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誤って消したデータは、バックアップからリストアする  作者: なおパパ


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第一部:バックアップからのリストア

お立ち寄り頂き、ありがとうございます。


第一部:バックアップからのリストア


「誤って消したデータは、バックアップからリストアする」


それが俺、織田健児おだけんじの仕事における鉄則だ。

穏和株式会社のシステム部門で「システム運用」を担当している。地味な仕事だ。毎日、決められた手順書に従い、画面に流れるログを監視し、アラートが出れば即座に復旧を試みる。

障害時間はそのまま数千万、数億円の損失に直結する。責任は重い。

幸いなことに、二重三重の予防策を講じているおかげで、これまでにデータの完全消失という「最悪の事態」を招いたことは一度もなかった。


勤務は三交代制の二十四時間体制だ。

変則的な生活リズムも、慣れてしまえば悪くない。世間が働いている平日に、空いている街を歩くのは密かな愉しみでもあった。

(もっとも、そのせいで学生時代の友人たちとはすっかり疎遠になってしまったが……)


俺は夜勤が好きだ。

稀に発生するバッチ処理の不具合も、マニュアル通りに捌けば概ね片付く。静かなサーバー室で淡々とコンソールに向き合う時間は、ある種の安らぎさえあった。

問題は、日勤の方だ。今日もまた、デスクの電話がけたたましく鳴る。


「はい、情報管理課の織田です」

『あ、織田さん! 総務の木下です! よかったぁ、居てくれて!』

「……木下さん。そのテンションってことは、またですか?」

『あ、分かっちゃいました? 流石です! はい、また消しちゃいましたぁ!』

「『また』じゃなくて、今回はどこのデータなんです?」

『えへっ。OB商会の取引記録、フォルダごと全部……』

「……全部か。分かった。三十分待ってください。すぐに戻すから」

『きゃー! 織田さん素敵! 頼りにしてます!』


電話を切る。なぜ彼女はこうも頻繁にデータを消せるのか。ある種の才能かもしれない。

彼女は俺の婚約者だ。彼女との結婚後のあれこれ消される生活を想像し、少し憂鬱になる。。

だが、嘆いても始まらない。ファイル削除程度なら、昨日のフルバックアップからリストアすれば済む話だ。データベースそのものを破壊されるよりは、数万倍マシだと自分に言い聞かせる。


こういう時に頼りになるのが、自作のファイル比較ツール、通称『COMP君』だ。

バックアップデータと現状を突合し、変更箇所や欠損をカラー表示で一発回答してくれる。


【OB商会:フォルダ欠落(赤表示)】


「よし、特定完了」


サクッとリカバリ作業を終える。中身は昨日の時点の状態だが、まだ午前中だ。午前中の入力分については木下さんに頑張ってもらうしかない。


日中、こうした「人為的ミス」による緊急依頼は数十件にのぼる。

本来はワークフローで申請し、上長承認を経てから作業するのが正規のルールだが、現場の「今すぐ助けて!」という悲鳴にそんな悠長なことは言ってられない。全員が「至急」「緊急」「最優先」を枕詞に付けてくる現状には辟易するが、彼らの焦りも理解できるから、つい手が出てしまう。


やはり、夜勤の方がいい。

パトライトが回るまでの待機時間は、最高の読書タイムになる。最近のブームはもっぱら、ネットで読めるライトノベルだ。

異世界転生モノもいいが、特に好みなのは「タイムリープ」系だ。

過去に戻って人生をやり直す、いわゆる「死に戻り」。自分のミスも他人の過ちも、バックアップからリストアするように書き換えられたら――そんな妄想が、仕事の疲れを僅かに癒してくれた。


――明けて日曜日

休日は趣味の「古物商巡り」に出かける。

整然としたデジタルの世界に浸っている反動か、埃を被ったガラクタの中から掘り出し物を見つける瞬間には、何物にも代えがたい高揚感があった。


いつもの馴染みの店を覗くが、今日はこれといった獲物がない。

店を出ようとしたその時、棚の隅にある「それ」が目に留まった。


(……タマゴ型の、キッチンタイマー?)


普通、この手の安物は白いプラスチック製と相場が決まっている。

だが、そのタイマーは違った。陶磁器のようでもあり、未知の金属のようでもある。鈍く、神々しいまでの黒光りを放っていた。


(キッチンタイマーに、これほどの高級感が必要か……?)


