九話:ここから始まる結婚生活
ものすごーく疲れたお茶会も無事に終わって夕食もお風呂も済ませたら、そりゃあ眠くなるよね、うん。
「何を言っているのですか、奥様?」
「へ?」
さあ寝ようと寝室に向かおうとしたら、とっても深い微笑みを浮かべたユイシィに呼び止められた。
「せっかく旦那様の知らなかったところをたくさん知れたのでしょう?つまり距離が縮まったということです」
「あの?」
「馬車での続きをしなければいけません」
「い、いやあの、あれは誤解で」
急停車する直前に立ち上がろうとしたから、よろけてシュトレリウスの上に倒れ込んでしまっただけで。わたしが押し倒したように見えただろうけど、そんなわけはない。断じて。
だってやっと手を繋げたくらいで、それ以上の触れ合いなんて急には無理だ。お前ら何歳だよって話だけど、うるさくなってきた心臓を落ち着かせることで精一杯なんだから仕方がない。
けれど「そんなの関係ねぇ」とばかりに、茶色の瞳を輝かせるユイシィはまったく聞いていない。
「わたし、頑張ります!」
「……聞いてる?」
何やら気合いの入った拳と、何かを企んでいる表情と輝いた瞳が気になる。非常に。
「さあさあ奥様、夜はまだ始まったばかりですよ。……ね?」
「……」
段々迫ってきたユイシィに壁際まで追い詰められ、さらに両手で囲まれてわたしは逃げられない。
これはあれじゃね?壁ドンてヤツじゃありませんか?逆ってゆーか、やる相手が違うよね?
「まかせてください。今日こそ旦那様には手を出してもらいますので!」
「…………」
いやそれ宣言すること?
ちょっと待とうと顔を引きつらせるわたしの言葉も無視して、前にも色々と用意していたユイシィは今日も準備万端だった。
馬車ではわたしが押し倒したような格好になったけど、それでも呆然と固まってどこにも触れていなかったヘタレが相手だからね?
わたしも散々言っておいて、いざその時が来ても気付かなかったどころかフイにしてしまった大馬鹿野郎だけれども。
あれはそもそも、そういう意味で目を閉じたわけじゃないしとか。ブツブツと言い訳を呟くわたしを無視して身ぐるみを剥がしたら、やりきって艶々しているユイシィに見送られて寝室へ向かうこととなった。
変態にも疲れたっていうのに、家でも安らぎがないとか……。
げっそりというかぐったりというか、とりあえず身体を斜めにしながら寝室に入ったら、すでに見慣れた暑苦しい黒い塊が窓側にいた。
「どうしました、シュトレリウス様?」
窓側には小さいテーブルが置いてあって、手紙を書く時とか簡単なお茶をする時に使っている。主に使っているのはわたしで、さらに今は花瓶が二つも置いてあるから何もできないけど。
「花がどうかしましたか?」
一つは庭師のリュードからもらった庭に咲いていたミニバラ。もう一つはデーゲンシェルムに言われてシュトレリウスが買ってきた花束がそれぞれ花瓶に生けられている。
「まだ綺麗に咲いているでしょう?毎日水を換えて、茎を切ればけっこう保つんですよ」
「そうか」
まだ咲いていたのが不思議だったのかな?
でもミニバラは蕾が残っているからもうちょっと咲くし、花束だって変わらずに色鮮やかな大輪の花を咲かせている。
「……ん?あ、また髪を乾かしていませんね?」
無言で花を見ているシュトレリウスの隣りに並んだら、ポタリと滴が落ちてきた。見上げたらローブの隙間から銀の髪が見えて、月の光に反射して眩しい。つまり濡れてる。
前みたいにタオルを持ってきたらローブを剥がし、わしゃわしゃと今日も憎らしい柔らかい髪を拭いていく。
「風邪引きますよって言ったでしょ?」
「引いたことがない」
「いくら魔法でなんとかなるって言っても、それは自然ではありません。わたしより先におじいちゃんになるんだから、普段から気を付けて生活してください」
「……」
魔法使いの特徴なのかな?自分のことはどーでもいいというか、そこまで気にしていないというか……。
養子の話はあれから全然出していないけど、そこらへんもどう考えているんだろう。
そんなことを考えながら髪を拭いていて、ついでに訊こうと思っていたことを思い出した。
「男性のほうが好きだったりします?」
「……どういう意味だ」
あ、やっぱり違うか。というかお城に行ってから余計に思ったけど、本当に交遊関係が少ない。デーゲンシェルムはなんか上手いことやってそうな気がするけど、こっちは箱入り坊っちゃまだもんなあ。
「……」
あれ?もしかして「じゃあどうして手を出してこないんだ」問題に踏み込めた?
