第13話 「夜に舞う蛾」
「誰だっ!」
そいつらは思っていたよりずっと近くにいたようで、俺達のすぐ近くから声がした。莉里はすでに分かっていたようでそちらを見ている。俺も視線を向けると、作業機械の奥にロウソクの炎程度の弱い光を放つ電気ランプが見えた。それを囲んで数人の少年が座っているようだが、暗くて数は正確には分からなかった。
莉里は逃げる気が毛頭無いようなので、俺も腹をくくって奴らに聞く。
「聞きたい事があるんだけど、……この辺りに出没する殺人鬼について教えてくれない?」
莉里に恐れる気配が無いからか、殺人鬼と言う言葉が出たからか、少年達は慌てて立ち上がった様子だ。足に当たった空き缶の転がる軽い音が工場内に響いた。
光がほとんどないので少年たちの表情は伺えないが、どうやらその息遣いからやる気のようだ。もうこういう奴らは動物と一緒で、巣に近づいてきた奴に本能的に攻撃を仕掛けてくるのかもしれないな。
「陽樹さん、頑張ってください」
外からの街灯の光が差し込み、それに照らされている莉里の顔は完全に俺に期待のまなざしだ。
――莉里、少しは俺の話を聞いてくれ。
薄暗い中、少年達は俺に向かって半円を狭めてくる。そして、突如それは崩れて俺に襲い掛かってきた。
とりあえず俺は、最初に俺に向かって腕を伸ばしてきた奴の拳を避けて、カウンター気味に鼻にパンチを入れた。
「てめぇ!」
当然俺の一般人パンチでは異能力者は易々と沈黙しない。鼻を押さえながらよろめいたそいつだったが、その姿勢のまま俺の顔を睨みつけてくる。その瞳が輝いたように見えた瞬間……
「ぐっ!」
俺の顔が後ろに弾け飛ぶ。前からボーリングの玉でも投げつけられたかのようだ。それを見ている少年の目が笑ったように見えたが、俺はすぐさまそいつの腹に蹴りを入れる。
まるで一対多数の、ボーリングの玉を使ったドッチボールのようだった。俺は何発も玉をぶつけられたが、確実に一人ずつ倒していく。
「なんだこいつは……。どうして念動力弾が当たっても……平然としてんだよ……」
最後の一人になった奴は、俺の前で女のようにぺたんと座り込んで怯えている。俺は憮然とした表情でそいつに言った。
「平然としてねーよ。十分痛いんだよ」
ぶっ飛ばしたいが、最後の一人からは情報を聞き出さないといけない。そんな葛藤をしている時、俺の耳に風を切る音が聞こえた。
後ろを振り返ると、まだ他に残っていたらしい一人が鉄骨を振り下ろしてきていた。
あれを直接頭部で受けるのはさすがにまずい。俺は両腕を上げて頭を守る。
[ガツンッ!]
「…………?」
鉄骨を持った奴は、俺の一メートルも左の地面にそれを振り下ろしていた。衝撃で顔をしかめ、手から鉄骨を落とした。
即座に殴り飛ばすと、そいつは作業機械に顔をぶつけて地面に横たわった。
「なんだこいつ。ノーコンにも程があるぞ?」
しかし、どう考えても今のは変だ。目隠し無しのスイカ割りで、的を一メートルも外す奴がいるか? 頭か目がおかしいとしか……。待てよ、頭? まさか……
莉里の顔を見ると、控えめながらも笑っているようだ。
高能力精神感応能力者。そいつらは、相手の考えている事を読み取る(Read)だけでなく、書き込む事(Write)も可能だと言う。具体的には幻覚を見せたり、人を操ったり出来る奴もいるらしい。国が予知能力者と同様に重要視している異能力者だ。
まさか高校生、それも一年生にそれ程の力を持つ精神感応能力者がいるとは……。ちなみに成長させたクローン素体にコンピューターで保存された記憶などを書き込むのも精神感応能力者だと聞いている。
俺はもう向かってくる奴はいないか工場内を見回したが、地面にへたり込んでいる少年以外は戦闘不能のようだった。
俺はかがむと、その少年に目線を合わせる。
「んで結局、殺人鬼の事は知ってるのか? じゃなきゃ、無駄に俺もお前らも痛い思いしただけになるんだけどさぁ」
相変わらず少年は怯えた様子だったが、口を開く。
「な…なんでそんな事を……。俺達を殺人鬼に殺させる気かよ……」
「違うって。お前らには用が無かった。襲ってきたのはそっちだろ? 俺は、殺人鬼の情報を手に入れたいだけなんだよ」
「嘘つけ! 殺人鬼を追う奴なんているもんか! 治安維持官でもあるまいし!」
怯えているせいか会話がままならない。考えた末、俺はこいつが今言った言葉『治安維持官』から思いついた方向で話を進める事にした。
「……お前、大谷学園って知ってる?」
「この……東地区のトップ校だろ?」
「そう。俺が着ているのがその制服。俺達はそこのAランク能力者な訳。経験値増やすために殺人鬼を退治しに来たの。ドロップアウトしたお前らでも理解出来るだろ? 俺達は実績積んで、優良異能力者コースに進みたい訳だ」
話をスムーズに運ぶため、大幅に脚色を入れているのはご存じの通りだ。横目で莉里を見ると口に手を当てて笑いを堪えている。……ここが暗くて助かった。俺の顔はかなり色を帯びているはずだからな。
