夏、ラムネ、魔法使い。
みーんみんみん、と蝉が大声を張り上げる公園、炎天下の昼下がり。
タクヤは、バケツに汲んだ冷水を名も知らぬ男にぶち撒けていた。
嫌がらせではない。
むしろ、本人たっての希望である。
「ニイちゃん、これでいいのか?」
「おー……もっと頼む」
「あいよー」
最初は驚いた。
ふらりと公園に立ち寄ったタクヤが見つけたのは、倒れ臥す一人の大人。すぐさま駆け寄り、ゆさゆさと体を揺らせば、どこからか取り出した傷ひとつないバケツを差し出し、
『み、水……かけて……』
と、要求してきたのだ。よって、タクヤは男に容赦なく水をぶっかけたのである。
宙を舞う水滴が、きらきらと輝く。
水を汲んでは、地面に頭突きし続けている男にぶち撒けること数回。
「おー、助かった助かった」
男は立ち上がれるぐらいに回復した。
ぶるぶると首を振ると、髪からきらきらと水滴が飛び散る。
「ありがとなー少年。お前、名前は? 歳は幾つだ」
「オレはタクヤ、八歳。ニイちゃんは?」
「ニイちゃんは、翠って言うんだ。おかげで助かったよー。ありがとな、タクヤ」
「おう!」
そう言うと、スイはにっと笑った。釣られてタクヤも笑顔を見せる。
「しっかし、そんなあっつい格好してるからスイは倒れるんだよ」
スイは、背はすらりと高く、癖っ毛の茶色髪。そして、何故だろうか、この暑い中で黒の長袖のフード付きパーカー、長ズボンを履いていた。見た目からして、暑苦しい。
「呼び捨てかよ……てか、仕方ねーだろー。ニイちゃんは魔法使いなんだから、こういう格好してなきゃならないの、仕方ないの」
「なーに言ってんだよ、魔法使いなんているわけないじゃん。常識だろー? スイって変な奴だなー」
あははは、と笑ってタクヤは言う。しかし、スイは冗談だよと言うことも、笑い声をあげることもしない。
笑い声が止んだ公園で、蝉の声が空騒ぎ。滴る汗も気に留めず、ごくりとタクヤは唾を飲む。
「……マジ?」
「マジ」
零れ落ちた言葉は、間髪入れずに反芻される。
「本当に」
「本当だ」
「本当の本当に? 嘘じゃない?」
「本当だーっての。勝手に疑ってるのはタクヤだろうが」
そう言うと、スイは地面に転がるタクヤの使っていたバケツを手に取る。不思議そうにタクヤはそれを見つめる。その視線をバケツに引きつけ、スイはパチリ、と指を鳴らした。瞬間。
「おおっ!!!」
にやり、としたり顔をしたスイの手元には、もう既に何も存在していなかった。一瞬にしてバケツを消し去ったのだ!
次は見逃すまいと目をまん丸にして、タクヤは魔法使いの一挙手一投足に目を配る。
そして、スイは指先でタクヤの頭を指した。
「ん? 何??」
頭を不思議そうに手で撫でる。辺りにもう一度、パチリとなった指の音。
すると、今度はタクヤがすっぽりと頭にバケツが被っていた。
「うわっ!?」
「はっはっはっ! ビックリしただろー?」
慌ててバケツを頭から外し、背の高い魔法使いを睨み見上げる。背後に見える、空が青く眩しかった。
「何すんだよ、スイ!!」
「魔法使いを信じない、悪い子にお仕置きさ」
むっと眉根を寄せるタクヤを尻目に、はっはっはっと笑うスイ。その姿は正にどこ吹く風であった。
スイは、低い目線の高さに合わせるために屈んで言い放つ。
「どーだ、信じたか。ニイちゃんが魔法使いだって」
「うん! 意地のわるーい魔法使いさんだってことが、よーく分かったよ」
冷たい目をしてタクヤは言い切ると、がっくりと肩を落とし、スイは頭をもたげた。
にやりと笑い悪戯っ子のような顔をして、畳み掛ける。
「ちょーっと疑っただけなのに、小学生に魔法を使って意地悪するなんてさー。本っ当に、大人気ないよなー」
顔を上げたスイは眉をひくつかせながら、タクヤを見る。一気に形勢逆転である。
