三話:結婚式の意味
デーゲンシェルムから言われて初めて、みんなの前で結婚を報告する意味がわかった。
まあわかったからって、もう一度する気もわざわざ言う気もないけれど。
「確かに庶民でも家に呼んだり教会を借りたりして、たくさんの人を呼んでの結婚パーティをしますもんね。式をすれば場所とか参加人数とか関係なしに国に認可はされますけど、名前が変わる以外は特に何もないですから」
「そうなんだよね」
朝食に食後のお茶まで堪能した変態、もといデーゲンシェルムと一緒に城へ仕事をしに行ったシュトレリウスを見送ったら、いつものようにユイシィと一緒に家の掃除をするわたし。
「指輪をするとか髪を上げるとか、そういう見た目でわかりやすいことはないもんねえ」
「ないですねえ。そもそも『今日から二人は夫婦です』って言えばいいだけですから」
他の貴族はどうしているのかといえば簡単だ。それこそ自宅や教会に付き合いのある人たちを一斉に呼んで、お披露目も兼ねたパーティをしてお知らせするのだ。
「来れなかった人たちには後からお茶会とかに呼んで知らせたり、手紙を書いたりするみたいですね」
「ウチはその辺りもしてないからなあ」
だってわたしがいたところは田舎の傾きかけた家だもん。
近所のお年寄りたちには「結婚するからお城の近くの家に行く」とは伝えたけど、友達付き合いするような年の近い人はいなかったから、手紙とかお披露目とか全然ないし。
「旦那様も元々このお屋敷で独り暮らししていたようなものですから、お付き合いはデーゲンシェルム様と王女様くらいみたいですし」
それでもシュトレリウスの家は国で有数の力と財力を持ったファウム家だ。その長兄が結婚したんだから、もっとこう周りも反応……ないか。ないな、ないない。
「だからといって旦那様に他の女性が近付いていてもいいんですか、奥様?」
「いいわけないじゃん」
デュラー家は新しくはあるけど、ウチより確実に影響も財力もあるノリに乗ってる子爵家だ。
その娘がシュトレリウスを気に入ったとは、「お前、若いのに見る目あるな」とか言いたいところだけど。気に入った理由の原因が、しょっちゅうつるんでいる変態と比較してだからあんまり嬉しくない。
そりゃああの変態の後なら無口なのも相まって、真面目で誠実な大人の男だと十四歳の小娘ならキュンとくるだろう。くるのか?わからん。だって見た目が犯罪臭くない?
「お城でも旦那様はお仕事なさっているんですものね。そちらでもあまり他の人とは会わないみたいですけれど、廊下とかで見掛けて一目惚れしたのでしょうか」
「ローブ被りっぱなしの怪しいオッサンに?」
「うーん……」
家では被らなくなったけど、外ではまったく取る気がないローブを常に被っているというのに、デュラー家のお嬢さんは何を見て惚れたんだろう?
首を傾げてホウキを片付けようとしたら、ユイシィがふと思い出したように尋ねてきた。
「奥様は旦那様のどこら辺がお好きなのですか?」
「へっ!?」
「そろそろ一つくらいあるでしょう?」
デーゲンシェルムに邪魔はされたけど、なんかいい雰囲気になったならと、茶色の瞳を輝かせたユイシィが迫ってきた。
す、す、好き!?わたしが?シュトレリウスを?