妙に惹かれた。

メモリは最大六十分。手に取ってみると、見た目に反してずっしりと重い。

価格は驚くほど手頃だった。ちょうど自宅のタイマーが壊れていたこともあり、俺は導かれるようにそれをレジへと運んだ。


この時の俺は、まだ知る由もなかった。

この、何気ない日用品が、俺の人生を文字通り書き換えてしまうことになるなんて。


その日の夕方、俺はさっそく戦利品であるタマゴタイマーを試すことにした。

メニューは至ってシンプル。沸騰したお湯をカップ麺に注ぎ、タイマーのダイヤルを「三分」に合わせて、机に置く。


カチ、カチ、カチ……。


小気味よい機械音が響く。その瞬間だった。


【世界から「色」が消えた】


「……え?」

思わず声が漏れる。だが、その声さえも自分のものではないような、ひどく解像度の低い音に聞こえた。

視界に入るすべてが白黒の階調に染まっている。窓から差し込む夕日も、カップ麺のパッケージも、すべてが古いモノクロ写真のようだ。


心臓の鼓動が早まる。脳がエラーを吐き出し、現実を拒絶している。

呆然と立ち尽くしていると、唐突にその時は訪れた。


――チーン!


甲高いベルの音とともに、視界に濁流のような色彩が戻ってくる。

「……なんだ、今の」

目薬を差し、何度も瞬きをする。疲労による一時的な視覚障害だろうか。それとも、この奇妙なタイマーが見せた幻覚か。

俺は釈然としない思いを抱えたまま、伸びきったカップ麺を胃に流し込み、その日は早めに泥のように眠った。


数日後。

仕事帰りの俺は、台所でうっかり愛用の皿を落としてしまった。

お袋から一人暮らしの祝いに贈られた、五枚一組の皿。その中の一枚が、無残にも床で砕け散った。

「あちゃ……やってしまったか」

破片を拾い集めながら、自分自身の不注意を呪う。大切なものほど、失うのは一瞬だ。


翌日の昼。気を取り直して再びカップ麺を作ろうとお湯を沸かす。

例のタマゴタイマーを手に取り、三分にセットしてテーブルに置いた。


またしても、世界は白黒に反転した。

二度目となれば、少しは冷静になれる。俺は慎重に立ち上がり、モノクロの世界を観察した。

すると、灰色一色の景色の中に、一点だけ鮮やかな**「色」**を持っている物体が目に付いた。


(……あ、昨日割った皿だ)


棚にあるはずの皿が、なぜかシンクの脇に置かれている。しかも、それだけが本来の色彩を放っているのだ。

吸い寄せられるように手に取る。指先に伝わる陶磁器の質感は本物だ。

「なぜ、これだけ色が……?」

その疑問の答えが出る前に、ベルが鳴った。


――チーン!


景色に色が戻る。

驚いたことに、俺の手には「割れていない皿」が一枚握られていた。

食器棚を確認すると、そこには四枚の皿。俺の手にある一枚を合わせれば、五枚。

ゴミ箱を漁ってみたが、昨日捨てたはずの破片は影も形も消えていた。


(これ……まさか「リストア」したのか?)


システムエンジニアとしての直感が告げていた。

このタイマーが作動している間、俺は「過去」にアクセスしている。

そして、その過去の世界において、現在とデータの差異デフが生じているものだけが「カラー」で表示され、干渉が可能になるのではないか。

まるで、ファイルの比較システム『COMP君』の機能そのものではないか。


さらなる確信を得るため、俺は実験を繰り返した。

わかったことはいくつかある。


タイマーが動いている間だけ、過去の同時刻にタイムスリップする。


景色はモノクロだが、「現在と状態が異なるもの」だけはカラーで表示される。


カラーの物体に触れれば、それを「現在」へ持ち帰る(上書きする)ことができる。


一度使うと、一定の「リキャストタイム(再使用までの待機時間)」が必要らしい。


「これがあれば、どんなミスもなかったことにできる……」

万能感に包まれた俺は、つい調子に乗ってしまった。それが、取り返しのつかない「バグ」を生むとも知らずに。


ある夜勤明けの朝。

気だるい疲れの中で、俺は何の気なしにタマゴタイマーを回し、白黒の世界へと足を踏み入れた。

すれ違う通勤風景。すべてがモノクロで静かに時間が流れる様な不思議な感覚。

アパートの入り口で、大家さんの飼い犬が俺に向かってしっぽを振っていた

人懐っこいワンコだ。

ワンコは、元気に駆け寄って来て、俺の足に抱き着いた。

「おう、ワンコ!相変わらず可愛いな」

俺はその頭を撫で、温かい毛並みの感触を確かめる。


その時、ポケットの中でタイマーが鳴った。



数日後。

アパートの前で会った大家さんは、奇妙な話を俺に聞かせてくれた。


「織田さん、聞いてくださいよ。うちの子、数日前に交通事故に遭って、一度はお医者さんに『もうダメだ』って言われたんです。葬儀の準備まで考えていたのに、朝方、庭で元気に吠えてるじゃありませんか。お医者さんも『奇跡だ』って腰を抜かしてましたよ」


大家さんは満面の笑みで語る。だが、俺の背筋には冷たいものが走った。


あの時、白黒の世界で俺が触れたワンコは、何色だった?もしかして、カラーだったか?

