聖女召喚の代償。もしくは。
これもまた、ひとつの聖女譚。
(申し訳ございません)
アンナマリーは光る召喚魔法陣を見ながら心の中で謝る。
もうどうしようもないのだ。この世界は滅びに瀕していた。世界中に蔓延る瘴気のせいで。
瘴気は昔から存在はしていた。けれどたいていは小規模で、神官の祈りで霧散する程度のものでしかなかった為に、誰もが甘く見ていたのだ。まさかここ十年ほどで一挙に範囲を広げ、しかも神官の手に負えなくなるとは。
瘴気に侵されると、なにもかもが腐り果てた。森も畑も。人家も砦も。動物、そしてついには人にまで被害は拡大してしまう。生きながらに腐り落ちるその姿はまさに地獄絵。広がるばかりの瘴気に、世界は絶望した。
最後の頼みと神に縋ったが、ここまで範囲が広がると、もう神ですらどうしようもないと神託が降りる。
しかし。
絶望の最中、神託を受けた大神官が希望を灯した。
「神は告げられました。この世界に属するものは神であっても瘴気を消せはしないと。けれど、異なる世界から招く聖女であれば。界と界を渡る間に得られる力で、この世界の瘴気を払えるであろうと。そのための召喚方法を教えてくださったのです!」
滅びが間近に迫った世界では、聖女召喚に向けて急いで準備が進められた。神から教わった召喚のための魔法陣に、国内最高の魔法使いたちが力を注いでいく。限界まで力で満たされた陣は金色に輝き、そして——。
「え、ここどこ? さっきまで学校にいたのに?」
黒髪に見慣れぬ服装の少女がひとり、その中心に立っていた。
アンナマリーはこの国の王女である。成人するまでにはまだ数年あるが、王女としての強い責任感を持っていた。国のため、世界のため。ひいては民のため。自らが犠牲になってでも守れるのならば受け入れよう、そう常より思っていた。
(異世界からの召喚は誘拐と同じ。家族からも世界からも引き離されて、見知らぬ場所に無理やり連れてこられた挙句に助けを請われる。本来であれば何の責任もない方なのに。帰る術とてなく。異郷で生き、死ぬまで過ごすことになるなんて。わたくしであれば覚悟はあった。けれどおそらく聖女様にそれを求めるのはどれほど酷なことか)
おそらくは年の頃はアンナマリーと変わらないであろう聖女に、せめて全力でお仕えしよう。そしてこの世界を——。
そこまで考えていて、ようやくアンナマリーは異変に気が付いた。先ほどまで聖女を召喚するために輝いていた召喚の魔法陣。それとまったく同じものがアンナマリーの足元に現れ光りだしたのだ。
「えっ……!?」
気が付けば、アンナマリーがいたのはまったく見知らぬ場所であった。とてつもない数の人間が溢れ、建物らしきものが空すら隠すほどに聳え立っている。馬のない何やら乗り物らしきものが途轍もない速度で行き来する。何もかもが知らないものばかりで満たされていた。夢というには実体があり、色も香りも現実としてアンナマリーを直撃する。先ほどまでいた神殿とあまりにも違う状況と情報の氾濫に、アンナマリーは意識を失うしかなかった。
「名前は? 歳は?」
「アンナマリー。十二歳です」
「国籍、あー。国はどこ?」
「トルブロンです」
「知らんなあ。おい、そんな国あったか?」
「ググっても出てこないな。なんか間違って覚えてるとか?」
「だが日本語を話せている。インバウンドって奴か? 日本贔屓の」
言葉はなんとか分かった。しかし知らない単語が多すぎる。服装も見慣れなければ、連れてこられた建物の様式さえ違和感しかない。目の前の人物たちがしきりと目をやる手のひらと同じ大きさの板であるとか、光を放つ平面板であるとか。いや、そもそも部屋の中が明るすぎる。天井にあるのは太陽ではないし、シャンデリアですらないのに。
「持ち物は?」
「身に付けているものだけですね。宝石らしきアクセサリーはあっても、土台に刻印がないからイミテーションかも」
「服装もコスプレぽいしな。だがオタクにしちゃ落ち着いているし」
後から知ったが、色々話を聞いてきたのは「警察官」という人たちらしい。治安を守る職ということだから騎士のようなものかもしれない。
次に、白い上着を着ている人の前に連れていかれ、今度は身体を調べられた。女性が対応してくれた上に、変な意図もなさそうだったので黙って従ったが。血も取られたし、暗くてうるさいものの中にも入れられ、あちこち測られたりもした。
