七話:王女様はからかい上手
お互い気まずい夜を過ごしたわたしたちは、もれなく次の日も気まずかった。
というかまともに寝ていない。
「あらぁ、おはようございます」
「……おはようございます」
「……」
明らかに寝不足だとわかるわたしたちに、ものすっごく輝かしい瞳と生温かい視線を向けてくるウチのメイド。
そんなワクワクするようなことはないと断言してやる。ないったらない。全然ない。……いや、ちょっとはあったかもしれないけれど、最終的にはなかったからね!
そんなことは言えないから黙っていたら、またしても「新婚ですもんね!」という温かい眼差しを向けてきた。そうして大人しく座っているようにとわたしもシュトレリウスごと食堂に押し込めて、朝食の準備をしに厨房へ行ってしまった。……気まずい。
「……」
「……」
わたしもわたしで自分からシュトレリウスの顔を胸に突っ込ませたから、どんな顔をすればいいのかわからないけれど。まさか潜り込んでまでそんな場所で眠っていたと知ったシュトレリウスも、ローブの下で気まずいことだろう。
こういう時にローブって便利だよね。わたしも被りたい。
「あ、そのローブの布って普通の布ですか?」
「?」
こういう時に訊くのは気まずいけれど、思い出したついでに訊いとこう。だってユイシィはきっと気を利かせてしばらく来なさそうだし。
それに今のうちに訊けたら帰ってくるまでに作れるかもしれないしね。
待て、ローブ被った旦那様をローブ被った妻が出迎えるというのか。……他に誰もいないからいいか。
「そのローブには前が問題なく見える魔法陣が組み込まれているんでしょう?布を買ってきたのでわたしでも作れないかと思いまして」
「布はなんでもいい。特殊な魔法陣を刺繍したら使えるようになる」
「じゃあわたしでも作れるんだ」
そりゃあ便利だ。つーか意外と一般人でもできるんだなと思って、はたと気付いた。
そういえばシュトレリウスのローブは産まれたときから被ってたって言ってたな。もしかしてお母さんが作ったんだろうか。
結婚式以来、こっちの母親とも会っていない。そもそも父親とも会ってないけど。だって来ないし。
本当に誰も近付かない家に小さい頃から一人きりって、そりゃあ口数も減るよなあ。口下手とか言ってすまん。
「あの、お義父様って元気ですか?」
「ああ」
ウチの父親は相変わらず孫を熱望しているくらいに元気だけど、そういや弟妹も結婚したって知らないのかな。シュトレリウスにも弟がいたはずだけど、そっちはどうなんだろう。
「ええと、ちなみに弟さんはわたしのことを知っています?」
「知っている。ファウム家を継ぐのは弟だからな」
「そういえばそうでしたね」
そんなとてもいまさらなことを話していたら、「なんで普通に戻ってんだよ」とユイシィに理不尽に睨まれた。
普通に戻っちゃいかんのかい。気まずいままモジモジしていろとは注文の多いメイドだな。
「おはようございます、メイリアさん。ささ、どうぞ」
「おはようございます、変た……デーゲンシェルム様。”どうぞ”?」
今日も爽やかな笑顔と白金の髪を輝かせたデーゲンシェルムが、わたしに向かって何かを手渡してきた。
「……」
「痛たたただた、そういう使い方ではなくて」
「どんな使い方でもだ。てっめぇ朝から人妻に何手渡してんだゴラァ」
変態が渡してきたのはデュラー家のいたいけなお嬢さんに渡したものと同じものだった。つまり鞭。意味がわからん。わかりたくもないけれど。
わたしは馬鹿正直に鞭として使わずに、持ち手のところをグリグリとデーゲンシェルムの頬にめり込ませることにした。
それでも恍惚とした表情を浮かべる変態。うっとりするな、気持ち悪い。
「だってメイリアさんに持たせたら似合いそうだなあと思って……痛いっ」
