星空の部屋
ふと、目を覚ました。
テレビをつけたように、突然僕の意識は目覚めた。なぜそのようなことが起こったのかわからない。ただ、僕は目覚めた。
そこは薄暗い場所だった。見覚えのない暗い場所に僕は仰向けになっていた。僕の視線の先にあるのは無数に輝く星たちであることからここが屋外であるということがかろうじてわかる程度だ。僕は辺りを見まわそうとして首を動かそうとすると鈍い痛みが走った。試しに腕を動かそうとする。痛い。立ち上がろうと足に力を入れてみる。痛い。これまで感じた痛みの中でもかなり酷いものだ。僕は身体を動かすことをやめただただ空を眺めていることしか出来なかった。
どれくらい経ったのだろうか。腕時計でさえ見ることもできない僕にとって永遠のように長い時間が流れた。
ある日のことだ。いつのことだったか、なんて私は覚えていない。でもきっと夏の日のことだった気がする。私にとってその日は何気ない1日だったのだろう。だからこうして思い出そうと頭を抱えても思い出せるのは些細なことばかりで大切なことはすっかり抜け落ちていた。話を戻そう。ある日のことだ、私がまだ高校生だった時のこと。私は当時そこらへんにいるような特に特徴のない高校生だった。あの頃の自分を文章で表すことは難しいだろう。ただ、どこまでも平凡であって普通であった。別にそれをとやかく言うわけではない。平凡なりに思い出はあるし、平凡なりの楽しさがあったことは事実だ。ただ一つ私をそう思わせる理由はきっと部活動にあったのだろう。
私が所属していたのは神秘研究会という一見して訳のわからない部活であり、そこにいたメンバーこそが平凡から逸脱した面々でそろえられていた。そもそも神秘研究会とはなんなのかよく知る人は校内にもほとんどおらず文化祭で偶然その存在を知るという人も少なくない。神秘研究会。略して神研。その会長比嘉南庸助は神研とは何かと尋ねたところこう答えた。
「さあ、それは俺にはわからないことだよ。まあみんな思い思いに好きなことをしているところだ、と答えるのが正しいと思うよ。何を神秘と決めるのかは自分だし、何を研究するのかもその人次第だ。まあ、こんなスタイルだから神研に結束力なんかを求めるのは間違いだよ。」
「比嘉南会長は何を研究してるんですか?」
「え?俺かい?変わってるなあ、俺が何を研究してるのか興味持つ人なんて今までいなかったよ。聞かれたからにはしっかりと答えさせてもらうけどね。俺が研究してるのは都市伝説だよ。丹羽さんも知ってるんじゃないかな。星空の部屋っていう都市伝説。」
「星空の部屋ですか?」
「ああ、そうだよ。この手の都市伝説というか七不思議はどこの学校にもつきものだよ。けれどね、俺たちの学校にあるのはちょっと違うんだ。星空の部屋はどこにでもあってどこにも無いんだ。」
「はあ。聞いたこともないですね。」
「星空の部屋は移動する。そしていつ現れるのかすら分かっていない。放課後かもしれないし授業中かもしれない。けど確実に言えることは絶対に存在しているということだよ。俺はその星空の部屋っていうのが気になって仕方ないんだ。だからここに入って毎日を楽しんでる。丹羽さんもお出でなんて誘うようなことはしないよ。今のは僕が示した一例にすぎない。君は君自身の神秘を見つけなくちゃ意味が無いんだ。それが神研の存在する意義だからね。」
会長は私にそういって楽しそうに去っていった。
と、気がつけばかなり脱線してしまったみたいだ。私が神研に入会することになった経緯は今回の話とはあまり関係が無いのだ。そう、『星空の部屋』の部分を除いては、ということだ。つまり今まで長々と話したのは私が神研に入会するきっかけではなく、『星空の部屋』と出会った話ということだ。しかし、私が実際に『星空の部屋』と出会うことになるのは少し先のことだった。なにせ夏の話だ。
