第19話 「不穏な空気」
次の日、学校を休みたくてたまらなかったが、本日は水曜日のブルーDAYって事で、大事な投薬の日なので絶対に行かなくてはいけなかった。制服を貰いに繁華街に寄っていると投薬時間である昼休みに間に合わない恐れもあるので、俺は所々焦げた制服で真衣と一緒に登校した。
俺は教室に入ると机に顔をぺったりとつけて目をつぶる。相変わらず右腕は痛いし、体の節々もだるくてたまらない。俺の様子と姿を不思議に思ったのか、三戦姫が集まってきたようだ。
「陽樹、どうしたの? 服も焦げてるし……?」
「ちょっと……昨日の晩忙しくてな……」
「おい、遊びに忙しかったのか? 私を誘ってくれてもいいんだぞ、園山陽樹! 忙しいけど、たまに暇な時があるからなっ!」
「ああ、次は頼むわ」
「具体的には何をなさったのですか?」
「放火魔を捕まえておいた」
俺がそう言うと、しばらく黙ってた三人だったが、声をそろえて驚いた声を上げた。
「捕まえたって、どうやってっ!」
魅菜に胸ぐらを掴まれて体を引き起こされた時、俺はようやく目を開けた。そこにとぼけた声が聞こえてくる。
「聞いたぞ聞いたぞ、陽樹よぉ!」
三戦姫にびびっているのか、近づいて来ないが智也が俺に離れた所から声をかけてきた。
「何を聞いたんだよ?」
俺が聞き返すと、智也は挨拶の時のように「うおっほん」と咳払いをしてから言った。
「お前、昨日火事の現場から子供を助けたらしいなっ! 俺のアンテナがびんびんキャッチだぜっ!」
智也と俺の距離があったからか、その話が教室にいる全員に聞こえてしまったようだった。
「しかもお前、『名前? 名乗るほどの者じゃありません。アディオスっ!』って言って走り去ったらしいなっ! 渋すぎるよ!」
それは言ってないし、助けたのは知り合いなので名前なんて聞かれるはずがない。
俺は絶賛脚色中の智也の口を塞ぎに行きたかったが、なんせ動く気が湧かない。
「陽樹……あなた……すごいね。その後さらに放火魔捕まえたって事?」
俺の胸ぐらを相変わらず掴んでいる魅菜は目を丸くして俺を見ている。てっきり「調子のるなよ」とか言われるものだと思った俺は、照れて横を向いた。そこでは、ようやくギプスがとれたらしい久美が勇ましくガッツポーズをしている。
「放火魔は園山陽樹に取られたけど、それじゃぁ私は暴行魔を捕まえてぎったんぎったんのぼっこぼこにしてやんよぉ!」
久美は怪我をしていた方の腕を突き上げて大いにやる気だ。
そんな戦姫達に、俺は高級住宅地で見た防犯カメラをヒントに思いついた事を聞いてみる。
「でもさ、監視カメラが殆どない居住エリアや工業エリアで犯行を行う放火魔や殺人鬼はともかく、カメラから逃れにくい繁華街にいる暴行魔はどうして治安維持官に目を付けられないんだろうな?」
「暴行だから、いざこざ扱いでスルーされてるんじゃない? 骨折や打撲で重傷を負った人は多いけど、一応まだ殺人はしていないみたいだしさ。……意識が戻らない人はいるらしいけど」
「……そうか」
魅菜の言葉に頷く俺だが、……何かひっかかる。
「ところで陽樹さん、『解決書』は提出されたのですか?」
そう莉里に聞かれ、俺は聞いた事も無い単語に顔を上げる。
「何それ?」
「治安維持官がかかわってくるような揉め事を治めた場合、維持官から所定の用紙を貰って所属組織に提出するのですわ。私達なら高校へですけど」
「用紙? もらってないけど、提出したらどうなるんだ?」
すると、莉里の隣で久美が腰に手を当てながら俺を笑った。
「ばっかじゃねーの? 園山陽樹は能力が能力だから、異能力ランクは上がらないだろうけど毎日の支給額程度は増えるのによっ!」
「えっ……マジかよ……。もったいない事したな……」
あと千円でも増えたら大助かりなのに……と、うな垂れている俺を莉里は首を傾げながら言う。
「普通、必ず貰えるはずなんですけど……不思議ですわね。維持官の方、忘れていたのでしょうか……?」
残念そうな声を出してくれる莉里に、俺は気を取り直して言ってみせる。
「まあ、俺の手当がどうこうってのは犯罪事件に関係が無いから良いとして、維持官の奴等って放火魔や殺人鬼逮捕に動いてんのかね? そっちは結構人が死んでいる訳だしさ」
「この間、街の治安維持官を捕まえて聞いてみた所、別の組織が動いているって言っていましたわ」
「異能力者取締特殊部隊か?」
莉里はそこで顔を曇らせる。
「それが……教えてくれないどころか、こちらのIDを聞かれて職務質問されそうになったので、面倒でそこで逃げました」
治安維持官は異能力を持ってないからか、事細かに聞いてくる。そのねちっこさは誰もが嫌う所だ。
「うん、あるあるだな。んじゃ、残ってる犯罪者の二人、暴行魔も殺人鬼も最近はなりを潜めている事だし、しばらく稲垣さんの情報を待つかな」
俺は自分の携帯を開いてメールを確認する。最近稲垣さんから送られてくるメールは無く、俺が何度かメールしても返信は無い。忙しいだけならいいけど、何か事件に巻き込まれたんじゃないだろうか?
