第2話 「無能力な目立たない子」
[キーンコーンカーンコーン」
授業のチャイムが鳴り終わらない内から、机の下に身をかがめる男子生徒がいた。その少年はやや長めの髪を掻きあげると左右に視線を送り、いたずらをこれからするかのように目を輝かせてほふく前進を始める。
「園山陽樹!」
匠の技なのか、それとも別に能力でも持っているのだろうか、教卓の前で教科書を片付けている教師がある名前を呼ぶと、床に這いつくばっていた少年の動きがぴたりと止まった。
「昨日補修サボった分、宿題三倍だ。持って行け」
「は……はい……」
生徒達の笑い声の中、園山と呼ばれた生徒は立ち上がって体から埃を払うと、すごすごと教卓へ向かった。
俺の名前は園山陽樹。この春から東京特別区域で一人暮らしを始めた高校一年生だ。この特区で優秀な成績を修めるのを目標にはしているのだが……落ちこぼれ街道まっしぐら。実家である『鰻屋』の売り上げも芳しくないはずなのに、俺の花は開く気配も無く、昨日も途中で切り上げたとは言え外が暗くなるまで補修を受けた。
勉強を真剣にやってないからだろって? そうじゃない。ここ特区での優秀な成績とは……努力では中々手に入らないんだ。
そんな暗い話より目先の食い物。俺は遅れを取り戻すかのように猛ダッシュして食堂を目指す。早く行かないと、限定の『ツナメンチソー』が売り切れてしまう。ツナとメンチカツとソーセージを挟んだ片手では持てない大きさのパン。育ちざかりの俺達に大人気のメニューとボリュームを併せ持った神様も大好物って奴だ。……いや、知らないけどな。
俺が教室の扉を開いて廊下に飛び出ようとした所、背中にクラスメートの声がかかる。
「陽樹、今日は水曜日だぞ」
「あっ……そうだった……」
俺はため息をつくと、ゆっくりとした足取りで廊下を歩く。別に今日は食堂が休みって訳じゃない。しかし、俺は最優先で保健室へ向かわなければならないんだ。
保健室には、もうすでにクラスの奴が何人か来ていた。奴らは顔をしかめながら俺とすれ違いに出ていく。
中に入った俺は咳払いを二度ほどすると、白衣の男達の前にある椅子に座った。そして、差し出した手のひらに、二十錠ほどのカプセルと錠剤を乗せられる。手を口に押し当てて薬を放り入れると、すぐ机の上にあった水でそれを流し込む。苦い。とてつもなく苦い。そして、人間の食道はこんな大量の固形物を一気に流し込めるほど余裕を持った作りではない。しかし、一度に飲まなければいけないのだ。
その後、俺は医者に向かって口を大きく開け、完全に飲み込んだ事を確認してもらう。これが週に一回の投薬日。生徒達の間では『ブルーDAY』と呼ばれている。薬を飲むのが苦しいってのもあるが、その日は昼食をとってはいけない事になっているんだ。これがまた辛い。
俺は、個人カードを先生に渡して機械で記録してもらう。ぶっちゃけ他に何をしようと、この投薬日だけは守らないといけないのが生徒の責務になっている。
こみ上げる逆流感に耐えながら保健室を出ようとすると、目の前で扉が開き、入ってきた女子とぶつかりそうになった。
「おおっと……」
「ひゃぁ! ……ご……ごめんなさい」
俺を大げさに避けて行った少女。俺は、椅子に座り目をつぶって苦しそうに薬を飲んでいるその子を扉の傍から眺めた。
堀田真衣。下の名前は自信が無いが、苗字は合っていると思う。長い黒髪の可愛い子なのだが、男子からの人気は皆無で教師からの受けも悪い。……まあ受けが悪いのは俺もそうだけどな。いや、俺とは次元が違うかもしれない。なんせ、全くの無能力者なのだから。どうしてあんな子がこの学校に……、この街に……?