その様子はまるで、悪餓鬼に大の大人がカモにされている様にも、年の離れた兄弟喧嘩にも見える。にやにやしながらタクヤはスイを見据えていた。
「あーあーあー、悪かった悪かった! もーなんか奢ってやるから! 機嫌直せ!」
「よっしゃあー!! ラムネな!」
飛び上がり喜んだタクヤに、苦笑いを浮かべながらスイは溜息を吐いた。
蝉が、つくつくつくつと笑っていた。
タクヤの案内で、駄菓子屋へ向かう。タクヤ曰く、
『駄菓子屋のばあちゃんの売るラムネが、一番美味しくて安い!』
らしい。スイはくつくつと笑う。
燦々と降り注ぐ日差しは、節度というものを知らぬよう。日が傾いてきてもなお、肌を刺すのであった。
「ところで、スイは何をしに瑞守に来たんだ?」
アスファルトの上を歩きながら、タクヤはスイに問いかける。
車のほぼ通らない幅広の道。タクヤの住む瑞守は、住宅街と商店街が並ぶ、少し寂れた街だ。街の真ん中には東の方にある山から一本、大きな川が流れ、海まで続く、そんな地形をしている。
歩いている道の両端には、広葉樹が並んで影を作っていた。
「んー、避暑だな。あと観光も兼ねて。瑞守は景色が涼しいんだよなー」
「景色が、涼しい……?」
よく分からず、タクヤは首をかしげる。確かに、文字どおりに意味を取ると、青々と生い茂る木々や照りつける太陽、立ち上る陽炎のどこが涼しいのか全く意味がわからないが。
「どんな景色か、見たいか?」
「見たい! 見たい!」
魔法を心待ちにするあどけない小さな子どもを目の前に、ふっとスイは笑う。
立ち止まると、目を閉じるように魔法使いはタクヤを促した。目を瞑ったのを確認すると、ごにょごにょと何かを唱えて指を鳴らす。
「タクヤ、目を開けてみろ」
言葉に呼応し、タクヤはゆっくりと瞳を開く。
まるで、水中に街全てが沈んでしまったかのようだった。
半透明な魚が陽の光で鱗をきらめかせながら空を泳ぎ、その影はゆらゆらの光る水面の如く幻想的で美しい。魚が跳ねる度に弾き出される水の雫が沢山ぷかぷかと浮いており、まるで気泡が舞い上がる水中のようであった。
全体的に青みを帯びた世界がまた、水中から水面を見上げてるような錯覚を起こさせる。
「どーだ。瑞守は綺麗なところだろ。元々、瑞守は水神様の座す街。だから、澄んだ水を好む透明な魚たち__透魚たちがたくさん現れるんだ」
タクヤはどこか遠くにスイの言葉を聞きながら、声も失って息を飲み込んだ。
蝉時雨など吹き飛んだ。照りつける日差しが静かになった。
世界が静止したような、そんな気さえした。
「……スイは」
「ん?」
「スイは、これを見るために瑞守に来てるのか」
「まぁ、一つの目的はそうだな」
目をめいいっぱい開いて、透魚や雫を透かして見える、白い入道雲を見つめた。あまりにも美しい、とタクヤはらしくないことを思う。ずっと、眺めていたい、と。
横目で見るスイの表情は柔らかだ。
「……まるで、ラムネの海みたいだ」
魔法使いが見ている世界は、ただの小学生には予想だにしないものだった。
眩しそうに目を細めて、タクヤは暑さを忘れるような澄んだ空気を思いっきり吸い込む。
じりじりと照りつける日差しも、鳴き止まない蝉の声も最早気にも留まらなかった。
「じゃあ、ラムネを飲みに行くか」
「おう! あとちょっとで着くぞ」
「そかそか」
夏の足音を搔き消すくらいの、美しい景色を眺めながら駄菓子屋へと足を進めていった。
やがて、タクヤが立ち止まる。目の前には、絵に描いたような駄菓子屋が立っていた。
「ここだよ、ここ」
「本当に今時珍しい……これぞ駄菓子屋といった風体だなぁ」
黒い屋根瓦がびっちり並んだ古びた木造りの家屋、『駄菓子屋 みつ』と書かれた木の板の看板。軒先までずらりと棚に並んだ駄菓子たちがどこか昔懐かしく、今の人々が忘れ去ってしまっている何かを感させていた。
みんみんみーん、つくつくつくと、遠くで泣く声が聞こえる。