本来なら「事故で死ぬ運命」だったのではないか?

俺が過去に干渉し、彼を「撫でる」という行為で確定させたことで、死の運命というデータが、生存というデータに上書きされてしまった。


救ったはずだ。命を助けたはずだ。

だが、システムの鉄則が頭をよぎる。

――「バックアップからの復元」には、必ず、元のデータを消去するというプロセスが伴う。


「……対価、か」


アパートの大家さんから、死んだはずのワンコが生き返った「奇跡」を聞かされた時、俺の背中を冷たい汗が伝った。

ラノベなら、命を弄んだ報いが来るはずだ。だが、数日待っても、俺の身に不幸は起きなかった。

むしろ、わかったことがある。白黒の世界でカラーに見えるもの、それは――


「過去に存在し、現在いまには存在しないデータ」


欠損したファイルと同じだ。タマゴタイマーは、24時間前のバックアップから、現在の空っぽのセクタ(空間)へデータを流し込む「復元ツール」なのだ。

対価などいらない。ただ、欠落を埋めているだけなのだから。


そう自分に言い聞かせていた一ヶ月後、その電話は鳴った。


――クリティカル・エラー


「……木下順子が、交通事故?」


知らない番号からの着信。病院の救急窓口だという男の声が、俺の現実を粉々に砕いた。

搬送中に彼女が俺の番号を告げたのだという。

病院へ駆けつけたとき、手術室のランプは点灯したままだった。十時間に及ぶ死闘の末、告げられたのは「死亡」という無機質なログだった。


ベッドに横たわる順子は、ただ眠っているようにしか見えなかった。

数時間前まで笑い合っていた記憶が、今の目の前の現実と衝突コンフリクトを起こし、脳がオーバーヒートしそうになる。

嘘だと言ってくれ。誰かこのバグを修正してくれ。


(……待てよ。修正パッチなら、持っているじゃないか)


俺は病院を飛び出した。

悲しみに暮れる暇はない。24時間という「保持期限リテンション」が過ぎる前に、彼女をリストアしなければならない。


――強制ロールバック

深夜、俺は合鍵を使って彼女のアパートへ侵入した。

部屋にはまだ彼女の香水の匂いが残っている。だが、オーナーはもういない。

24時間前、彼女は間違いなくこの部屋で寛いでいたはずだ。


俺は祈るような心地で、タマゴタイマーのダイヤルを回した。


【世界が「白黒」になった】


視界から色が消え、静寂が支配する。

そして、目の前のソファに、鮮やかな**「カラー」の順子**が現れた。

テレビを見ながら、あくびをしている。生きている。血の通った、本物の彼女だ。


「順子……っ!」

「えっ、うわっ! びっくりした、健児くん!? いつ入ってきたの」


俺はなりふり構わず、白黒の世界で彼女を強く抱きしめた。

驚き、戸惑う彼女の体温が腕に伝わる。

その瞬間――チーン!


世界に色彩が奔流となって戻ってきた。

「健児くん、どうしたの? 落ち着いて……」

腕の中には、顔を赤らめた順子がいる。俺の頬を涙が伝った。


病院に確認の電話を入れると、事務的な声が返ってきた。

「木下順子さんという方が搬送された記録はありません。お掛け間違いでは?」


勝利だ。

運命という名のシステムに、俺は勝ったのだ。

消去されたはずの彼女のデータは、完全にリストアされた。


――正義という名の暴走

俺は震える手で、タマゴタイマーを見つめた。

これは神の道具だ。いや、それ以上のものだ。

俺にこの力が与えられたのは、きっと意味がある。


「この力で、手が届く限りの悲しみを消去デリートしなければ」


それが俺に課せられた、エンジニアとしての使命だ。正義だ。

救えるはずのデータを放置するのは、運用の怠慢でしかない。


それからの俺は、毎晩のように街へ出た。

一番の人混みの中でタイマーを回し、白黒の世界を歩き回る。

そこで見つけた「カラー」の存在――今この瞬間に消えてしまったペット、子供、老人――を見つけては、片っ端から触れて歩いた。


「大丈夫だ。俺が今、元に戻してやる」


俺は悦びに浸っていた。


この時はまだ、

俺が一人「リストア」するたびに、誰かが絶望の淵に叩き落とされていることなど、想像もしていなかった。



続けて、二部もお読みいただければ幸いです。

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