「え…Aランクか。やっぱりすげーな……。俺らの念動能力はまったく効かないし、わざと能力を使わず素手で俺達を倒したくらいだしな……」
……俺の武器は素手しかねーんだよ。それを知っている莉里は、もう俺に完全に背を向けて肩を震わせながら笑っている。
「分かったから、殺人鬼について知っている事だけを言ってくれ。嘘は駄目だぞ。何も知らなくても怒ったりしないから、小さな事でも良いから教えてくれ」
丁寧に言葉を選んだのが良かったのか、少年はやや落ち着いたように見えた。
「嘘はつかねーよ。殺人鬼には俺らもビビってる。いなくなってくれた方が助かる。せっかく良い遊び場があるってのに、こんな暗い中楽しまなければならないしな」
「……暗い中? もっと明りを持ってきたら良いんじゃないか?」
「それだよ」
少年は顔を上げて、俺の目をまっすぐに見た。
「奴は『蛾』だ。暗い場所には見向きもしない。明るい場所を歩いている奴を殺しに来る。だから俺達は暗い場所で酒を飲み、暗くて目立たない扉を通って中に入っている。ここを遊び場にしているのも、廃工場で人が来ないからってのもあるけど、暗いからってのもあるんだ」
「明るい場所で襲われる……か。なるほど。それで時間帯は?」
「決まって無いね。殺される時は殺される。もちろん、明るい場所で。それだけだ」
少年が言う事に矛盾は無いようだ。この時間、工業地帯が静まり返っているのも分かる。殺人鬼を恐れて作業員を早くに帰しているのだろう。明るい場所が好きなようだが、『蛾』と表現されるからには昼間に現れる訳ではない。
俺はこの工場の上部に取り付けてある窓を見上げる。見えるのは濃紺の空だ。奴は……今も工業エリアで獲物を探しているのだろうか。
「それでは陽樹さん。参りましょうか」
莉里はそんな事を言うと、入ってきた道を戻り出す。俺は少年を置いて慌てて後を追った。
「待てよ! 二人でやる気か?」
莉里は付いてきた俺を見ると、黙って首を縦に振った。
「無理だろ、相手は殺人鬼だぞ。暴行魔と同一人物かもしれないが、別かもしれない。別の奴なら、能力が分かっている暴行魔よりある意味危険だ」
「大丈夫です。敵の攻撃はこちらに当たりませんわ。故に、私達は負ける事はありません」
「あっ! まあ……そうかもしれないけどさぁ」
確かに、莉里の能力は先ほどの通りだ。しかも相手が複数よりも、単独の方が能力を使いやすいときている。一対一では無敵とも言える能力かもしれない。とりあえず、今日の所は相手が単独犯か複数犯か確認出来れば良いかと俺は考え、殺人鬼を探しに工業エリアをうろつく事に同意をした。
工場を出た俺達は明るそうな場所を探した。すると、恐らく港に向かって伸びているのだろう道路に取り付けられている街灯が、この辺りでは一番目立っているようだ。
「あれだな」
「あれですわね」
そこに向かおうとする前に、莉里はなぜか別の方向に視線を向けた。
「見つからないようにしているため、暗いところを選んでいるみたいですわね。あちらは心配なさそうですね」
「……? だからさっきからお前は一体何を…」
「行きましょう」
俺の質問に答えることなく、莉里は繁華街の方から伸びてきている片側二車線道路へ歩いて行く。
その道路は、商業エリアや居住エリアにあるそれよりは暗いイメージだ。この辺りは通行人も少ないし、車通りも殆ど無い。車道を照らす明かりも必要最小限のもので十分と言う考えなのだろう。しかし、それでも道路沿いは工業エリアの他の場所よりは格段に明るい。照らされた道路は、海まで続く白い帯のようだ。
「それじゃあ、カップルの振りをして歩きましょうか」
莉里は俺の腕を両手で包み込んで、寄り添ってきた。
「それなら、俺が一人で囮になるから莉里は隠れてバックアップしてくれ。二人より一人の方が襲われやすいだろ?」
「いいえ。この犯人は、複数だろうがお構いなしに襲います。だから通り魔では無く『殺人鬼』って呼ばれているのですわ」
「……なるほど。内気な男じゃないらしいな」
二人で少し歩いてみたが、車は一台も通らない。遠くからかすかに工場が稼働しているような音が聞こえてくるが、この辺りの工場は軒並み作業を終了しているようだった。
「恋人らしさが足りないのかも。もう少し……演出してみますか?」
俺の腕を抱きしめている莉里の体に力がこもった気がした。
「恋人らしさ? 襲われているのは場所が関係あるのだろうけど、ここで働いている作業者達ばかりだろ? カップルの振りとか本当に必要なのか?」
「私は精神感応能力者ですわ。信じなさい」
そう言うと、莉里は背伸びをして俺に顔を近づけてくる。
「ちょっ……、なんで目を閉じてるんだ?」
「良いから陽樹さんも……」
[ガサガサ]
「――っ!」
後ろで草木が揺れ動くような音がした。振り返った俺は、工場地帯に等間隔で植えられている茂みに目を凝らす。今はどれも動いてはいなかった。
「風ですわ。行きましょう」
「か…風? 今の音が?」
俺は莉里に腕を引っ張られて前に進む。莉里にしては不用心な言葉に聞こえたが、精神感応能力者が言うなら人の気配は無いのだろう。