「どういう意味だ」
「絶対に使いこなしてくれそうだよねとリュレイラ様にも話したら、面白そうねと言ってくれたので持ってきました」
「幼い王女様に何を話しているんだ、この変態がっ」
鞭が似合いそうで面白いとはどういう意味だ。喧嘩売ってんのか。
「やっぱりとても似合っていますね。どうですか、ちょっと振ってみてくれません?」
「変態を喜ばせる気は一ミリもないわ」
ゴミ虫のような視線を向けるだけにして、鞭を明後日の方向へ投げたら「高かったのに!」と慌ててデーゲンシェルムが拾いに走った。自腹かよ、さすが変態だ。
そんな変態は無視してシュトレリウスに向き直ろう。
「変態は置いていっていいですよ。捨てておきますから。お城へ行ってらっしゃいませ」
「え、メイリアさんも行くんですよ?」
「なんで」
鞭を丁寧に包んだデーゲンシェルムが、わたしにも馬車に乗れと言ってきた。
城に行く予定はないんだけどと首を傾げたら、それまで黙ってわたしたちのやり取りを眺めていたシュトレリウスが顔を逸らした。
「昨日、言い忘れましたね?」
「……」
「王女様とお茶会でしたら、お菓子の用意も何もしていないのですけれど」
「……すまん」
「ええっ、お菓子はぁ!?」とガッカリしている変態は置いといて、ローブの下から睨みつけたら紫色の瞳をちらっと向けて小さく謝ってきた。
王女様が楽しみにしていたらどうすんだと言ってももう遅い。こんな短時間で用意できるものなんて何もないぞ。
「食べかけのチョコレートでは失礼ですよね」
「美味しいけど、イイトコのチョコだから逆に食べ慣れた味じゃないかな?」
目の保養とばかりに変態の顔だけ見に来たユイシィが、この前買ってきたチョコレートはどうだと言うけれど。箱にいくつも隙間が空いている食べかけはさすがに失礼すぎるだろう。
「じゃあ行きがけに寄りましょうよ。初夏の限定品ならまだ食べていないと思いますし」
そうと決まればと馬車に乗り込んで、あんまり着飾らない格好のまま変態とまたしても馬車に乗ることになった。意味がわからん。これで何度目だ。
ガタガタと相変わらず揺れの激しい馬車の中で、変態が蒼い瞳をキラキラさせてこちらを見ている。
なんだ、こっち見んな。酔うだろうが、変態に。
「ほら」
「……あ、りがとう、ございます」
前にも酔ったからと手を差し伸べて抱えてまでくれるけど、変態が目の前にいることには変わりない。前と同じようにローブの中に潜って視界に入れないようにしとこう。
「リュレイラ様が見たら喜ぶ光景ですねえ」
「……」
やっぱり今すぐわたし専用のローブが欲しい。同じローブに二人で入ったら、ちょっと上を向くと視線が合って今朝の気まずい気持ちが甦ってくるじゃないか。
またしてもわたしたちは無言のまま、デーゲンシェルムだけが話し続ける馬車に揺られてチョコレート屋さんへ向かった。
「ところで、リュレイラ様はなんの用ですか?」
「最近お茶をしていないからだとしか聞いておりません」
「役立たず」
「イイ返しですね!」
「さすが!」と親指を立ててイイ笑顔な変態は置いといて。
それなら余計に新しいお菓子を作ったのにと、書斎に籠りやがった旦那様を睨んだら顔を逸らした。まったく。ホウレンソウは大事だって、もっとちゃんと言っておかないと。
昨夜はあの……ほら、わたしも気まずかったから仕方がないけどさ。
お城へ行く前にチョコを買おうと馬車から降りようとしたら、いつか聞いたような声が響いてきた。
「ファウム様!やっとお会いできましたね。ごきげんよう」
誰だと馬車から顔を出そうとしたら、それより先にデーゲンシェルムが爽やかな笑顔を馬車から出して声を掛けていった。
「やあ、デュラー家のお嬢さん。こんなところで奇遇ですね。まさか私の家から馬車で着いてきたんですか?」