でもなんかタイミングがズレたし髪の毛は柔らかいし、黙って拭かれている様子は大型犬みたいで可愛……。
パァンッ
「何をしている」
「なんでもありません」
十歳も年上の目付きの悪いオッサンを、か、可愛いとか頭沸いてんのか、わたし。
パァンッ
反対側の頬も叩いて落ち着こう。よし。あとは寝るだけだしね。
今日だって一日出掛けていたから、きっとこの後はいつものように書斎に籠るんだろうし。
「……魔法は使わないでくださいって言ったではないですか」
「なら叩くな」
それは言えている。
両頬を叩いたもんだから、またしても包み込むように両手で触れられてしまった。逆光でよく見えないからかシュトレリウスが近付いてきて、顔というか全身が近くなる。
意識したら顔が赤くなっていくのがわかって、腫れは引いたはずなのにと首を傾げたシュトレリウスがもっと覗き込んできた。近い近い近い。
近すぎてどうすればいいかわからなくて、でもここでまた瞳を閉じるのは違うからと見上げたら、紫色の瞳と目が合った。
「その格好はなんだ、メイリア?」
「え?」
「どこかに出掛けるのか」
「い、いえ。これはその、ユイシィが……」
髪はサテンのリボンと一緒に緩く脇に流れるように編み込まれていて。寝巻きはさすがにこの前のように透けていたり腹とか足とか出してはいないけど。レースとフリルをふんだんに使った、寝るだけなら邪魔じゃね?という格好だ。
出しすぎて引かれたなら隠せばいいよねとこれにしたみたいなんだけど、今度は着飾りすぎてて恥ずかしい。
「へ、変ですよね」
今すぐ着替えたいけど、前と一緒で他の物はすべて隠されてしまったから脱ぐしかない。早く布団を被って忘れたいのに、さっきから両頬を包まれているから逃げられない。
空回りしている気がしてすごく恥ずかしい。
少し前までは「何してんだ、このヘタレ」とか思っていたのに、今はちょっとの触れ合いで心臓が早鐘を鳴らすようにうるさくて困る。
「いや、似合っている」
「え?」
意外な言葉が返ってきて思わず見上げてしまったら、不思議な顔で小さく微笑んでいるシュトレリウスが目の前にいた。
「……似合っていますか?」
「ああ」
慌てて視線を逸らしてしまったけど、もう一回見たいと思ってちらっと見上げながら訊いてみる。やっぱり月の光が反射して、キラキラと輝く銀の髪は今日も綺麗だ。
……うん。もう、これでいいや。
結婚したのになんにもないし、やっと最近、手を繋いだり頭を撫でたりするようにはなったけど。
養子も取ったほうがいいかなとか、早く跡継ぎを産まなくちゃとかも考えたけど全部どーでもいいやって思えてきた。
会話がなくても別に平気だし、のんびり老後まで二人で過ごすのもアリじゃないかな。
どうしても孫が欲しいお父様は弟妹に任せることにしよう。だってわたしはもうキュレイシーではないんだもん。
メイリア・ジャン・キュレイシーは、メイリア・ヴァン・ファウムになったんだから。
「次にお父様が来た時にでも言っておきます。このまま老後まで二人で過ごすから孫は諦めろって」
「……」
この前だってきっとアレだ。わたしが色々と言ったりデーゲンシェルムとかにも言われたから、そろそろなんかしないととか思っただけだろう。
「無理にするものでもないですし、子供のいない夫婦もたくさんいますからね」
っていうかわたしは家から出ないし、シュトレリウスも馬車に乗ってお城と家の往復なら王女様たちとしか会っていないってことになるじゃん。
