じゃあ逆に、敢えて、異世界で冷やし中華はじめました。
ここ、剣も魔法もある異世界アルガルデートでも、変わらないことがある。
食材だ。
小麦粉はある。野菜もある。ハーブもあれば、多種多様でキュートな果実たちにも、森に行けば出会えるのだ。ついでにキュートな魔物たちにも出会えるので、ここに採取に行くよりは市場で買ったほうがいいと思うけどね。
だがしかし、魔物という人類の発展を阻害する生命の存在と、魔法という科学技術の発展を阻害する技術の存在により、この世界の文化水準は低い。
せいぜい、地球史でいう中世クラスだろうか。
ともかく、貴族やら騎士やら平民やらが、今日も僕の店前に仲良く並んでいる。
うちの店のポリシーである。たとえどんな立場の人だろうと、どれだけ偉い人だろうと、僕の店の前で等しく並んでもらう。
……まあ、この国の貴族はほんわかしているので問題は特に無かったけれど。
いい国だ。戦争もしないし、僕にはぴったりだと思う。
なんて、つらつらと考えていると、時計が九時を示していた。
僕は慌てて立ち上がる。
開店時間だ。
● ● ●
僕がこの世界に来たのは、僕が高校三年生になった直後だったろうか。
水洗トイレのレバーを押したら、ぐるぐる回る水と一緒に世界が歪んでいって、気付いたらこの世界の草原に落ちていた。
そこからの僕の冒険譚は割愛する。戦闘シーンは皆無だから、聞いても楽しくないだろうし。
というのも、僕は魔法が使えないからだ。そもそも魔力を保有していないので、当たり前だけれど――ともあれ、そんな僕が生き残ったのは僥倖を通り越して奇跡だろうと思っている。
あるいは、単に「運が良かった」なんて言葉であらわしてもいい。
ともかく、現に生きてこうしているのだから、詳しくは語らないけれど、僕はアイリーと出会い、旅をして、ときには喧嘩をしたり、仲間を作ったり、仲間と別れたりしながら――この街、王都にたどり着いた。
僕はアイリーにプロポーズして、この山と海が見える街で、結婚した。
そして、小さな店を持った。
総合料理店『フォー・アイリー』は、彼女が「あなたの料理をみんなに食べてもらいたい」と言ってくれたから出来た店なのだ。
もともと、前の世界では飲食店で働いていたから、その経験を生かして、旅の間は仲間の胃袋を管理していた。
けれど、文化が未発達なこの世界では、僕の料理は――あるいは、調理方法は、かなり物珍しく映るらしく……絶賛された。それはもう、作るたびに大盛況だった。
だからこそ、アイリーは一緒に旅をしてくれたんだろうけど。料理要員として、戦闘に参加できない僕は――自分で言うのもなんだけれど、陰ながら活躍した。
話は変わるけれど、本当にこの世界の食文化はひどい。
まず、パンが固い。むしろクッキーだ。どうやら発酵の概念や酵母菌というものは無いらしい。
だから、定住できるようになって、僕が最初にしたことはパン作り――イースト菌は手に入りづらいので、天然酵母を作ったのだ。
天然酵母とは、まさしく天然の酵母菌。僕はレーズンで作った。というか、レーズンから作った。
市場でブドウを買って、それを密閉容器で水に漬け込む。膨らむ。水を足す。膨らむ……を繰り返すと、酵母の完成だ。
開店してすぐ、それでパンを焼いて売ってみた。
バカ売れした。
そりゃそうだ。
天然酵母が生み出すほのかな甘みとふっくらした柔らかな食感、そして魔術師アイリーが組み上げた大かまどによる焼き上げ。
不味いわけが無い。
次はサラダメニューやハンバーグ、カレーといった定番メニューを作った。
これも売れた。
小さい店がパンクするかと思ったので、頑張って稼いで店舗を増築した。
基本は店内で召し上がっていただいているけれど、要望に応えてテイクアウトメニューも増やした。
そうして、僕らの店は繁盛して、国中から人が集まる店になった。王様に料理を献上することになったときも、僕らはスタンスを変えなかった。