「じゃあ、買ってくるわー。タクヤはここで待っててくれ」
「おう、頼んだぞ」
「へいへい」
入口の側に置いてある古いベンチにタクヤを一人残し、スイは店へと入った。ぶーんぶーんと古い扇風機が音を鳴らして風を起こす。
これまた定番とも言える一段上がった畳の間に、おばちゃんが座布団を敷いて座っていた。目元をくしゃりとして笑う。
「いらっしゃい、見ない顔だねぇ」
「観光に来たんですよ。おばちゃん、ラムネ二つ」
「あいよ。瑞守は良いところだよ」
「本当にそうですね」
代金を渡して二本のラムネを受け取る。手渡された水色の瓶は、見た目も中身もひんやりとしていた。
ちりんちりん、と涼やかな風鈴の音が響く。
そこで、不意に何かを思い出したように、おばちゃんが口を開く。
「ああ、そうだ。最近、ここらで交通事故があったらしいからねぇ。お客さんも気をつけてねぇ」
「そうなんですか、気をつけます」
「じゃあねぇ」
柔和な、優しい笑顔に軽く手を振って、スイは店を出る。タクヤは、足をぶらぶらしながら空へ手を伸ばしベンチに座っていた。
宙に浮かんだ雫に触れようとしているようだ。実際に触れることはできないのだが。
「ほーれ、タクヤ。お待ちかねのラムネさんだぞー」
「待ってました!!」
顔に笑顔が咲く。隣に座り、スイはラムネを手渡す。二人は、飲み口から涼しい液体が吹き出さないよう慎重に開けていく。
薄氷のような瓶の中、しゅわしゅわと音を立てながら気泡がゆらゆらと浮かんでは消える。
「ラムネだったら毎日飲んでも飽きないな!」
「ラムネかー。ニイちゃんはラムネなんぞ久しく飲んでないな」
「ええ!? スイは人生半分損してるなー」
「……タクヤの人生の半分はラムネでできているのかよ」
「そうだなー、ラムネでできているといっても過言じゃあないな」
「嘘つけ。ニイちゃん騙されないぞ」
戯れるように軽口を叩き合う。いつのまにやらラムネ瓶を傾けると、からんからん、とビー玉の乾いた弾ける音だけが響く。
タクヤは、空を閉じ込めた小さなガラス玉を取り出そうとキャップを捻る。しかし、びくともしないので、スイを見て問いかけた。
「スイー、このビー玉って取り出せる?」
「誰に物を言っているんだ、タクヤ」
スイはしたり顔をした。
「おばちゃん、ご馳走様でした」
「はあい、ありがとうねえ」
スイは、空になった二つのラムネ瓶をおばちゃんに手渡した。割られた形跡のない二本のラムネ瓶からは、ビー玉が無くなっていた。
ちりんちりん、と鈴の音が涼しげであった。
その後、陽が傾くまでタクヤとスイは街中を歩いて探検していった。
太陽が赤味を帯びると、蒼かった世界を色付かせてまた違った美しさを醸し出す。透魚は紅に体を煌めかせ、東の方へと向かって空を泳いで行く。
薄青色のビー玉を通して、タクヤは世界を見つめていた。
「オレ、そろそろ帰らなきゃだな」
「まだ明るいが……、もう夜だもんな。家まで送るよ」
「いいよ、一人で帰れる」
「駄目だ。付いていくからな」
「はいはい」
蝉ももう眠りについてしまったようだ。烏が鳴いて、住処へと飛んで行く。タクヤも同様に家路に着いた。スイはその後ろをついて行く。夕陽を横目に歩く、歩く。
「そういえば、タクヤ。最近この辺で交通事故があったらしいからな、気をつけろよ」
「交通事故? ……そんなのあったかな」
「なんだ、知らないのか? 駄菓子屋のばあちゃんが言ってたぞ」
「うーん……。母ちゃん、そんなこと言ってたっけなぁ?」
「……そうか」
「うん。とりあえず気をつけるよ」
タクヤは、首を傾げた。どうにも覚えがなかったからだ。この近辺で交通事故ともなれば、心配性な母ちゃんが気をつけなさいよと教えてくれるはずである。瑞守は比較的平和な街だ。だからこそ、そう言った事故や事件は人から人へと瞬く間に広まるのだ。