俺は繁華街でうろうろしていた稲垣さんが心配になり、その日の夕方に電話してみたが、何度呼び出し音を鳴らしても稲垣さんが電話を取る事は無かった。
◆ ◆ ◆
男は手のひらにある携帯を眺めていた。着信を知らせるランプが点滅を繰り返し、電話をかけてきている相手の名前と番号が表示されている。
「園山……陽樹……か」
男はつぶやいた後、白衣のポケットに携帯を入れた。振動機能は切られているようで、無音でそれは光を放ち続けた。
男は通路をまっすぐに進み、『所長室』と書かれた突き当たりの扉をノックして入った。中にいたスーツ姿の男は、パソコン画面をみながら言葉を発する。
「園山陽樹と零の魔女が共に行動をしている……と? これは間違いがないのか、稲垣」
稲垣と呼ばれた男は、所長と思われる男の横顔を見ながら頷く。
「折原が火災現場で見たそうです。本人から直接聞いたので間違いはありません」
「そこで……零の魔女が強力な力を行使したと?」
「折原は零の魔女の髪が銀色に変化をし、その後、突風を巻き起こしたように見えたと言っています」
「突風……。風の力……。異能力のデータベースに存在しない能力だ。もちろん、初代も持っていなかった」
「アパートを一つ半壊させたそうです。柱を折り、壁を割り、屋根を吹き飛ばした。とても人間の力だとは思えません」
「信じられんな。建物が老朽化していただけじゃないのか?」
小さく笑った所長に、稲垣は続けて言う。
「気になる事が。その零の魔女の肩にはトカゲをベースにした合成獣が常に乗っているとの事です。お心当たりはございませんか?」
そこでようやく所長は稲垣に顔を向けた。
「トカゲ? ……爬虫類はもう使われていないはずだ。それに、人と接触した合成獣は死ぬ。例外はまず無い。第一にだな、合成獣の力を得たお前のような人間でも、アパートを一瞬で壊す事は不可能だ」
「……確かに。考えすぎでした。その合成獣はどこかの機関が作った出来損ないなのかもしれませんね」
恐縮した稲垣の前で眉間にしわを寄せていた所長だったが、稲垣の目を見てゆっくりと口を開く。
「しかし……零の魔女は気になる。他の機関が気付く前に、是非うちで捕獲したい。……できるか?」
「今は園山陽樹が四六時中付き添っているとの諜報員からの情報ですが」
「陽樹が? …………邪魔するなら、殺しても構わん。とにかく零の魔女を連れてこい」
「分かりました。ところで沢村はいかがいたしましょうか。そろそろ怪我も癒えて衝動を抑えきれない頃かと……」
「自由にさせろ。発火能力者の進化した形だ。あれを量産出来たら局地戦で使える」
「はい」
数分後、所長室から稲垣が出てきた。彼は廊下を歩きながらポケットから携帯を取り出す。画面には、自分を心配する内容の陽樹からのメールが表示されていた。
「…………ふぅ」
稲垣がため息を付くと、突然手のひらにあった携帯が炎に包まれた。あっと言う間にプラスチックが溶け出し、画面が真っ黒になって表示されていた物が消えた。その燃えさかる携帯を手にしながら稲垣は歩いて行く。乾いた靴音が、誰もいない廊下にこだましていた。
◆ ◆ ◆
同時刻。陽樹のクラスメートである智也は、一人で土手を歩いて学校から帰っていた。出会った一学期の初めは常に自分と一緒に帰ってくれていた陽樹だったが、最近は真衣と帰るばかりで智也は放ったらかしだ。
「あーあ。俺と一緒に帰った方が楽しいと思うんだけどなぁ。女子のパンツの色教えてやれるし……」
水口智也は透視能力者。本人の調子が良かったり、対象者の超能力壁の性能が落ちていたりすればスカートの一枚くらい透かして中を見ることが出来る。その希少な能力でBクラスを獲得している彼だったが、今日は残念ながら透視はまだ成功していなかった。
[ガサガサ]
「んっ?」
河川敷の茂みから音が鳴り、何かが動いたように見えたのでそちらへ智也は顔を向ける。茂みからは茶色い尻尾のような物が飛び出ていて、それが右に左にゆっくりと動いていた。
「にゃぁー。猫だにゃぁー。捨てられたのかにゃぁー」
奇声を発しながら土手を駆け下り、河辺を茂みに向かって歩く。猫と思われる動物は智也の足音を聞いても逃げる気配は無かった。
「にゃにゃにゃにゃにゃぁ? にゃんだふるだにゃぁ」
完全に意思疎通出来ている……と信じて疑わない顔をした智也は、茂みをかき分けた。
「にゃぁ…………っ! ひぃ!」
智也は弾かれたように後ろに跳び、尻餅を付いた。そんな智也の前に、ゆっくりとそれは茂みから出てくる。
「なっ……き……合成獣っ!」
体は猫のようであったが、背中にはコウモリのような羽が生えていた。口は犬のように突き出し、大きな牙がのぞいている。
「よ……陽樹っ! たすけて……」
背中を見せて逃げ出した智也の首筋めがけて、それは飛びかかった。