十六歳ですでに枯れきった思考はどうかと思うけど。結婚前の顔合わせと式の当日、それからこの家に来てからの一ヶ月しかまだ一緒に過ごしてないんだよ。
そんな相手とどうこうなんて無理すぎるだろう、お父ちゃんよ。
「わたしは子供の代わりに野菜を育てますから、シュトレリウス様も気にしないでください」
言い切ったらスッキリして、ついでに欠伸が出た。……眠い。
まだ触れていた両手をつかんで離したら、「早めに寝てくださいね」と欠伸を噛み殺しながらベッドに向かうことにする。
「どうしました?」
寝る前にシュトレリウスの頭に被せたままのタオルを片付けようと手に取ったら、なんとも言えない表情を浮かべている。
「ウチのことなら気にしなくていいですよ」
まだ変な顔をしているままだったからそう言ったのに、シュトレリウスの表情は優れない。
「……魔法が使える者を産むかもしれないからか?」
「えっ、産めるんですか?」
突然変異って言ってたから無理だと思ってた。ポカンとしているわたしに、自分の銀の髪をつまんで説明する。
「デーゲンシェルムの白金は珍しいが、銀の髪は何代か続く可能性があると聞く」
三代くらい続いたらまた産まれなくなって、しばらくしたらまた産まれるらしい。そうやって大きくなったのがファウム家だとも話してくれるけど、つまりわたしが魔法使いのお母さんになれるってこと?
「ごくたまに金や白金の髪を持つ子供ができる可能性もあるが銀のほうが高いだろう」
「銀の髪だったら魔法使いですか。お揃いですね」
さっきまで子供も持たずに老後まで過ごそうと決めたのに、魔法使いが産める可能性が出てきたのなら気になるな。白金は御免だけど。
「知らなかったのか」
「何をいまさら」
お城に仕事しに行っているのも魔法が使えることも知らなかったわたしに無茶言うな。知らんわ。知っとけよって内容だけど。
「それでまったく何もしなかったのですか?」
「……それもあるが仕事が終わらなかったからだ」
早く帰れと追いたてられて仕事を家に持ち込んでしてたら、そりゃあ書斎に籠りっきりにもなるか。
「呪われてると言われた人と普通に暮らしてるんですよ?大体、目付き悪いだけの引きこもりのヘタレに怯えるとか避けるとかするわけないでしょう」
ついでに口下手でヘタレで根暗っぽいとか恐れる要素がまったくないではないか。舐めんな。
だからって急に近付かれても顔が赤くなって困るから、不思議な顔をしたまま頬を包まないで欲しいんだけど。
「近いです」
「避けているではないか」
「……恥ずかしいからです」
「言わせんなボケッ」と睨んだら、初めて会った時のように面白いものを見つけた子供のように、ニィッと口の端を上げた。
「そうか」
「……」
まだ真っ赤になっているわたしを見下ろして笑い続けるシュトレリウスを睨みつけるけど、色々バレたみたいでやっぱり恥ずかしい。
「笑うな、阿呆」
緩んだ隙に背中に腕を回して、顔を隠すように胸に飛び込む。
ふんわりとすでに嗅ぎ慣れた石鹸の香りと花の香りのほかに、別な気持ちも満ちていった気がした。
「ヘタレ」
「……」
さっきまでは自分から顔を近付けていたくせに、わたしが腕を回して背中をぎゅっとしたら固まりやがった。
恐る恐る、とってもぎこちなく動いたと思ったら、やっとシュトレリウスもわたしを抱き締めて腕の中に閉じ込めていく。
「頭も撫でて」
「……」
「毎日」
「……」
結婚してから一ヶ月。少しだけどわたしたちの距離が縮まった気がする。