気をつけよう、とタクヤはただただ思った。
ぎゅっと、手のひらでビー玉を握った。
タクヤの家は、茶色い屋根瓦の一軒家だ。しかし、部屋の明かりも付いておらず、インターフォンを押しても返答がない。
「誰も、居ないみたいだな」
「あれ? おかしいな……いつもこの時間帯なら家にいるはずだけど」
「今日は確か、灯籠流しの日じゃなかったか? 葵山でやっているだろー、灯籠流し」
葵山は瑞守の東の方角にある山である。そこには水神様が奉られる神社があり、毎年境内の川辺から灯籠流しが行われているのだ。
「そうか! たぶん母ちゃん灯籠流しに行ってるんだな。そこに行けば会えるか」
「じゃあ行こうか、タクヤ。灯籠流しは、是非とも見たいからな」
「そーか。綺麗だぞー灯籠流しは!」
にっと笑顔を見せたタクヤ。スイはそれが眩しそうに目を細めた。
陽の光を背に、葵山へと向かう。
タクヤは、何か視界に違和感を感じたが、それが何なのかは分からなかった。長く伸びた影が、足を進める。
通り過ぎる人々は、皆下を向いて歩いていた。少し見上げれば、キレイな世界が見えるのに、とタクヤは思う。
第一、タクヤ自身も景色がこんなにもキレイだなんてことは知らなかった。遊ぶのだって、友人のユウやケント達と涼しい室内でゲーム機で遊んで、暑い夏では外で遊ぶなんてことは滅多にない。
しかし、今なら分かった気がした。
陽の光を浴びる素晴らしさを。外で、暑いなーなんて言いながら追いかけっこをして、ボール遊びをする良さを。
「なあスイ」
「どした」
「こんな日がずっと続けば良いのにな」
「……そうだな」
向かう東の空は藍色を纏い初めており、見事なグラデーションが空に映し出されていた。
さわさわと、少し涼しい風が草木を揺らして行く。二人は、赤い鳥居をくぐり抜け、石造りの階段を登っていた。
前後には他の参拝者たちが同じように階段を登っている。
「階段が辛いなあ……」
「スイはひ弱だなぁ。足腰弱いのかよー」
「ニイちゃん、もう歳だからさ。もう若くないんだよ」
「ほら、もう着くよ、スイ」
「おー……長い道のりだった……」
「たかが三十段くらいだよ?」
タクヤは呆れて溜息をつく。
スイはぜぇぜぇはぁはぁとしていた。
境内に入ると、そこはざわざわ、ざわざわと人の声や足音で満ちていた。
皆一様に手に白い和紙で張られた四角柱の灯籠を持っており、子どもから大人まで多くの人がいる。
「結構人がいるなぁ」
「母ちゃん、どこだろ?」
川辺の方へと寄って行くと、そこにも多くの人がいた。きょろきょろとタクヤは辺りを探す。スイは、複雑な顔をしてそれを見る。
「……タクヤ」
「ん? 何だ、スイ」
「……いや。何でもない」
「なんだ? 変なやつだな」
口を開きかけては、スイは口を噤む。その瞳はずっと何かを考えているようだった。その間も、タクヤは母の面影を人混みの中に探し続けた。
川の上に掛かる、橋から岸辺を見る。
そして、とうとう見つける。
「母ちゃん!」
タクヤの母は対岸の川の淵に座り、まさに今灯籠を水面に浮かべたところであった。
その頬には一筋、雫が伝う。
勢いよく、少年は走り出す。
「いくな、タクヤ!」
魔法使いの悲壮な声が、駆け出したタクヤの耳に届くことはなかった。
そのまま、川岸から戻ってきた母の元へと子は駆け寄った。母の目の前に立ち、タクヤは話しかける。
「母ちゃん! もー、なんで何も言わずに行ったんだよー。灯籠流しに行くなら行くって__」
タクヤは、言葉を止めた。
母が、その横を何もないかのように通り過ぎたのだ。何も、気がついていないように。
「かあ、ちゃん?」
呆然として、立ち止まる。が、すぐさま追いかけていく。
「待ってよ!」
叫んで追い縋れども、追い縋れども、子の声に母は気がつくこともない。
