一話
香ばしい、焼けたパンの匂いが漂う。
焦げたわけではない、丁度いい黄金色。
それに甘い匂いの漂う桃のジャムを塗り、お皿に載せて運びだす。
既にテーブルの上には目玉焼き、ベーコン、コーヒーと朝食が並べられており、リビングに美味しそうな匂いが充満している。
「……まだ起きてこないのか」
呆れたように溜息をつき、少年……夏海は、エプロンを折りたたみ、椅子の背もたれにかける。
昨日は夜遅かったっけ?
カレンダーを見て今日の予定を確認しながら、昨日のことを振り返る。
いまいち夜遅くて寝ぼけていたため、記憶が曖昧だ。
その時、何か言っていた気もするが……
「……ん?」
待てよ?いつもなら彼女は帰ってきたら明日の予定を言うはずだ。
ならば、疲れきって寝る寸前だったとしても、彼女は俺に伝えたはず……
必死に頭を回し、記憶を呼び起こす。
昨日なんと言っていたか。そんなことすら思い出せないほど老いてしまったか、俺の頭は。
まだ16だろう?若々しいことこの上ない思春期男子が物忘れなど、いかがなものか。
悶々と思考を回し続け、ふと思い至る。
起こせば良くない?と。
思い至った瞬間、夏海は階段をかけ上がった。
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規則正しい息遣いで、“それ”は眠っていた。
寝間着から除く白い鎖骨、大きな谷間。息に準じて上下する二つの果実。
眠る顔は随分と無防備で、普段の鋭さからは感じられぬあどけなさすら感じさせる。
しかし美貌は健在で、肉厚そうな唇は計らずとも劣情を誘うだろう。
……もっとも。
「起きろ、ハルカ」
彼には全く効かないのだが。
「んっ……んぅ……」
微かに乱れる息遣い。少し喘ぐような声。
これほどの美女がそんな声を出せば、振り向かぬ男などいるまい。
女性ですら頬を上気させるその艶やかさ。美の女神もかくたるやと思えるその鳴き声。
……但し。
「……起きないと飯が冷えるぞ」
「!?」
身内には効かない。
目を見開き、急いで身支度を整え始める女。
そんな彼女を見て、呆れたようにため息をつく。
「……お前、飯のことになると反応が良いよな」
「そ、そんなことないわ?たまたまよ、たまたま(グ〜)」
タイミングを見計らったように、音を立てるお腹。
途端にそれを恥じらうように、彼女の頬は真っ赤に染まる。
いささか淑女らしからぬその音に、夏海は再びため息をつく。
「……飯、出来てるから。早く下降りてこい」
「うん……」
そういって、扉に向かう夏海。
ふと、思い出す。ここへ来た要件を。
そういえば、今日の予定を聞くのだった、と。
「ああ、そうだ。ハルカ、今日は……」
何かあるのか、と続けようとした。
しかし、続くことは無かった。
目に入ってきたのは、キメ細やかな白い肌。
陶磁器とも区別のつかぬその白さは、生気を感じさせない作り物めいた美しさがある。しかし、それは──
──ズボンをずり下ろし、下着姿となった彼女の、と、注意書き付きなわけだが。
「なっ、なっ……」
「?ナツミくん、どうしたの?」
「ふ、ふ!」
「ふ?」
「服を脱ぐなぁぁぁぁ!!!」
「えぇ!?」
そう叫びながら、少年は階段をかけ降りる。
いささか彼には衝撃的すぎたのだ。いくら身内とはいえ、彼女の生足などそう拝めることは無い。
ましてや、思春期真っ盛りの少年に、それを耐えろというのは、酷であろう?
何はともあれ。
「?」
今日も今日とて、その理由に彼女は気づけないまま。
いそいそと、服を着替え始めるのであった。