プロローグ ~最悪な結婚相手~
「メイリア。こちらがシュトレリウス・ヴァン・ファウム君だ」
そう言って紹介された人は、分厚い黒いローブを目深に被ったままで小さくお辞儀をした。
「シュトレリウス。こちらはメイリア・ジャン・キュレイシーさん。初めまして、メイリアさん。息子はこの通り、緊張しているみたいです」
「はあ……」
垂れ目な瞳をさらに細めたファウム侯爵が、にこにこしながら成人も過ぎた自分の息子を照れ屋だと言っていく。
もしかして、自分の息子が世間でなんて言われているか知らない、……とか?
「じゃあ父さんたちは向こうで日取りを決めているから、あとは若い二人で」
「はあ……」
わたしは曖昧に頷いて、静かに紅茶を飲んでいる、もうすぐ結婚する相手をちらっと見つめた。
わたしももう結婚適齢期と言われる年齢に差し掛かり、そろそろ結婚相手を探さないとかなあとぼんやり思っていたら。
すでに一時間が経とうとしているのに、まったく一言も話さずローブを被ったままでいる人を紹介されたというわけだ。
父親同士が親友で、ウチが事業失敗した時に見捨てないで助けてくれた恩人で。そうなると年頃の子供がいる同士、「将来は結婚相手にどうだろう」とかいう話が出ることも定番中の定番だろうけれど。
いかんせん相手が悪い、相手が。いやまあウチも大概、身分というところで見れば悪すぎるけれども。
うーんと失礼なことを考えながら、ちっとも口を開く気配がない向かいの人を見やる。
紹介された時に見上げた様子からすると身長はかなり高いほう。わたしが百六十センチないくらいだから、百八十センチ以上じゃないかな?
がっしりした肩幅に長くて使い込まれている綺麗な指。何もできない坊ちゃんの手ではなく、きちんと仕事をしている手だ。
顔は全然見えないけれど、ちらりと見えた口元がムスッと引き結ばれていて、ああ、この人も勝手に決められて怒っているんだなとなんだか納得してしまった。
だってファウム家と言えば有数の資産家で、キュレイシー家と言えば没落貴族と蔑まれている傾きかけた家だ。
一応、貴族の端っこに所属しているけどそれだけで、土地は片田舎の一軒だけ。管理をしている昔ながらの土地を耕して自給自足をしている、貴族とは名ばかりのお家事情。
なのに資産家のご子息が、わたしのような身分差も甚だしい娘を娶るのはきちんとした事情がある。
長男だけど、成人してけっこう経つのに浮いた話一つないことにも関係していて、まったく脱ぐ気がない分厚いローブにも関わることだ。
曰く、『そのローブの下を見た者は呪われる』という噂が流れるくらいに不気味な容姿をしている、……らしい。
アホ臭いとは思うけど、これが真実を持って語り継がれているのには理由がある。目の前で優雅に紅茶を飲んでいる人を産んだ母親自身が「呪われた子」だと言っているからだ。
それでもアホ臭いと思うのは、わたしの前世にあるのかもしれない。
何を話そうかと考えつつも、そんなことをぼんやりと思っていたら、カチャリとカップを置く音がした。
ああ、そうだった。一応、結婚の前の顔合わせをしていたんだった。一応なのはお互いこれが初対面だということと、本当にまったくちっとも会話が始まっていないからだ。
「……」
「え?」
ぽつりと何かを呟いた気がしたけれど、そよ風に紛れてわたしの耳まで届かなかった。悪いと思いつつも見上げながら聞き返したら、小さな溜息を吐かれてしまった。……失礼な人だな。
まあさっきから黙りっ放しのわたしも大概、態度が悪かったとは思うけど。
話が終わった父親が、こちらに手を振りながら近付いてくる様子を見て立ち上がったシュトレリウス・ヴァン・ファウムが、わたしを見下ろして一言呟いた。
「せめて美人なら退屈しないのに」
「へ!?」
フンッと馬鹿にしたような口調で言い捨て、来た時と同じように静かに去って行った。
「……てっめぇ、今なんつったゴラァッ!」
「メイリア!しーっ!!」
「はっ」
「……」
「うふ」
テーブルに置いた足を降ろし、暴言を吐いた本人に向けた指を慌てて後ろに隠してなんでもないように微笑んだけどもう遅い。
優し気な垂れ目をポカンと見開いたファウム侯爵と、わたしの未来の旦那様がこちらを信じられないという風に見つめて固まっていた。
……やっちまった。
わたしの名前はメイリア・ジャン・キュレイシー。花も恥じらう十六歳。
薄い茶色の髪を毛先だけ可愛らしくカールして、蜂蜜色の瞳は希望に満ちて輝いている。身長はそこそこ、体型もそこそこ。つまり平凡を絵に描いたような女の子がメンチ切った上にタンカ切ったら、そりゃあ驚くよね。
だってお貴族様はそんな汚い言葉は使わないし、きっと今まで聞いたこともないだろう。
そんなわたしの前世の名前は豪徳寺美奈子。
代々ヤクザをやっている家に生まれた娘の一人。
前世でもこっちでも普段は大人しく物静かな少女として通っていたけれど、ひとたび切れるとああなる。ああって、ああだ。
「ええええと、娘はその、げ、元気で。うん」
目を泳がしながら必死に言い訳しているこちらの父親を横目に、「あーこりゃ破談かな。ウチの存続も危機かも」なんてぼんやり考えているわたし。
前世でも親より先に死んだっていうのに、ここでも親不孝になっちゃうかな。
けれどまったく言い訳をしないわたしに、長くて使い込まれている指がゆっくりと近付いてきた。
「……なるほど、面白い」
「ふぁ?」
ぐにぐにと頬をつまんで伸ばすだけ伸ばしたら、フッと小さく笑う声が聴こえた。
とっても近い距離に顔があって、見上げたら初めてローブの中が覗き見えた。
「なんだ、目つき悪いだけじゃん」
「……その口の悪さよりはマシだ」
どんな呪いがかかっているのかと思ったら、単に目つきがとっても悪いってだけだった。なんだ、驚かせやがって。
そんな顔くらいでこのわたしがビビると思ったら大間違いだって話だよ。
「……シュトレリウス、気に入ったの?」
「メイリア、口閉じて、口っ!」
まだ固まっていたファウム侯爵が、初対面の女性の頬をつねるばかりか微笑んで会話までしている息子に驚いている。
またしてもざっくりした口調でいるわたしに、お父様がしーっと口元に指を当ててもう喋るなと言っていく。ああ、はいはい。
きゅっと口元を引き結んだら、ぐにっと両頬を潰された。何をする。
「ふぁひほふふほふぇふは」
「フン」
まだ十六歳の花の顔を潰すとは、何をするのだこの男は。
チイッと舌打ちしそうになるところを抑えて、じろっと睨みつけるだけにする。
そんなわたしにニイイッと微笑み、とても面白い物を見つけた子供のように口元を歪ませた。
微笑むっていうか、悪魔の微笑みっていうか、おもちゃを見つけた悪ガキのような含んだ笑いだ。……もしかして、本人史上最高の笑顔を浮かべているつもりなんだろうか。不気味だ。
「ええと、シュトレリウス。結婚、してもいいの?」
「ああ」
こうしてわたしは、ただ目つきが悪いだけのオッサンに嫁ぐことになった。