だからといって、なんの危機感も無く王様が店前で並ぶのはどうかと思ったけどね……。
ま、ともかく。
王国で一番――いや、大陸で一番の料理店である、とまで言われる我らが『フォー・アイリー』だけど、その分、肩にかかる期待も大きい。
日々、味の向上を目指すのは当然のこととして、いつも望まれているのだ。
新メニューを。
● ● ●
髭面で恰幅のいい貴族――お得意様のウォールド氏だ。
毎日とまではいかないけれど、三日に一度は店にいらっしゃる。
公務に携わる貴族がそんなんでいいのか、と思ったけれど、どうやら王立研究所の研究員で、ある程度の研究結果さえ出せれば自由らしい。
なるほど、インテリの方でしたか。
「ま、なかなか進まないんだけどね。研究」
「おい」
愉快なおっさんである。それでいいのか王立研究所。
「ところで、店主。夏になってから、なんだか食欲がないんだ」
「ウォールドさん、それ大盛りですよ」
『フォー・アイリー』特性オムライス(大盛り)である。
「普段ならおかわりできてるだろ」
大盛り二皿も食えんのあんたぐらいだよ。
「食いすぎとかじゃないですか?」
「いや、夏ばてだよ、夏ばて」
じゃあ、まず痩せろよ。とは、さすがにお客さまなのでいわない。
「ダイエットしたらどうですか?」
遠まわしに伝えるだけだ。
「うーん、研究所でその類を研究している人もいたんだけどね。曰く、『究極的に、痩せるのに必要なのは知識や努力じゃない。根性だ』とか言い出して、研究所を追い出されたんだ」
「あー……。まあ、間違っちゃいない気もしますけど、研究職がそれ言っちゃあねえ……」
どんな知識、理論を講じようと、結局のところダイエットは継続的な方法以外ありえないし、どんな手法であれ、同じ行動を習慣づけて続けるのは苦になる。
「だからだね、店主。アッサリ、かつボリュームがあって、夏の暑い日でも食べやすいメニューを考案してほしいんだ」
「無茶苦茶言いやがりますね、ウォールドさん」
「それだけ店主に期待してるんだよ、私はね」
にこり、とウォールド氏は微笑んだ。
ぶん殴りたくなった。
● ● ●
夏のメニュー。
量があって、夏ばての人でも食べやすくて――となると、やっぱりあれか。
冷やし中華か。
定休日である毎週水曜日。この日はもっぱら、新メニューの開発や一週間の料理の仕込みに当てられる。
「ダーリン、冷やし中華ってどんな料理だ?」
我が最愛の女性、アイリー(妻)が、その可愛らしい整った小顔をかしげた。厨房なので、その長い綺麗な金髪はアップにしてまとめてもらっている。
「例の、異世界料理か?」
「うん。麺類に属する料理だよ、ハニー」
「麺類……。ああ、以前言っていた『小麦粉を細長く練った料理』か。でも、断念したとか言っていなかったか?」
「うん、まあ、あのときは旅の途中だったし……。今なら、たぶんできると思うんだ」
そう。
実のところ――中華麺は、それほど複雑な工程を要さずに作れる。
「まずはこれ。トレノ山脈で取れる苦い水」
ビンに入った透明の水。王都から百キロほど南、隣国との国境線にある山の水は、苦くてなんの用途もないと言われている……の、だが。
苦い、ということはアルカリ性水溶液だってことだ。
アイリーが嫌な顔をした。
「あの山脈の洞窟ダンジョンは嫌なところだった。敵は強いわ、水はまずいわで……。ダーリンの料理が美味しくなかったら、絶対耐えられなかったな」
「ありがとう、ハニー」
思わず、懐かしい冒険の日々を思い出す。いや、四年前だからそこまで懐かしいわけでもないけどさ。
「……で、ダーリン。その水、どうするんだ?」
「これで小麦粉を練るんだ。中華麺――この世界ではヌードルって名前が定着すると思ってるけど、美味しいよ」
そう。
僕が以前、ヌードル作成を断念した最大の理由が、かん水の有無だった。
かん水とはアルカリ塩水溶液のことで、これで以って小麦粉を練ると、中華麺特有の黄色い麺が出来上がる。
