?」
そう言われても、急に顔を逸らして無言になったら気になるじゃん?
そりゃあ今は夜だしベッドの上だし、そもそも二人きりだけれど。それだっていつものことだし。
「……」
「……」
……ん?
今は夜だから、お風呂に入った後で。
つまり結婚して一ヶ月ちょっとの夫婦が、ベッドの上に、二人、きり……。
「っ!?」
やっと状況を把握したわたしは、全身を真っ赤にさせて固まった。さっきは「これから家族を作ろうね」って言ったのはわたしだっていうのに。
ついでに腰も抜けたので、いつものようにへたり込む。……何してんだ、わたし。
右腕はつかまれたまま、ついでに腰にはまだシュトレリウスの腕が回されている。
そんな状況でへたり込んだわたしは、必然的にシュトレリウスの膝の上に座ることになった。意味がわからん。でも動けない。
さっきはあんなに何度も自分から近付いていっていたというのに。
つかまれている右手は動けないけど左手は動ける。だからといって、背中に回す大胆さはないんだけれど。
それでもぎゅっと腕をつかんで寄りかかるように近付いたら、今度はシュトレリウスが固まってしまった。
「……」
「……」
ええと、あの、こういうときはどうすればいいんだっけ?
つかまれていた腕は離してくれたけど、そのままシュトレリウスの服をつかんでしまったから相変わらずわたしは腕の中にいる。
腕の中っていうか膝の上っていうか、なかなかに近い位置だ。
対するシュトレリウスは、わたしを抱えるように支えるように腕を回したままだから、抱き……ぎ、ぎゅっとしてると言えばしている。
「っ!?」
俯いたまま無言のわたしの頬に、長くて使い込まれた指が触れた。
急に触れられて大袈裟に反応してしまったわたしから、すぐに引っ込めようと離れる前に思わずつかむ。
べ、別に触れられるのは嫌じゃないもんね。ただちょっとビックリしただけで。
だからその、嫌じゃないよっていう意味でつかんだのに、シュトレリウスはそのまま動かない。
「……?」
シュトレリウスが手をつかんだわたしの指ごと絡めていって、そのままわたしの顔を持ち上げたら紫色の瞳が近くで見つめていた。
額が触れるくらいに近いから、月の光が当たった髪も輝いて見える。今日も不思議な色合いの銀の髪は、まだちょっと濡れているみたいでキラキラと眩しいくらいに反射していた。
「……触れていいのか?」
「え?」
どこに、なんて。
訊き返す前に絡まった指ごと唇に触れて、それだけで意味がわかった。
「許可がいるのですか?」
ものすごく躊躇っているように紫色の瞳が揺れている。
ちらっと見上げて逆に訊いたら、なんだかちょっとだけ驚いて、でもフッと小さく微笑んだ。
「ひゃっ」
不意打ちで額に触れるとか反則だ。ビックリしたじゃないか、この野郎。
顔を赤くしたまま睨んだら、もっと面白そうに笑ってる。……ムカつく。
「笑うな、阿呆」
ムスッとしたまま睨んだら、少しだけまた躊躇ったけれど。額同士がコツンと当たって、腰に回された腕に力が籠った。
「……」
「……」
銀色の髪は今日も憎らしいくらいに輝いている。襟足が少しだけ長い髪が、わたしの薄い茶色の髪と絡まるように近付いていく。
紫色の瞳はさ迷っているけど、蜂蜜色の瞳もどこを見ればいいのかと困ってるからお互いさまだね。
「……」
「……」
シュトレリウスはこれだけ近付いたのに、その先にいくことをまだものすごーく躊躇っている。わたしもまた心臓がうるさくなってきたから、できれば頬を叩いて落ち着かせたい。
それでも前みたいに逃げないで、覚悟を決めて見上げていく。
「……フッ」
「……ふっ」
逸らし続けていた瞳が合ったら二人で小さく笑ってしまった。
「……」
「……」
頬は赤いし、やっぱりものすごーく恥ずかしいけれど。
他の誰よりもいつかの日よりも、シュトレリウスがわたしの一番近くのすぐ傍まで、なんでも最初に来てほしいから。
もう一回、瞳を合わせて。ゆっくりとそのまま閉じていった。