プロローグ ~相変わらずの毎日~
わたし、メイリア・ジャン・キュレイシーは、この春にメイリア・ヴァン・ファウムになりました。
お相手は十歳年上の、シュトレリウス・ヴァン・ファウムです。
新婚です、十六歳なのでぴちぴちです。しかし旦那様からは相変わらず頭を撫でてもらう以外の接触はありません。
舐めとんのか、あのヘタレ。
……まあわたしも色々とアレなので、置いておくことにしてやってもいいけれど。
そんな二人の相変わらずの新婚生活です。
「いやいや。そろそろ何かないんですか!?」
「ないねえ」
「奥様から押し倒すとか!」
「するかっ」
いい加減ないのかと、いつものように朝食を作りながらメイドのユイシィに突っ込まれているわたし。
何かないのかなど、こっちが言いたいわ。
一応、一応その、ええと……抱き、ぎ、ぎゅーっとはしたけれど。……一回だけ。
「はーーー……」
「……」
ものすごーく気まずいまま、作った朝食を食堂へ持っていく。
その間も、じとぉぉっとした視線を向け続けるユイシィのから目を逸らし、扉を開けたら今日も暑苦しいローブを被っている旦那様が静かに椅子に座っていた。
何度か言い続けたら、やっと家の中でローブを取ることが増えたんだけど。ここのところはずっと被りっぱなしに逆戻りしている。
原因はわかっているから、わたしも無理に脱げとは言わない。だってわたしも被りたいし。だから今一番欲しいものはローブだったりする。
もっと他のものを欲しがれや、わたし。
「いいですね!」
「えっ、ローブ被って食事するなんてサバトじゃん!?」
「そちらではなくて。もうすぐ奥様の誕生日ではないですか。……ねえ、旦那様?」
みなまで言わなくともわかるよなと、最近凄みを増したユイシィがニコリとシュトレリウスに向かって微笑んだ。
あ、固まってる。なんで自分がと首を傾げるよりはマシだけど。
「そういうわけで、次のお休みにはお出掛けしてきてください!」
「……」
「お出掛け、してきてくださいますよね?」
「……はい」
こうしてメイドに押し切られる形で、わたしたちの初デートが決まった。
「何を着せようかなあ」
「……」
うふふと楽しそうなユイシィは置いといて、もっと気まずくなったわたしたちは今日も無言で咀嚼するだけの朝食の時間を終えていく。
何を着せられるんだろうか。ついでにシュトレリウスは普通に街に出たことがあるのかな?
いつも出掛けるっていったら城から迎えに来る馬車に乗り込むくらいしか見たことがないし。
それに真っ黒いローブ被った無言の長身なんて、それだけで怪しさしかないよね。全身が不審者じゃん。通報されるわ。
……その怪しさしかない不審者と、よく結婚することにしたな。もっと躊躇えや、あの時のわたし。
「あの、ユイシィさん?」
「シィッ!奥様、動かないで!」
「はい、すみません」
「今日が休みなら今から行ってこいや」と無理矢理スケジュールが埋まり、わたしは着替えさせられた上にメイクまでガッツリとされている。意味がわからん。
「……ふう。これで旦那様も奥様を惚れ直すことでしょう!」
「直すっていうのは一度でも惚れないと」
「さあさあ、行ってらっしゃいませ!」
「聞いてる?」
やりきったと艶々しているユイシィは、いつものように聞いていない。
わたしの背中を押して玄関まで見送ったら、シュトレリウスの待つ馬車に乗せて晴れやかな笑顔で見送った。
大体、ほ、惚れ直すって何?その、……す、好きとか言われたことないし。わたしも言ったことはないけれど。
「行ってらっしゃいませ~。そのまま帰ってこなくてもいいですよ~」
「っ!?」
「?」
外でなんてことを大声で叫ぶんだ、ウチのメイドはっ。
こらシュトレリウス、お前はきょとんとするな。気合いを入れんか、初デートだぞ。
パァンッ
いい、入れなくていい。気合いなんて入れたら困る。