このかん水というやつがネックで、地球では人工的にアルカリを加えて工業的に作られていたのだけれど、この世界でそれを望むのは無理だ。
けど、ふと思い出してこの水を手に入れてみると……うん。
かん水っぽい。
「……苦くないか?」
彼女は恐々(こわごわ)と聞いてきた。アイリー、実は苦いのや辛いのが大の苦手である。
「大丈夫。好き嫌いはあるけど、苦くはならないよ」
苦笑する。なんて可愛いんだ、僕の嫁は。
「冷やし中華って言うのは、どういう由来の料理なんだ? ほら、言っていただろう。『料理にはすべからく出自があり、歴史がある』――と」
「うん、そういやそんなこと言ったね……。中華ってのは、僕のいた世界にある国の名前なんだ」
「なるほど。冷やした中華という国の料理だから、冷やし中華なのか」
「と、思われがちなんだけどね」
苦笑する。
「まあ、中華っぽい料理ってことで、そう、呼ばれてるだけで、実は違うんだよね」
冷やし中華――実は、和製料理である。
中国の冷麺とは別物で、最初に冷やし中華という呼称を用いたのは仙台の料理店だったとか。
ちなみにモチーフはざるそばらしい。
「へえ……。ところで、ざるそばってなんだ?」
「……そういや、こっちにそば粉って無いんだよなあ」
そば粉どころか、そばの実すら見つけていない。
たぶん、どこかにはあるんだろうけど……。
とりあえず、アイリーには麺類だと説明しておく。
「じゃ、作ってみようか」
「うむ」
● ● ●
麺自体は、それなりに満足のいくものができた。
形はちょっと歪だけれど、慣れればもっと整ってくるはず。
「次は具とスープだね」
「まあ、作るだけで先週の水曜日が潰れたのは想定外だったがな」
「うん。夏もまだ本番じゃないとはいえ、来週までには店頭に並べたいよね……」
ちなみに、ウォールド氏は研究が佳境だとかで、最近は毎日店に来ている。普通逆だろう、と思ったのだけれど、どうやらこの店で食いだめして、それ以外の時間はほとんど研究所に篭っているのだとか。
加えて、夏ばても酷くなってきたらしく、あまり食べないで(それでも二食分くらいは食べてくださるんだけど)研究所に帰っていく。
最近、頬がこけ始めているし、ビア樽のような身体がスマートになってきているので、思わぬことがダイエットになっているようだ。大丈夫か、あの人。
「というわけで、ウォールド氏のためにも、店の発展のためにも、食文化のさらなる向上のためにも……早く完成させようか」
「うむ。あの痩せ方は見ていて怖くなるからな……」
「だよね……」
しばらく二人で、すっかり印象の変わってしまったウォールド氏を偲んだ。いや、死んでないけどね。
さて、気を取り直して。
「具は、きゅうり、鶏のささみを蒸したもの、プチトマト、錦糸卵。スープは、とりあえずはオーソドックスな酢と醤油と魚介系の出汁でいこうと思う」
「なんだ。プチトマト以外、全部細切りにしてあるな」
「うん。これをね、こうして……」
ちょいちょい、と茹で麺を盛った丸皿の上で箸を動かす。
「盛り付けてやると、ほら」
「ほう。これはまた綺麗な……」
放射線状に、きゅうり、ささみ、錦糸卵を盛り付け、その中央にプチトマトを乗せてあるだけの簡素なものだけれど……。この世界の人から見れば、料理に『美』を求めること自体、珍妙なのだ。
「でしょ。で、スープをかける」
透明感のあるスープは、黒と金の中間のような色をしている。薄く油の浮いたそれを、盛り付けた具を崩さないように注ぐ。
これで完成。
「……じゃ、試食をよろしく」
「うむ。任された」
アイリーは箸を手にとって――余談だけれど、この世界では箸も僕の発明品で、王都を中心に広まっている――麺をつまんで――。
「……どうしたの?」
麺をつまんで、彼女は固まってしまった。どうしたのだろうか。まさか、僕の冷やし中華に不備が――いや、そんなはずはない。麺はもちろん、具、スープに至るまで全て、吟味しつくしてあるのだ。
