姫、銀狼と再会する。
母屋に帰るとおとうさんは台所で調理暖炉の前で汗水たらしながら、鉄の鍋を振って朝食を作っていた。
真っ裸で。
アスランが変態を見る眼でおとうさんを見ているが、これは日常風景だった。帝都の一般的な家では煙突や鋳鉄製の火格子があるらしいが、ここはど田舎で、多分地図にものっていない村だ。台所は脂まみれで汚く、焼け付くような熱さで服は燃えてしまう。なので料理は男の仕事となっている。
「おとうさんです」
「知ってますけど」
「あちー! あちー!」
熱気と黒煙にまみれながらおとうさんは頑張っていた。
とてもかっこいいです。裸だけど。
昔、冒険者をしていただけあり、筋肉が盛り上がるようについており、熱さのせいで古傷の背中の切り傷が赤くなっていた。
「背中、痛そうですね」
アスランが古傷に気付いておとうさんに尋ねた。
「ああ、これか? 痛くないぞ。それに、この背中の傷は漢の勲章だ」と言うと、鼻歌交じりで調理を再開した。
「誰かを守ったんですか?」
「ああ、最愛の女をね。そこの娘の母親」
「いやん。おとうさん、かっこいい」
裸だけど。
「そーだろ」
おとうさんはお母さんが本当に好きだったようで、お母さんの話をするときは笑顔になるのだった。
「ほーれ、炒飯だ。温かいうち食え」
お父さんは裸に下着一枚で来ました。全身の体毛が焦げており、全身汗まみれです。あきらかに、おとうさんの風味が入ってそうで、深く考えると飯が不味くなりそうだった。
「あっ、これは漂流者の料理ですね」
アスランは、いただきます、と小さく言ってから木製のスプーンでかき込んだ。
「ふーん、知っているのか。昔、漂流者と旅していたときがあって、色々と教えてもらったんだ。たしか中華料理とか言っていたかな……。米を炒めて、熟成させた鳥肉と、アヴィスの卵と、庭の野菜を適当に入れた。そうだ、セシル。さっき気付いたけど、塩なくなったから取って来いよ」
「はーい、分かりました」私は葡萄酒を水で割ったものを飲みながら、炒飯を食べた。「ううっ……味が合わない。炒飯美味しいけど飲み物が合わないよね」
「今度、お茶買ってみるか?」
「うん。食事は組み合わせが一番だよ」
野鳥の出汁で取ったスープと、チーズをまぶしたサラダ、昨日炙った猪の肉が食卓に並んだ。
アスランは遠慮無く食べていき、食事を終えると立ち上がった。
「食器は何処で洗うんですか?」
「庭の小川だよ」
私も一緒に食器を持って、小川で食器を洗った。
「料理が温かくていいね。俺はいつも冷めたものを食っているよ」
「家が広いの?」
「広い。無駄なくらいね」
アスランが虚ろな目で食器を次々と洗っている。
聞いてもいいのだろうか。アスランはどういう人なのかと。
「アスランって何処の出身なの?」
「俺はねー。子どもの頃に帝都に引っ越したけど、それまでは遊牧民をしていたよ。馬に乗って、西へ、東へ、季節ごとに転々として、ここと違って空が広かった。見渡す限りの地平線と青空が懐かしいね。馬乳酒っていう飲み物があって、もう……しばらく飲んでいないけど独特の味があって美味しいんだよね」
「馬かー。いいなぁ。私たち乗れないから」
帝国の階級制度により、狩猟民族はアヴィス以外乗ってはいけないことになっている。農民は農耕用として馬を飼わなければならないが騎乗をしてはならない、馬に騎乗を許されているのは遊牧民や騎士階級ぐらいだ。
「あの頃に戻りたいけどね」
アスランは食器を洗い終わり、手を振って水気を飛ばした。
突然、悲鳴が聞こえた。
そして犬の吼え声--いや、狼だ。
私は短刀に思わず手が伸びて、身構えながら周囲を確認した。
「狼か……」
悲鳴が続き、鶏の鳴き声が近づいてきた。
「おとうさん! 狼だよ」
「分かっているよ」
私が母屋に戻ると、おとうさんは狩猟用の銃に弾丸を装填して構えた。下着一丁だけど。
しばらく風の音がうるさかった。
悲鳴が近づいてくる。
鶏の鳴き声が大きくなった。
狼が鶏を咥えながら、道を横切った。
銃声。
火薬の臭い。
死の余韻が、開放された鶏の断末魔で終わった。
「一撃必殺」
お父さんは狼に近づいて、短刀で首をかき切り血を噴出させた。猟において止め刺しは重要だ。万が一生きている場合、中途半端だとこちらが大怪我する。
「悪戯狼め。これで、村に平和は訪れたな」
お父さんはにこやかに笑いながら戻ってきた。
再び、悲鳴が上がった。
狼の屍骸の傍らに大きな銀狼が座っていた。
お父さんは銃弾を装填して、狙いをつけたがすぐには撃たなかった。
「……フェンリル」おとうさんが呟いた。
それを聞いて、アスランが息を詰まらせたように眼を開いた。
狼は遠吠えをあげて、村中の人間に威嚇をして、木々の枝まで震わせた。
おとうさんは空へ向けて、銃弾を発射した。
「行け! その狼はくれてやる!」
銀狼は口の端をあげて笑い、その場で飛び上がった。まるで鳥のように飛び上がり、木の枝を蹴るように走り抜けた。
「魔弾の射手か……」
いつものおとうさんならアスランが動揺している顔を見逃さなかっただろう。でも、今は気付くはずも無かった。おとうさんの顔は喜びに満ちていて、私の見たことの無い顔をしていた。
※調理暖炉は火格子が誕生するまでは、男が裸もしくは下着一丁で働いてました。服に引火したりと大変危険だったようです。か弱い女性は近づけていなかったようです。
馬乳酒は低アルコール飲料で遊牧民の飲み物です。これは子どもでも飲むらしいです。飲んだことが無いので本当に癖があるかは知りません。モンゴルの人とかが呑みます。