戻ってきた堀田真衣は、俺がまだじっと見ていた事に気が付いて胸と下腹部を両手で隠した。
「俺は透視能力者じゃないって。お前と同じ落ちこぼれだし」
手を広げてそう言ってみせると、堀田は顔を赤くしながら通り過ぎる。俺は追った訳じゃないが、それに続いて保健室の外へ出た。
「お前、今日投薬の日だってのに、午前中何をしてたんだ?」
「……えっと、いろいろありまして」
廊下は二人だけだったので、俺が何気なく始めた会話。それに、堀田は中途半端に振り返って伏し目勝ちに答えてくる。
堀田とはもしかするとこれが初めての会話かもしれない。評判通り、話の弾まない奴だ。でも、気持ちが分からないでも無いけどな。いつも透視能力者に体を見られ放題なら、暗くもなるって物だ。まあ、相当な能力者じゃないと加減が出来なくて、下着止まり、もしくは内臓までいっちゃうって話だけど。
早くも話題が無くなった、そう思った俺だったが、堀田の制服が真新しい事に気が付いた。入学して一か月経つと言うのに、スカートの折り目がきちんと立てられており、ブレザーも埃一つ付いていない。
「おまえ……昨日までの堀田か?」
俺はついそんな事を言ってしまった。ないない、それは無い。クローンとして蘇るのは次の春から一斉にだ。こんな中途半端な時期に、しかも昨日の今日でクローンが用意できる訳が無い。
……しかし、堀田真衣は驚いた顔で俺を振り返ったのだ
「精神感応能力者!? 予知能力者!? お願いっ! 黙っていて下さい!」
叫び声にも似た様子で言った後、堀田は廊下の壁に背中を付いた。膝がガクガクと震えている。
「んなレア能力者が劣等生な訳無いだろ。ジョークだよ、ジョーク」
俺が笑ってみせると、口に手を当てて怯えていた様子だった堀田は安堵のため息をついた。
心の中を読まれる事を堀田は恐れている? 一体なぜだ。それに午前中、学校に来ていなかった理由は……新品の制服を用意していたからか? 制服は申請すればすぐに支給されるが、受け取りは洋服店が開く午前十時からだ。
……いけない。悪い癖だ。気になると、すぐに首を突っ込んでしまいそうになる。それに、俺は劣等生を気に掛けるほど自分の成績に余裕がない。まずは三倍にされた宿題をどうにかしないとな……。
俺は足の遅い堀田を追い抜くと、急いで教室に戻って先ほど教師から渡された宿題に手を付けた。
六時間目の授業も終わり、皆が教室から姿を消した後も俺は宿題を真面目にやっていた。なんせこの宿題を渡された時、「次は九倍になるぞ」と脅されたからだ。異能力開発授業以外の教科は手を抜いても構わないのだが、あんまり抜きすぎると留年させられる。死んでも無いのに(・・・・・・・・)留年なんてあんまりだ。
「んで、お前は何をしている訳?」
「えっ……」
後ろ向きのままだったが、堀田真衣は俺の少し離れた斜め前の席で背中を震わせた。広い教室に、俺と堀田だけが座っている。
「なんで帰らないんだ?」
「う……うん」
「うん、ってなんだよ。じゃあ暇なら、俺の宿題手伝ってくれないか?」
「は…はい」
堀田は立ち上がると、俺の机のすぐそばに立った。こいつは頼まれたり命令されたりすると、何も言わずに従うって女子が話していたのを聞いた事があるが、本当だったのか。
「悪い……。マジで言った訳じゃないんだ。ちょっと本当なのかなって確かめようと……」
「……そこは『A』。次も『A』。その次は『窒素』で……」
「えっ? お……おお! ありがと……」
次々に答えを口にしていく堀田の好意?を、俺は無駄にせずにはいられなかった……。
二時間後――
「はぁ……、堀田のおかげで三分の一の時間で終わった。助かったぁ」
堀田は少し疲れた顔をすると、俺の横の席に座った。その時俺はようやく堀田をずっと立たせていたままだってのに気が付いた。
「ああ……悪かったな」
俺は、己の事しか考えてなかった自分にがっかりした。
「……今度何か、お礼するわ。すまん」
「お礼?」
堀田は顔を上げて聞き返してくる。お金にでも困っているのだろうか? 俺はかなり低いレベルの支給額だが、堀田よりはいく分良いだろう。華奢な体をしている堀田だが、ろくに食事も出来ていないのだろうか?