「なあ、ダーリン。これ、食べにくくないか?」
「……え?」
彼女は困ったような顔で僕を見つめ、僕は彼女の言葉に困惑した。
● ● ●
この世界には、僕が中華麺を作るまで麺類が存在しなかった。
パスタらしきものはあったけれど、それはあくまで小麦粉、塩、水を練った丸いプレート状のものであって、細長い糸状の食材は存在しなかったのだ。
だからこそ、この世界の人たちには――食べ物を啜るという発想が、存在しないのだ。
「うむうむ。慣れれば、問題ないな。貴族連中は、この食べ方を意地汚いというかもしれんが……」
ずるずる、とアイリーは麺を啜っている。
先ほど、僕が手本として冷やし中華を啜って見せたので、彼女も麺類の食べ方を理解したようだった。
まあスパゲティだけは啜っちゃダメなんだけどね。
「で、ハニー。味はどうかな?」
食べ方は、冷やし中華を店に出せばそのうちみんな慣れるだろうけど、問題は店に出せるかどうか。
つまり味だ。
アイリーは、また一口、麺を啜る。
少し思案顔で、顎を動かし、嚥下する。
「ふむ……。全体的にあっさりしていて、実に食べやすい。『冷やし中華』の名の示すとおり、冷たいのもポイントだな。これはどうやって冷やしてるんだ?」
「裏の井戸の地下水で冷やしてる。……やっぱり、冷蔵庫が欲しいよねえ」
上下水道はあるけれど、この世界に電気はまだないのだ。だから、裏の井戸は重宝している。
「例の『異世界の機械』か。私も魔法で代用できないか考えているが、やはり永続的な術式を構築するのは難しいな。……うむ、このスープ。酸味と甘味、塩味が同居していて、これだけだと少し味が濃いが、麺と合わせると丁度いいな。胡椒の刺激もまた、舌を喜ばせてくれて……。啜る、という食べ方もあわさってなんとも箸が進む。蒸し鶏のささみもしっかりとした歯ごたえと、鶏の旨味がぎゅっと詰まっていて実に美味い」
「ささみは鶏の中でも特に脂肪分の少ない部分だからね」
さらに、蒸すことによって脂を落としてあるので、鶏特有のしつこさを感じずに食べることができる。
「きゅうりはしゃくしゃくとしていて……これもまた、井戸水で冷やしてあったんだな。細切りにしてあるがゆえ、麺と一緒に啜り、その食感の違いを楽しめる。錦糸卵の柔らかい食感とほのかな甘味もアクセントで、これまた美味い」
「でしょ? なかなかの自信作なんだ」
「さすがダーリン。愛してる」
「僕もだよ、ハニー」
軽く微笑みあう。
アイリーはプチトマト(ヘタは取ってある)を口に運んだ。
「うん。酸味と甘味が、不思議だがスープに合っているし、いい口直しだ。口の中がすっきりして、また麺に箸が伸びるな……」
アイリーは言葉通り、麺を啜り、具を食べ……。
あっという間に、皿は空になった。
満足そうにおなかを撫でるアイリーが可愛かったので、つい、僕もにやけてしまう。
「……いやあ、美味かった。麺、というのは意外と腹にくるのだな。満腹だ。見た目もきゅうりの緑、ささみの白、トマトの赤、卵の黄色、そしてスープの黒と色鮮やかで美しかった……。また食べたいな、ぜひとも」
「そう言ってもらえるだけで、僕は嬉しいよ」
アイリーに向かって微笑むと、彼女は立ち上がって僕の首に腕を回した。
苦笑しながら、彼女は呟く。
「本当に、一途な男だな、ダーリン」
「君もだろ、ハニー」
彼女の唇は、さわやかなスープの味がした。
● ● ●
翌日。
ウォールド氏がやってきた。
……お前、誰だよ。ってくらい、痩せている。
いつもは丁寧に整えられている、彼自慢の髭もだいぶ乱れており……ワイルドで、なんというか、この姿だとそうとうモテそうなんだけど。
「やあ、店主。見ての通り、かなりみすぼらしくなっちゃったよ」
いや、以前よりもカッコいいんだけど。
「いらっしゃいませ。……新メニュー、作りましたけど。どうします?」
「それがね、全然食欲がなくてだね」