「何故叩く」
「ついでです」
「??」
いつもは畑仕事や掃除が出来るような服装ばかり選ぶから、今日のわたしはものすごく飾り立てていることに気が付いて、思わず気持ちを静めようと頬を叩いてしまった。
結婚式の時に近い着飾りっぷりに我ながら引いている。盛りすぎじゃね?夜会かよ。
そりゃあ初デートだから張り切るのが普通なんだろうけど、もう結婚しているからね?何もないけど。
だからそんな風に覗かれて、じいっと見つめられると恥ずかしい気持ちしか沸いてこない。じっくり見るな。
大丈夫だからとちょっと離れて座って、ガタガタと相変わらず揺れの激しい馬車に揺られて黙って出掛けるわたしたち。
街中に向かっているらしいけど、目的地がわからないことに気が付いた。そもそも何しに行くんだっけ。
ちらっと隣りに座っている旦那様を見たらいつも通りに無言だ。なんか喋れや、無理か。
グルグルとそんなことを考えながら揺られていたら、段々気持ち悪くなってきた。いかん、やっぱり馬車と相性が良くないのかも。
「どうした」
「少し酔ったみたいです」
乗り物に酔った時は遠くを見るといいんだっけ?遠くったって、馬車の窓には布がかかっているから外が見えないな。でもその布をめくるために動くのもちょっとヤバイ。
どうしようかと思っていたら、大きい手のひらが肩と額にそれぞれ添えられていった。
「……魔法は使わないでくださいって言ったでしょう?」
「今使わないでいつ使う」
「誰かに襲われた時とか」
「王家の紋章が入った馬車を襲う阿呆はいないだろう」
シュトレリウスが普段使いにしている馬車をわざわざ呼んでくれたみたいで、今乗っているものには王族の証である紋章が入っている。うんまあ、これを襲う馬鹿は確かにいないだろうね。
サラリとわたしの額にかかる髪を脇に避けたら、シュトレリウスの手のひらが淡く光っていく。一瞬で気持ち悪さがなくなるところは魔法って便利だなって思うけど。
他の大多数の人が持っていない膨大な魔力を体内に持つ魔法使いは、ほとんどが短命らしい。
だからあんまりシュトレリウスに魔法を使って欲しくないわたしは、せっかく気持ち悪さがなくなったのに眉間をぎゅっとしたまま不機嫌だ。
そんなわたしをあやすように、シュトレリウスが頭をゆっくりと撫でていった。
「もっと撫でて」
「……」
ちょーっと気まずいことがあってから、頭を撫でることもあんまりなかったから、ついでにもっと撫でろと言っていく。少しだけ固まってしまったけれど、シュトレリウスがわたしを抱え直して撫でてくれた。
「……」
左手は頭を撫で続けている。それはいい。撫でろとも言ったし。
でもさっきからわたしの肩に置いてある右手はどういうつもりだ。意味がわからん。
まずい。こっちのほうが緊張してきた。なんか喋ろや、無理か。
「メイリア?」
「うおぅ!?」
段々全身を真っ赤にさせるわたしに覗き込んでくるシュトレリウスの紫色の瞳と目が合ったと思ったら、ガクンと馬車が急停車した。
「……」
「……」
「えー、コホン。開けないほうがよろしいでしょうか?」
「……今すぐ出ます」
従者が前のことがあるからと、扉をすぐに開けないで外から尋ねてくれたのはいいけれど。
わたしの顔を覗き込もうとしていた途中で止まったから、シュトレリウスがそのまま前のめりになるのもわかる。
「……このまま家に戻りましょうか?」
「出ますっ。……出るから、ちょっと待てや!」
わたしの肩に置いてあったシュトレリウスの右手は背中に回され、頭を撫でていた左手はわたしの右横にある。壁ドンならぬ床ドンだけど、そんなことは腕の中に閉じ込められたわたしにはどうでもいい。
今度はわたしが押し倒された格好になったけど、気が付いたのに二人で固まっているからどうすればいいかわからない。
お前ら、いくつだ!