真っ赤になって固まるわたしをしばらく待っていたユイシィが、ものすごーく深くて呆れた溜息を吐いた。
「もしかしなくとも、そこから確認しなければいけないのですか?」
「……」
「はーーー……」
だ、だってあの、本当になんにもないし。今朝はあの、ちょっとそういう雰囲気になったけれども。……結局しなかったし。
「旦那様もなかなかアレだと思いますけど、奥様だってもうちょっと頑張りませんと」
「……はい、すみません」
どっちもどっちなら、そりゃあいつまでも進まんわと、さらにたっぷりと呆れた溜息を吐かれてしまった。……面目ない。
前に色々と仕込んだ夕食を作っても何もなかったからと、わたしの寝巻きを変化させて遊んでいたユイシィだけれど今日はなんか一味違う。
「あの、ユイシィさん?」
「シィッ!奥様、動かないで!」
「……」
今日は念入りに髪に艶を出したと思ったら、首回りと唇に何かを塗りたくり始めた。意味がわからん、これはなんだ。
「庭に咲いている薔薇は旦那様のお気に入りなのでしょう?リュードから花びらをいただきまして、そちらを染み込ませた香油です」
それがどうしたと黙って座っていたら、複雑に編み込まれた髪に小さな薔薇が添えられた。
「旦那様のお気に入りの薔薇の香りを纏えば手を出しやすくなるでしょう」
「へっ!?」
「今日は何かあるまで寝ちゃダメですからね!」
「え、ちょっと、待っ……」
グイグイと背中を押されたわたしは、明日の朝は起きてくるまで近付かないと宣言をしたユイシィに無理矢理寝室に押し込められた。
「ごゆっくり~」
「……」
うふふと微笑むユイシィの瞳には、「これで何もないとか言うんじゃねぇぞ?」という無言の圧を感じる。とても、ものすごく。
いつもの寝室に入っただけなのに、全身気合いを入れられたわたしは固まったままだ。
……ど、どうすれば……。
いつものように一人でベッドに入るのも気まずくて、仕方がないから窓側に置いてあるテーブルに座ってシュトレリウスに訊かれた時の言い訳を考えることにする。
だって髪型はこれでもかというくらいに気合いが入っていて、またどこかへ出掛けるのかとでも言われそうなほど凝っている。そもそも薔薇まで挿してあるし。
寝巻きはさすがにゴテゴテと飾り立てられてはいないけど、触り心地のいい布で、ゆったりと足首まで流れるような綺麗なラインだ。
レースやフリルがない代わりに、布と同じオフホワイトの糸で細かく刺繍がされている。着物みたいに重ねてある襟には、これまた細かく刺繍されているリボンが胸の下の辺りで結ばれていた。
「ん?」
帯のようなものはないから、このリボンが解けたら前がもれなく開くデザインだと気が付いて今すぐ脱ぎたくなってきた。
「これもあの店で売ってたのかな?」
腹とか足とか出まくっている、布面積が最小限の怪しい物ばかりかと思ったけど。こういうのなら見た目がマシな分、手に取りやすいから、店頭に飾るのはこっちにすれば入ったのにと思ってテーブルに額を打ち付けた。
中に入ったら怪しい物しかないほうが、もっと気まずいし固まるわ。そもそもこれもまともではないし。
大体あの店は夫婦で行くものなのか?違うだろ?やっぱりユイシィには慎みというものを思い出させたほうがいいな、うん。
「……痛い」
打った額をさすりながら、テーブルの上に飾られているシュトレリウスからもらった花束を見やる。
デーゲンシェルムに言われて買ってきたって言ったんだから、一度は街の店で買い物したってことだもんね。
それがこの花束っていうのは嬉しいけれど、もうすぐ見頃が終わると思うとちょっと残念だ。
「押し花にすればいいかな?」
どうせ今日も書斎から出てこないんだろうし、それならこっちだって好きにするもんね。
厚めの本とハサミと紙を用意したら、わたしは工作の時間を楽しもうっと。
「何をしている?」
「わっ!?」
どの花を残そうかなと花瓶と睨めっこしていたら、フッと暗い影と一緒に後ろから声がかかった。
「シュトレリウス様……。今日のお仕事は終わりですか?」
「もう少しあるが、変な音がしたから見に来た」
「変な音?」
前みたいに扉を蹴ったわけでもないし、ハサミとかを用意する音がそんなに響くわけでもないんだけどな。
何かあったかなと首を傾げたら、長くて使い込まれたいつもの手のひらがわたしの額に触れていった。
「今度は額を叩いたのか?」
「え?……あ、いえ、テーブルに……」
「テーブル?」
ちょっと呆れた溜息を吐いたシュトレリウスが、少し赤くなっていたわたしの額を癒していく。
なんで額をテーブルに打つんだと訊かれても、色々と怪しい寝巻きを売っている店のことから話さなくちゃいけない。それはいろんな意味で気まずい。
どう言っても恥ずかしくて、裾をつかみながら俯いたら察してくれたらしい。なんで打ったのかってことじゃなくて、わたしがまた恥ずかしくなっているってことに気が付いただけだろうけど。
だからか額を癒した手のひらを頭に移して、ゆっくりと撫でながら質問を変えてくれた。
「今は何をしていた?」
「え?あ、あの、花を……」
「花?」
こっちもこっちで恥ずかしくて、相変わらず俯いてちょっと顔を赤くしながら花瓶の花を指差していく。
「花をどうする気だ?」
「もうすぐ枯れてしまうので、その前に残そうかと思って押し花を……」
「押し花?」
撫でていた手が止まったからと、テーブルで途中になっていた花びらと紙をシュトレリウスに見せていく。
怪訝な顔をしていたシュトレリウスも、やっと意味がわかったみたいで一つ頷いてくれた。
……ん?