「ひぃっ!?変態ッ」
「あ、逃げた」
少女が逃げる変態、それはデーゲンシェルム。
鞭を渡す以外にもやらかしてんじゃないの?わたしが外に出る間もなく、一目散に馬車が逃げて行ったぞ。ひどい逃げっぷりだ。
「とうとう名前で呼んでくれなくなってしまいましたが、やはりまだまだですね」
「……」
「惜しい!」とか言っている蒼い目は輝いているけれど、物足りなさそうに首を振って馬車が走り去った方向を見てガッカリしている。
もしやコイツ、自分の周りにいる人たちに同じような対応を求めているんだろうか。
それはそれとして置いといて。初夏の限定チョコレートが無事にゲットできたので家のお土産もまた買って、今度こそお城へ向かうことにする。
そういえばさっきの声、どっかで聞いたような気がするなあ。初デートの時じゃなくて、それ以外で。
「どうした?」
「いえ。それよりもデーゲンシェルム様の家には見つかりやすいのですか?」
ウチは父親の話だと許可した人にしか見つからないようになっているみたいだけど、家から着いてきたってことはバレバレってことじゃない?
「ウチは誰でも入れるようにしていますよ。家族と住んでいることもありますけれど、わざわざ罵りに来てくれた人を追い返すなんてもったいないじゃないですか」
「……そっすか」
いつも通りの変態の答えを手を振って流したら、前にも来た白い建物が目の前に現れた。
他に誰も歩いていない王女様の居住区である塔に入ったら、早々に扉から金の髪を揺らした王女様が飛び出してきた。
「メイリアさん、ようこそ!」
「お……久しぶりでございます、リュレイラ様」
どーんと体当たりする勢いで、満面の笑みを浮かべる美幼女。なんだこれ、可愛すぎか。
わたしを見つけてにこにこしていた王女様だけれど、隣りのシュトレリウスに向かって頬をぷうっと膨らましていく。
「もう、シュトレリウスったらちっとも連れてきてくれないんだもの。待ちくたびれたわ」
「え?」
何度も連れてきてと頼んでいたのにと怒る王女様だけど、わたしはそんな話は聞いていない。
おいコラちょっとそこ座らんかいと睨んだら、またしてもすいっと顔を逸らした。
それでもじいいっとローブの下から睨み続けたら、小さく謝ってくれたけど。
そんなわたしたちを交互に見た王女様は、ユイシィのような企んだ微笑みを浮かべて深紅の瞳をにんまりと細めた。
「そうよね。シュトレリウスはメイリアさんを外に出したくないのだものねえ?」
「え?」
「誰にも見つからなくて辿り着けない、あの家の中にずっといて欲しいんですよねえ」
「ん?」
「……うるさい」
ニヤニヤと王女様とデーゲンシェルムが口々によくわからないことを言っていく言葉を、シュトレリウスがものすごーく鬱陶しそうな声で黙らせようとするけれど。
ちらっと見上げたらまた顔を逸らしたから、これはアレだ。最近わかったアレだ。
「やだわ、シュトレリウスったら照れているのね?」
「シュトレリウス様がメイリアさんを大切にしているのはバレバレですから、いまさら照れなくてもいいんですよ」
うふふと微笑みながらいつものユイシィみたいにからかってくる二人の言葉に、いますぐローブを被りたくなってきた。
ちょうどいいところにあるから潜り込むことにしたけれど、気まずい原因と目が合ってすぐにローブから飛び出る羽目になる。当たり前だ。
つか何してんだ、わたし。ちょっと落ち着こうか。頬を叩く落ち着かせ方ではなくて、深呼吸でもしよう。
「イチャついているわ」
「だから言ったではないですか。来るまでも馬車の中でイチャついていたんですよ」
「……」
「……」
なんだ、これは。何をしてもどう動いても恥ずかしいとはどういうことだ。