長い時間が流れたことは理解している。しかし目の前に広がる景色は何一つ変わっていなかった。雲一つ無い星空が広がっているままで朝はやってこない。それどころか星の位置さえ動いていない気がした。まるで時が止まってしまったかのように変化がない星空。そこに僕は何も感じなかった。ただただ美しい星の輝きに目を奪われていたからかもしれない。しかし、星空とは反対に僕の体の傷は時間とともに癒えていった。今では体を自由に動かせるほどにまで回復した。そこで僕はようやく起き上がって辺りを見回すことができた。まずは立ち上がり自分の体を調べてみる。目立った外傷はなく、先ほどまでの痛みが嘘のように傷一つない体だ。入念に調べてから次に辺りの様子を窺う。そこは小さな部屋のようだった。前後に黒板がありそれに挟まれるような形で机や椅子が綺麗に並んでいた。僕が倒れていた?場所はどうやら教室らしかった。前の黒板には僕の記憶する今日の日付が書かれていた。しかし、一つ奇妙なことを挙げるとすればやはり星空だろう。教室には屋根がなく、言うなれば際限無く広がる星空こそが教室の屋根と呼ぶべき存在だった。試しに机の上に上がって星空に触れてみようとしたがもちろん触れることはできない。どこまでも手を伸ばしてもその手が何かに触れるなんてことはなかった。そこまでしてみて僕はようやく一つの事実に思い当たった。そうか、これが先輩の言っていた『星空の部屋』なんだと。
そう思ってしまうとなんとも言えない安心感が僕を包み込んだ。僕は出口を探そうとも思わないほどこの場所が気に入ってしまったようだ。いや、そもそもここに出口なんてないのだ。そう先輩も言っていたではないか。しかし、やはりそこに不安は微塵も無く僕は安心しきっていた。
さて、そろそろ本題に入ろう。私が実際に『星空の部屋』と出会ったのは夏の頃だった気がする。神研に所属していた私はいつものように空き教室で一人作業に没頭していた。そもそも神研とはその名の通り正式に認められた部活動ではなく非公式に活動を行っているものでいわば、趣味の延長でしかない。そんな活動に決まった場所が提供されるわけもなく会員は思い思いの場所で自分が選んだテーマについて何かしらのことを行っていた。似通ったテーマを持つ人たちは集まって議論を交わすようなこともあったようだがあいにく私の選んだテーマは特異なものだったらしく一人で作業することが多かった。もっともそれ自体は嫌いではなかったしむしろ一人で入られる時間が楽しくもあった。
私は机に向かいノートと古臭くて分厚い本を広げながらいつものように作業を進めていた。ただ自分の興味が赴くままに好きなことを好きなだけ探求する。夕陽が差し込みオレンジ色に染まる教室で一人ノートにペンを走らせる。左のページの最後までノートを書ききり次のページへと移ろうとしたその時だった。私はその時になってようやく自分が置かれている状況を理解した。
いつの間にか窓がなくなっていた。
いつの間にか壁がなくなっていた。
いつの間にか天井が消えていた。
いつの間にか日が沈み空には星空が広がっていた。
それはあまりに突然で、あまりにさりげなかったので私は何が起こっているのか理解できなかった。出来たことといえば空を見上げることくらいだ。そこにあるのは満天の星空。どこまでいっても星が満遍なく敷き詰められておりいつまで見ていても飽きないだろうと思った。普段生活していて夜に外に出てみてもここまでの星を見ることはできないだろう。それは街が明るすぎるからであって、ただ1つの教室しかないこの世界ではすべての星を見通せるような気がした。きっと宇宙に出てみればこんな世界が広がっているに違いない。その時は確かにそう思えたのだ。そして星空を眺めたまま、1つの事実にたどり着いた。ここが『星空の部屋』なのかと。
「ああ。ここが『星空の部屋』か。」
「そうだよ。」
私の何気ない簡単に消えてしまいそうな声に誰かが返事を返した。その声は小さいものであったけど何よりも心強く感じたことを今でも覚えている。しかし声の主を探そうとして辺りを見回したが、辺りには人っ子一人いない。
「誰?」
私はただ星が瞬くだけの空に問いかける。
「私だよ。」
答えはすぐに返ってきた。
「どういう意味なの?」
「どういう意味か、だって?あなたが聞いたから答えただけ。」
「あなたは私なの?」
「だから最初からそう言ってるじゃない。」
「じゃあここは」
「そう。あなたの思う通り。この場所は」
やあ。久しぶりだね。確か丹羽さんだったかな?それに伊和君だっよね。あれ?もしかして俺のこと忘れちゃった?俺だよ俺。神研の元会長比嘉南だよ。俺が卒業してからまだ1年しか経っていないけど覚えてくれてるよね?突然の手紙で驚いていると思うけど二人に話しておきたいことがあってね。まあ先輩からの最後の置き土産と思ってくれれば構わないよ。