「特別に何か病気があるということもなし。怪我をしているところもない。内臓もきれいなもんだ。あえて言うならこれは心療内科の担当では?」
謎の白と黒の模様が描かれた紙や、またしても光る平面板を見ながら彼らは相談する。彼らは医者らしかった。知っている医者のように脈を測ったり、魔法を使うこともなかったが。
なぜか言葉は通じても、アンナマリーにはここがどこか分からないままだ。与えられた水さえ、初めて見る容器に入っている。食べ物も与えられたが、味は良いがなじみのあるものは一つもなかった。
国籍不明、身元不明。身分証もなし。読み書きもできない。日常で使う道具すら、何もかもを知らない。アンナマリーは未成年の記憶喪失者として、やがて親のいない子供を集めた施設に入れられることになった。
人種が違うのが明確であったため、最初は遠巻きにしていた子供たちも、アンナマリーが何も知らないと分かると、それぞれが自分の知っていることを、寄って集って教えてくれるようになった。
「杏奈」
そう呼ばれることも、自分の身の回りのことは自分ですることにも、与えられた環境にも、アンナマリーは慣れていった。
「杏奈ちゃん、これ小学校どうしたもんかな? おそらく年齢的には小学六年くらいなんだろうけど」
「頭は良いですよ。教えたことはすぐ覚えますし。読み書きも計算ももう大丈夫です」
「今から編入させても中途半端か。いっそ学校は中学から行かせようか」
院長先生がアンナマリーのことで真剣に悩んでくれる。院長先生も、面倒を見てくれる先生と呼ばれる職員さんたちも良いひとばかりだ。何より、何も持たず何も知らないアンナマリーに、衣食住を与えてくれている。
(この国の制度はずいぶんと進んでいるのですね)
皇族はいるらしいが実権がなく。王族も貴族もいない世界。宗教はあるが神官はおらず、知っている神の名もない。魔法もない。その代わり不思議で便利な道具に溢れた世界。てれび。ぱそこん。すまふぉ。れいぞうこ。えあこん。でんしれんじ。そうじき。衛生的であることと、食べるものに拘る国民性。概ね、善人が多い。教育にかける年数の多さにも驚いた。識字率は異常なほど高く、娯楽の多さも多様。
だがそれが日常ならば慣れるしかない。そしてアンナマリーは自分でも驚くほど速く環境に適応した。
ずっと付きまとう「どうして?」「何故?」に少しだけ答えが出たのは、同じ児童養護施設で暮らす年上の少女が「中学校の制服」というのを着ているのを見た時だった。
(聖女様が着ておられたものに似ている……)
聖女の姿はほとんど一瞬しか見ていないが、それでも自分たちと違っていたので印象に残ったのだ。
(そういえば、聖女様も黒髪だった)
共に暮らす人々が当たり前になって、自分以外は黒髪ばかりなのに違和感を覚えなくなって。だからすぐには分からなかった。
(ああ。この世界から聖女様を奪ったから、代わりにわたくしが連れてこられたのね)
その考えはアンナマリーの中ですとんと納得された。一方的に奪ったのではない。交換されたのだと。
それにもう、アンナマリーは杏奈としてここで生きていくしかないのだ。帰る術はない。
(そう。聖女様と同じ。ならばわたくしは受け入れるしかないわ)
やがて異世界トルブロン国の王女だったアンナマリーはいなくなり、日本人の少女、金髪の武藤杏奈として、やがて中学の制服に身を包むことになる。
それは等価交換だった。異世界の神と地球の神との間の。
神とは、いや神すら、その世界に所属し、世界の法則に縛られる。
トルブロン国のあった世界で神が瘴気をどうにもできなかったように。
そしてまだアンナマリーは気付かない。この魔法のない地球で、界を渡った彼女だけが持つことになった特別な力を。
そも、神がその力を欲して今回の聖女交換に応じたことを。
アンナマリーもまた、地球に召喚された聖女であることを。
地球の、どの神にも不可能な奇跡を期待されていることも。
それをまだ誰も知らない。
このネタができたとき。等価交換とか質量保存の法則とか、なんかそんなものが浮かびました。
とりあえず、温暖化どうにかしてくれませんか?(by地球の神)
ちまちまオゾン層を厚くしていければどうかなあ。
ファンタジーだけれども、ちょっとSFぽいかもしれない。
活動報告はたぶん夜になります。