苦笑しつつ、スムージーを貰おうかと言うウォールド氏を席に案内しながら、念のためもう一度聞いてみる。
「以前から話していた、麺類という奴ですが」
「なにをしているんだ、店主。早く持ってきたまえ」
姿は変われど、中身は変わらずというやつか。
ぶん殴りたくなった。
我慢した。
僕えらい。
「では、しばしお待ちください」
厨房に戻る。
そこでせわしなく働く厨房スタッフは、僕が直々に訓練した十五人のみ。フロアスタッフは二十人。
総支配人として、僕は普段はフロアでお客さまの対応をしているのだけれど……。
新メニューを作るときと、お偉いさまが来るときのみ、僕が包丁を振るうことにしている。
「さて……」
手を洗い、食材を見る。青々としたきゅうり、新鮮な卵、解体されたばかりの鶏肉……そして、自信作の中華麺。
ぶるり、と身体が震える。
一発目だ。
新作は、一皿目を食べたお客さまの反応でその後が決まる。
喜んでいただけたのならば、その料理は流行る。新メニューは定番メニューへと変化する。
けれど、そうでなければ――残念ながら、そのメニューは封印され、日の目を見ることはないだろう。
一度つまずいたメニューは、同じ店ではもう出せない。
そんな、はしたないことはできない。
だから――
「――持てる全てを、ぶつけよう」
全身全霊の一皿を。
魅せつけよう。
● ● ●
三年前のこのごろだったか。私が痩せたのは。
なんとなく、ぼんやりと机の上の書類を眺める。
あの頃はひどい倦怠感と小食で、私の体重は減る一方だった。なぜか結婚の申し込みは増えたのだが――なぜだろうな。
ともかく、私は痩せた。最初は体調不良で、だったが。
しかし、あの店の料理が私の体調を改善しただけでなく、私の体型までも改善してしまった。
今では運動に関する研究も始め、実際に実験し始めたせいもあってか、筋肉もかなり付きはじめている。
そう、筋肉だ。
机の上の書類は、その研究に関するものなのだが――魔法的要因による身体強化と、その弊害。実際の運動による筋肉との差異など、こと細やかに記してある。
「……身体強化魔法は、時間制限こそあれど、戦争では必須スキルになりつつある。けれど、実際に筋肉の無いものがこの魔法を使うと、数日は筋肉痛で身動きできなくなる。これは長期戦では圧倒的不利になりえるし……。ううむ、やはり魔法職でも使える筋力増強魔法の開発は急務か……? いや、むしろ戦士職に魔法を覚えさせれば……無理だ。兵士全てを魔法剣士にするなんて、何年かければ実現できる――」
ぐぅ。
腹の音が鳴った。
「――とりあえず、腹ごしらえだな」
腹が減っては戦はできぬ、とは、店主の言葉だったか。
研究所を出て、大通りを西へ進む。
今日も相変わらず盛況なあの店は、一年前、とうとう隣の街にも支店を出したそうだ。
店主に聞いた話では、隣国からも出店オファーが来ているとか……。
十年後には、大陸全土に店を出しそうな勢いだ。店主は店を広げすぎることを嫌がっていたので、たぶんそれなりの範囲で止めるだろうけど。
店の客の回転は速い。高級志向の客や、比較的安いメニューを好む客などでフロアを分けているためなのだが、このシステムを考えた店主はやはり只者ではない。
この国の技術や思想を完全に超越した頭脳を持ち、特に料理に関してはこの世界の百年先を行っているだろう。
そのぐらい、彼の料理は美味しいのだ。
国王さまですら、毎週末にはこの店に来るのだから――。
「……おや。もうそんな季節か」
店の入り口の横に、垂れ幕が懸かっている。
奥さんの直筆であろう、達筆で書かれたそれは、私の思い出の料理。
そうだ、今日はこれにしよう。
あの爽やかな料理を啜れば、なにか解決策が見つかるかもしれない。
垂れ幕に書かれた一文は、簡潔でわかりやすく、どこか美しさを感じさせる文章だった。
――《冷やし中華はじめました。》――。
私は、店の入り口をくぐる。