さてわざわざ手紙を書いたのは君達に関わることだからだよ。神研の中でも特に君達二人に関係のある話だ。まあ『星空の部屋』についての話なんだけどね。いつだったかな丹羽さんには学校の都市伝説とか言ってそんな部屋がある話をしたよね。伊和君にも教えたはずだ。二人ともそれはそれは熱心に聞いてくれて俺も話し甲斐があって本当に楽しかったよ。でも君達に1つだけ謝らなくちゃいけないんだ。実はね『星空の部屋』なんて存在しないんだよ。そもそもそんな話存在しないんだ。そんな話君達も聞いたことがなかったはずだ。あれはね一種のパフォーマンスみたいなものでまあでっち上げた話なんだ。代々神研に受け継がれてきた伝統みたいなものだね。だから俺も先輩方と同じように話をしたんだ。けどね、君は信じてしまった。特に丹羽さん。君は去年の夏に『星空の部屋』に遭ったと言っていたね。けど嘘をついているようには見えなかった。俺が話していないことまで丹羽さんは話してくれたからね。
なあ、丹羽さんと伊和君。君たちは『星空の部屋』とはなんだと思うかい。俺はね、人だと思うんだ。『星空の部屋』というのはたった一人の人間だとね。人間ってのは完璧に自分自身を客観的に見ることができないんだ。見ることができるのは輝いて見える他人だけ。これは当たり前のことだろ?だからこその『星空の部屋』なのだと俺は思ってる。その場所から見える風景じゃなくてその場所を見ることが必要なんだよ。どれだけ光を求めて手を伸ばしても手は届かないんだからね。丹羽さん。君が行った『星空の部屋』はもしかしたら他の人から見れば一等星のよう丹羽さん明るく輝いている星なのかもしれない。だからさもしもまたあの部屋に行くことがあればしっかりとみて欲しいんだ。その部屋がどんなものか。丹羽さんっていう人間がどんな人間か。もし見ることができたならその話を聞けることを楽しみにしているよ。伊和君。騙してしまって済まないと思っているよ。君は少し丹羽さんとは違うタイプみたいだね。君は自分で答えを見つけるべきだと俺は思う。けどせっかくだからヒントだけでも君に上げておくとしよう。伊和君、外の世界はどうだい?俺はね案外捨てたもんじゃないと思ってるよ。
長々と書いてきた手紙もそろそろおしまいだ。最後に神研を任せたよ。
元会長 比嘉南 徹
ふと、目が覚めた。
体中が痛み悲鳴をあげていた。あまりの痛みに声を漏らしそうになるが今の状況を思い出して口を手で塞ぐ。ただそれだけの動作でも僕は痛みを感じていた。目の前にあるのは古びた僕の部屋。室内はゴミが散らかっており足の踏み場もないとはまさにこのことだろう。しかし部屋を片付けることさえ僕にはできなくなっていた。僕の足は殴られすぎて紫色に膨れ上がっていた。歩こうとすれば鈍い痛みを発することは間違いない。そればかりではなく体中に紫色に変色した痣があるだろう。どうやら今日の暴力は終わったらしい。気を失っていたのか僕はまたあの部屋へと逃げ込んでいたらしい。けどそれではダメなのだ。僕はあの部屋に行くべきではないのだ。僕は知っている。手紙で比嘉南先輩が話してくれたように外の世界はあの部屋よりも綺麗なものにあふれているということを。
ああ、久しぶりに神研に行きたいな。もう長いこと顔を出していない。丹羽先輩もきっと僕のことを気にしているに違いない。あの人はそういう人なのだろうから。終わりはないのかもしれない。けれど、終わりはやってくるはずだ。僕はそれを待ち続けよう。あの星空よりも美しい場所と出会うために。
「それが私とあの部屋との出会いの話。どう、面白かった?」
私が尋ねるとベットの上で伊和君は笑った。
「へえ、まさか丹羽先輩が比嘉南先輩から話を聞く前にあの部屋の真実に気がついていたなんて驚きですよ。」
「まあね、それより調子はどうなの?」
「大丈夫ですけど、そうは見えませんよね。」
そう言って包帯の巻かれた手で伊和君は頭を掻いた。彼が救い出されたのはつい一週間前のことだ。伊和君は常日頃から父親から暴力を受けていたらしい。一週間前のその日に限って彼の父親は虫の居所が悪かったらしくいつもよりもひどい暴力にはしったらしい。ついに耐えきれなくなった彼は私の元に一通のメールを送ってきた。ただ一言助けてくださいと。ただそれだけの話だ。
「それで比嘉南先輩はいつ帰ってくるんですか?」
「ああ、それなんだけどね。実は比嘉南先輩なんて人はいないんだよ。私が調べたから間違いないよ。神研の学生名簿から学生名簿まで全部調べてみたんだけどどこにもそんな生徒はいなかった。」
「え?じゃああの手紙を送っきたのは誰なんですか?」
「さあ?」
でも、もしかしたら比嘉南先輩こそが都市伝説だったのかもね。
有りもしない都市伝説を語る都市伝説。
まさか?
でもそれが私の出した答えだ。