「飯……食いたいのか? ファミレスくらいならなんとか奢れるけど」
「えっ? ……ううん。食べ物は足りています。でも……あの……。お礼……をしてくれるなら……送って……欲しいのです……」
「送る? 家まで送るって意味か?」
「ちっ…違いますっ! ……えと、園山君の好きな所までで良いですから……」
「はぁ……?」
しばらく教室で黙り込んでいた俺達だったが、俺は昼間気が付いた堀田の制服が新しくなっている事を思い出した。
「お前……やっぱり昨日何かあったのか?」
「えっ……? あ、ううん。それとは別に……、あっ!」
堀田は慌てたように自分の口を塞いだ。
「それとは……別?」
昨日何かあったのは間違いないみたいだ。しかし、今日何かに怯えているのは違う理由? 一体……こいつは何を隠しているんだ?
「分かった。しばらくお前を家まで送ってやる。任せろ。……それほど頼りにならないけどな」
「えっ……しばらくだなんて……そんな……」
俺は、胸の前でぶんぶんと両手を横に振っている堀田の前で、教科書を鞄に仕舞いこんだ。堀田が何か隠しているとしても、それは俺には関係が無い事だ。それよりも、こいつは困っている。おまけに頼れる奴もいないんだろう。
俺は椅子から立ち上がった時、誰かの視線を感じて窓を見た。
「……どうかしました? 園山君」
「いや。……天気を見ただけだ」
空はすでに真っ暗で、天気を見たなんて理由は無理やりだったかもしれない。しかし、本当の事を言うよりは良い。
……窓の外で動くものがあったのだ。鳥くらいの小さな物に見えたが、夜なので鳥なはずがない。しかし、ここは三階だ。小動物は上って来られない。今のは……?
俺は廊下に出ても、用心をしながら堀田の横を歩いた。
「んじゃ、堀…、真衣は怖くて帰れなかったのか」
「うん……。一人で教室にいるのも怖いから、どうしようかなって思っていたら、……えっと、陽…樹君も残っていたから……。とにかくずっと残っていようって……」
学校を出ると、川沿いの土手を二人で歩く。聞いてみると、俺と真衣はそこそこ近い場所に住んでいた。俺らみたいな低能力者が居住エリアの高級住宅地に住める訳が無いんだから、よく考えれば当然だ。
あ、そうそう。俺達はお互いに下の名前で呼び合う事にした。俺はクラスの奴からはそう呼ばれているし、真衣は……苗字で呼ばれる事が多いから、……そっちの方が良いかなって俺が思ったんだ。
「さっきも言ったけど、あんまり当てにするなよな。何かあったら、俺を盾にして逃げろ。……それくらいしか役にたたねーから」
「盾? ……園山君の能力ってどんなのですか? ……聞いちゃ駄目ですか?」
「いや、俺は別に隠している訳じゃないし。それに、クラスの奴はみんな知ってると思うぞ、真衣以外はな。なんせ変わった能力で……って言うか、能力かどうかも怪しい…」
「きゃぁ!」
突然真衣は俺の腕に抱きついてきた。何かの羽ばたく音で宙に目をやると、真っ黒い蝙蝠がパタパタと音をさせて飛んで行った。
「……コウモリだって」
「えっ? ……あ、ごめんなさい」
真衣は、辺りが暗いと言うのに分かってしまうほど顔を赤くしている。
「この辺一杯いるぞ。それに、ここを毎日通って帰っているなら知っているだろ? もう少し早い時間から飛んでいるし」
「あ……うん。でも……今日は怖いのです。朝から……誰かに見られているような気がして……」
「見られている?」
俺は、さっきの教室で窓の外から中を覗いていた、何か、を思い出した。
俺達の家は、学校東側の川を上流に向かって三十分ほど歩いた場所にある。真衣から詳しい住所を聞くと、二人の家の間は走って五分くらいのはずだ。
土手を歩いていると言う事で田舎を想像するかもしれないが、東の果てとは言え、紛いなりにも東京特区の中だ。俺達の帰り道の途中、少し西に行くと結構な繁華街がある。そりゃ、昔は東京二十三区って言えば中々のもんだったらしいぜ。
……今の特区って呼ばれ方は、一般人からは恐怖の対象だけどな。