手を伸ばし、母の手を掴む。しかし、その小さな手は母の手をすり抜けて空を切った。
「なん、で……?」
目を疑う光景に、唖然とする。いつの間にか側に居た魔法使いが、言葉を紡いだ。
「ごめんな、タクヤ」
振り向いて、少年は背の高い彼の顔を見上げた。
山の木々がざわざわと騒めき声をあげている。涼やかで、夏らしくない風が吹く。
「……ねぇ、スイ。聞いてよ。母ちゃんがオレを無視するんだ」
「タクヤ、ニイちゃんはタクヤに言わなきゃならないことがある」
「オレ、ここに居るのに。なんで気がつかないのかな?」
「聞いてくれ、タクヤ。それでもニイちゃんは言わなきゃならない」
「嫌いになっちゃったのかな? そんなにオレは悪いことをしたの?」
タクヤは、今にも泣き出してしまいそうだった。苦しげな表情で、スイがそれを見つめた。
「タクヤ。母ちゃんは、タクヤのことが嫌いになった訳じゃない。悪いことをした訳でもない」
「じゃあ、なんで。なんで母ちゃんはオレに気がつかないの?!」
「それは__」
一旦言葉を切って、息を吐き出した。
魔法使いは、口を開くのが酷く辛そうであった。
「__君がもう、亡くなっているからだよ」
息を呑み、タクヤは目を見開いた。
ビー玉が地面へと手の間から落ち、木々がより一層大きく騒ぎ出した。その最中、二人の間だけが妙な静けさに満ちる。
「嘘だ」
ぽつり、と呟く。まるでそれは水面に一滴落とされた雫のように、言葉は波面を描いて空気に沁みいく。
「だって、オレ普通に生きてるじゃん。話だってする、友達とだって遊ぶし、スイのことだって助けたじゃん」
何言ってるんだよ、と乾いた声で笑った。喉がからからに渇いている。遣る瀬無さを携えて、スイは重い口を開いた。
「じゃあ、ニイちゃんと出会う前、お前は何をしていたんだ」
「出会う前? オレ、スイと出会う前は__」
タクヤ今日の昼間をは思い出そうとする。瞳を閉じて、想いを巡らす。
「今日の昼間は__」
__炎天下、昼下がり。
スイが倒れていた公園。なんで公園に寄ったんだっけ。ふらふらと彷徨って。昼ご飯は食べたっけ。母ちゃんに行ってきますと行ったっけ。
__オレは、何をしてたっけ?
「駄菓子屋のばあちゃんが言っていた交通事故。あれは、小学生が車に跳ねられて……亡くなってしまったという悲惨な事故だ」
「交通、事故……」
「そして、その少年の名は“タクヤ”だった」
「……っ!」
何十もの感情をごちゃ混ぜにしたような、タクヤはそんな顔をする。
「それに、タクヤには影が無いんだ。幽霊は、影を持たないものだから……」
「!!」
驚いて足元を見る。暗がりにいるからかよく分からなかったが、葵山に来る間にタクヤが感じていた視界の違和感を思い出す。それは、タクヤ自身の影がないことだった。
並んで歩く二人の、二つの長く伸びるはずの影法師が、一つしかないことに対する違和感だったのだ。
まあるいビー玉が、瞳に映った。
ああ、そうか。タクヤは瞳を閉じ、そして。
「オレ、は」
絞り出すように。
噛みしめるように。
「オレは、もう」
タクヤは、声に出した。
「死んじゃったのか……」
自身に突きつけられた事実を、自身の置かれた身の上を理解したタクヤの存在感が薄くなる。
魔法使いは、何も言えなかった。どんな魔法を以ってしても、覆すことのできない自然の摂理であった。
タクヤは、すとん、と腑に落ちた感覚がした。いや、どこかで理解はしていたのだ。だが、信じたくはなかった。認めたくなかった。自分自身が、亡くなってしまっている事など、タクヤは、信じたくはなかった。
つう、と水が頬を伝った。次から次へと、目から雫がこぼれていく。
見兼ねたスイが頭を撫でようとするが、触れる事は叶わない。
「灯籠の灯火は、天国への道しるべなんだ。だから、タクヤ」
あやすように、促すように言うスイを見上げたタクヤは、ボロボロと涙をこぼす。