「なんだ?」
「ローブをどうして被っていないのですか?」
さっきからなんか違和感がと思って見上げたら、月の光に反射する銀の髪と紫の瞳がバッチリ目の前にあるってことに気が付いた。
つまりシュトレリウスは最初からローブを被っていなかった。
「書斎に置いてきた」
「なんで?」
「……取れと言ったのはメイリアだろう」
「そうですけど……」
待って。だってあまりにも自然でローブを被ってないとは思えなくて。でも気付いたら朝の記憶が甦って、全身がまた赤くなった。
「メイリア?」
「ひゃいっ!?」
「??」
急に挙動不審になったわたしを覗き込むシュトレリウスの紫色の瞳が近い。瞳っていうか顔っていうか、全身が近いからどうすればいいのかわからない。
「……」
「……」
散々あれこれ言ったのはわたしなのに、いざその時が来ると固まるとかそりゃあ手を出し辛いよね。ここからどうすればいいのかなんて、シュトレリウスのほうがわかんないだろう。
手を出しにくいのに別な意味で手や足を出す奥さんなんて、可愛くない上に扱いに困っているはずだ。だってわたしなら嫌だもん。そんな奥さん、面倒くさいし。
そんなことを考えていたら情けなくて申し訳なくて、なんだかちょっと泣きそうになってきた。
「……どうした?」
もっと俯くわたしの両頬を包んで、下から覗き込むようにシュトレリウスが視線を合わせようと床に膝をついていく。
ちらっと見えた紫色の瞳が心配で揺れている。でもわたしはなんと言っていいのかわからない。
「……抱、……」
「?」
「ぎ」
「ぎ?」
「……ぎゅってして」
キ、ち、……顔が近付くときは違うけど。
ぎゅっとするのはいっつもわたしからだから、よくわからない不安な気持ちごと、ぎゅってしてほしいと思わず言ってしまった。
「……」
「……」
けれどそこはシュトレリウスだから、ものすごい顔で固まったまま動かない。
一ミリも。ってゆーか息もしてないかもしれない。
……そんなんで大丈夫なのか、この男は。
「やっぱりしなくていいよ」って、言ったほうがいいかな?
でもなんだかモヤモヤした気持ちが残ってて、ぎゅっとしてくれたら安心すると思うんだけど。
それはわたしだけしか思っていないなら、困惑してるっていうよりは面倒くせーなと思っているのかも。
「っ!?」
「やっぱりしなくていいよ」って言おうとしたら、急に目の前が真っ暗になった。
いつもの石鹸の香りと、わたしのじゃない心臓の音がうるさい。でも心地いい。
かなり躊躇って、でも頑張ってくれたみたい。
いつかみたいにシュトレリウスの腕の中に閉じ込められたわたしは、そのまま背中に腕を回してシュトレリウスごと抱き締めた。