ものすごく気まずいまま、それでも馬車から降りる時にはまた手を差し伸べてくれたから。その、あれだ。また繋いでいることになる。
繋いでるっていうか、あのほら、添えているだけっていうか。うん。
「……」
そういえば、どこに行くんだっけ。
馬車から降りたと思ったら、そのままどこかに向かって歩いているシュトレリウスは行き先がわかっているみたいなんだけど、わたしは聞かなかったから目的地がわからない。
「どこに行くのですか?」
「服を見繕ってこいと言われている」
「服?」
ローブが欲しいとは言ったけど、あれは冗談みたいなもので。でも布屋じゃなくて服屋ってことは、ユイシィの服を買ってこいとお使いを頼まれたのかな。
首を傾げつつもサイズも聞いたのだろうかと見上げたら、呆れた視線とぶつかった。
「誰の誕生日が近くて出掛けろと言われたと思っている」
「え?……あ、わたしか」
そうそう、わたしの誕生日が近いから出掛けろって言われたんだった。
初デートってことに意識がいってて忘れてた。
「どこの店に行くんですか?」
「……」
「?」
迷いなく歩いていったから店を指示されたか、ファウム家御用達の店とかなのかと思ったら、シュトレリウスが急に立ち止まって固まった。
「シュトレリウス様?」
「こ……いや、違う」
「は?え、ちょっ」
ぐるっと勢いよく回れ右をしたかと思ったら、ものすっごいスピードで馬車の方向へ戻っていった。
店に着いたんじゃないのかよと振り返ったら、いつか着せられたことのある服がショーウィンドウに飾られているのを見つけてわたしも固まりそうになった。
「ち、違うんです。あれはユイシィが勝手に買ってきて、無理矢理着せられてですね!?」
無言で手を引っ張るシュトレリウスに、わたしも訳のわからない言い訳をしていくけれど。ただでさえ身長差があるから、一歩が大きくてわたしは駆け足するしかなくて必死に足を動かしていく。ええい、裾が邪魔くさい。
それよりあんな服をどこで買ってきたんだと思っていたけど、こんな人通りの多い道の往来にあった店なんかいっ!帰ったらユイシィに慎みというものを思い出させてやらなくちゃ。
いやまずあの店にも腹とか足とかたくさん出す、下着の中でも布面積が少ないものを店頭に堂々と出すなと言いたい。
いや、それよりもなんでその店をシュトレリウスに教えて買って来いとか言うかな、ウチのメイドは?それに帰ってくるなとか言わなかった!?
「ファウム様!ファウム様ではありませんの?」
「へ?」
「あれ?お早いお帰りで」
馬車乗り場で待機していた従者が、走る勢いで戻ってきたわたしたちを怪訝な顔で出迎える。
そっちにも欠片も顔を向けないシュトレリウスは、手を引っ張ったままわたしごと馬車の中に飛び込んだ。
「……」
「……」
途中で名前を呼ばれた気がしないでもないけれど、それどころじゃなかったから無視で。
無言で馬車に帰ってきたわたしたちは、そのまま馬車の中でも無言で。もちろん家に着いても無言のまま、顔も合わせずに気まずいまま初デートは終わってしまった。
何しに出掛けたんだっけ……?
当然ながら「なんで買ってこないんだよ、つーか帰ってくんの早ぇだろうが舐めてんのか」というメイドの無言の圧がかかった笑顔に出迎えられたけど、こっちも無視で。
無視でいい。全力で無視させていただく。
お前こそ何を言っとるんだ。こちとら初心者だぞ。
あんな店に入って一緒に選んで買って、さらに着せて脱がせろとか無理言うな。
そんな超上級者向けのお使いができていたら、結婚して一ヶ月経っているのに手を繋いだくらいで心臓がうるさくならんわ。
初心者舐めんな!