「でも、オレ怖いよ。やだよ、スイ。ずっと幽霊のままでいい!」
死ぬのは怖い。死ぬのは恐ろしい。このまま、自分はどうなってしまうのだろうか。このまま、この世界を見ていたい。
そんな少年を安心させるように、魔法使いは優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。心配するな。天国は良いところだ」
「…………」
「タクヤの母ちゃんは、灯籠をタクヤが迷わないようにって流してくれたんだ」
「……そう、だな」
「ちゃんと、行かなきゃならないんだ。誰しもいずれ行くところだから、さ」
人の行き交う境内で、二人だけが別世界に取り残されたかのようだった。
「……でも、スイと、また会えなくなっちゃう」
涙をぽろぽろと零しながら、タクヤは見上げた。予想以上に懐かれていた事に、スイは嬉しいような、困ったような笑顔を見せる。
予想以上に魔法使いは、幽霊に絆されてしまっていたようだ。
「きっと生まれ変わって、またニイちゃんとも会えるさ。その時はまたラムネを奢ってやるよ」
笑顔でそう言い切る。タクヤは不安そうにその顔を見つめていた。
「本当に?」
「本当だ」
「本当の、本当に? 嘘じゃ、ない?」
「本当だーっての。勝手に疑ってるのは、タクヤだろうが」
どこかでしたやり取りに、タクヤはくしゃりと笑った。涙は、もう止まっていた。
夕陽が、眠りにつこうとしていた。
透魚たちが、灯籠の揺らめく火とともに川下へと流れ消えていく。入れ替わり立ち替わりに灯籠を流していく人々は、次第に少なくなってきていた。
一度、スイに背を向けて深呼吸をした。母の背が消えて言った方向に向かった口を開く。
「かあちゃん、今までありがとう」
スイにも誰にも聞こえないように呟かれたのは、届くことない愛の詰まったお礼だった。
振り返ったタクヤは、すっかり憂のなくなった、スッキリとした表情をしていた。
「オレ、行くよ。その代わり」
「ああ」
にやりと笑って、タクヤは言う。
「今度会った時はラムネ二本な!!」
豪胆な奴だなぁ、とスイは思った。
「わーったよ、二本奢ってやるから」
「じゃあ、またな、スイ」
「またな」
ふわりと笑顔を残して、空の彼方へと少年は征った。スイは、落ちていたビー玉を拾って、ポケットにしまった。
流れる光の粒が、輝いていた。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「今日もあっちいなー」
燦々と照りつける日差しを睨みつけて、カツヤは不平をこぼした。
普段のように、公園へと足を運ぶ。友人のレンやケイは居るだろうか、だなんて思いながら滴り落ちる汗をぬぐって歩き行く。
「ふぅ、着いたー……」
むわっとした空気が身体にまとわりついて、むさ苦しく嫌気がさす。公園には誰もおらず、カツヤは眩しい日差しから逃れようと木立が作り出す日陰に入る。そこには先客がいた。
男の背はすらりと高く、癖っ毛の茶色髪。そして、この暑い中で黒の長袖のフード付きパーカー、長ズボンを履いていた。
その人は空色のビー玉を空に掲げて、眩しそうに見つめている。
そのビー玉を見て、カツヤは目を見開き。
__そして笑った。
「おわっ!?」
どんっと見知らぬ子どもに体当たりされた男は、驚きの声を上げる。ビー玉が手から落ちてころころと転がっていく。
カツヤは男を見上げてにやりと笑って言い放った。
「ラムネ二本、約束だろ!! __スイ!」
木立の下の魔法使いは、少年を見て目を丸くする。直ぐに合点がいったのか、男は嬉しそうに笑って少年の頭を撫でる。
「しかたねーなーぁ」
陽の下に転がり出たビー玉が、きらきらと輝いていた。
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