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第3話「世達ちゃんと、賞味期限ギリギリの戦争」

好代はぱんでむに来て五日目の朝、着替えながら少し考えた。



仕事、というものをしたことがない。

学校には行っている。でもアルバイトも委員会活動も、何も。十七年間、基本的に「においを嗅いでいる」だけだった。



ぱんでむの「仕事」は、バーガーを食べて能力を使うことだ。それは今まで経験したことのある活動の中で、間違いなく一番楽しいカテゴリーに入る。



今日も摩天ちゃんとの訓練の予定がある。午後は秩序ちゃんとのスキル確認。夕方は自由時間で、好代はまだ食べていない種類のバーガーを試す予定だった。



充実している。



そう思いながらフロアに出ると、リビング・オブ・カオスで世達ちゃんが机に突っ伏していた。



始末書の山がある。始末書の隙間から、脱力した腕が一本出ている。



「……おはようございます」



返事がない。



「世達さん、寝てますか」



突っ伏したまま、世達ちゃんの指が一本だけ立った。「いる」という意思表示らしい。



郷愁ちゃんが横から「昨日から始末書を書き続けてる」という顔をした。言葉はないが、目がそう言っていた。



「……大丈夫ですか」



世達ちゃんがゆっくり顔を上げた。目の下のクマが昨日よりひどい。



「新人ちゃん……今日、ちょっと手伝ってほしいことがあって……」



「何ですか」



「緊急案件なんだけど……聞いてもらえる……?」



世達ちゃんの声は静かで、疲れていた。でも「お願いします」という響きが確かにあった。



「聞きます」



世達ちゃんが、ゆっくり立ち上がった。





第一章「賞味期限ギリギリ問題と、世達ちゃん」



◆世達ちゃんの話



会議室——正確には、ぱんでむの奥にある小部屋——に移動した。



世達ちゃんが資料を広げた。資料というか、大量のメモ用紙に走り書きしたもので、半分くらいは「はあ」とか「つらい」とかが混じっていた。



「えーと……ぱんでむには、世界線仕分けセンターっていうのがあって」と世達ちゃんが言った。「要は、色々な世界線から届いたバーガーを管理して処理する部署なんだけど」



「はい」



「そこに昨日、一括で大量のバーガーが届いて……」世達ちゃんがため息をついた。「賞味期限が今日の夜中零時なの」



「……今日中に食べないといけないんですか」



「そう。ぱんでむのバーガーってさ、賞味期限が切れると、そのバーガーが持ってる世界線の情報が固定されずに漏れ出しちゃうの。でかいやつが漏れると施設全体に影響が出るし、最悪……まあ、色々良くないことが起きる」



「色々良くないこと、というのは」



「まあ……本当に色々。今は考えなくていいけど」世達ちゃんが首を振った。「とにかく今日中に食べきらないといけない。でも量が多すぎて私一人じゃ無理で……」



好代は状況を理解した。



「他のクルーは?」



「他のクルーは担当外のバーガーを食べると大変なことになるから頼めない。私の担当は「デッドライン系」バーガーだから、担当外でも期限ギリギリになれば、デッドライン系扱いでまあ食べられる。その場合、元のバーガーの能力は使えないけどね」



「他に担当外のバーガーを食べられるのが、私だ」



「そう……」と世達ちゃんが申し訳なさそうな顔をした。「本当にごめんなさい。こんなお願い、おかしいよね。新人なのに」



「何個あるんですか」



「……全部で四十七個」



好代は少し考えた。

四十七個。今まで一日に最高で七種類食べた。単純に計算すると、だいたい七倍だ。



「今は何時ですか」



「朝の八時過ぎ」



「夜中零時まで、約十六時間あります」



好代は暗算した。十六時間で四十七個。一時間に三個のペースで食べ続ければ理論上は可能だ。



「……種類は何系が多いですか」



「えっ」世達ちゃんが目を丸くした。「もう引き受けてくれる気なの?」



「できるかどうかを判断するために、まず内容を聞いています」





世達ちゃんがしばらくぽかんとしてから、ほろりと少し涙目になった。



「……ありがとう。まず一覧表を出すね」



◆四十七種類のバーガー一覧



世達ちゃんが一覧表を出した。



四十七種類のバーガー。それぞれ世界線の名前と、大まかな能力分類が書いてある。



好代は一覧をゆっくり眺めた。



時間制御系が八個。感覚拡張系が六個。物質変換系が五個。精神影響系が九個。戦闘強化系が七個。環境制御系が七個。そして「分類不明」と書かれたものが五個。



「分類不明って何ですか」



「……まだ食べた人がいないやつ。未知の世界線から来たバーガーで、どういう効果が出るかわからない」



「それは私が食べます」



「……本当に大丈夫?何が出るかわかんないよ?」



「吸収しないので。何が出ても、それが頭に入ってくるだけです」



世達ちゃんがまたしばらくぽかんとした。



「……すごい子だ……」と呟いた。



それは好代には聞こえたが、聞こえなかったふりをした。



「摩天さんとの訓練が今日もある予定ですが」



「あっ、そっか……摩天ちゃんに言わないと」



「私から言います」



「いいの?」



「別に難しい話じゃないので」



世達ちゃんが少し安心した顔をした。目のクマは相変わらずひどいが、さっきより少し表情が柔らかくなっていた。





第二章「摩天さんへの報告と、訓練の変更」



好代は摩天ちゃんの部屋に向かった。



廊下を歩いて、「ギルド支部」と書かれた扉の前でノックした。



少しして扉が開いた。摩天ちゃんが出てきた。今日も制服に動きやすそうな格好で、目が鋭い。



「おはようございます」

「おはよう」

「今日の訓練の時間なんですが、少し変更をお願いしたいことがあって」



摩天ちゃんが少し目を細めた。



「聞こう」



「世達さんから緊急の依頼が来ました。今日の夜中までに四十七個のバーガーを食べきらないといけないそうです。世達さんの担当外のものは私が食べます」



「……四十七個?」

「はい」

「今日中に?」

「夜中零時です」



摩天ちゃんがしばらく好代を見た。何かを考えている顔だった。



「……私も一緒にいよう」



「え?」



「状況によっては止める必要があるかもしれない。未知のバーガーもあるなら、なおさら」



「……でも、訓練が」

「今日の訓練は現場で行おう。バーガーを大量に食べた状態で動けるかどうかの確認は、訓練として有意義」



好代はしばらく摩天ちゃんを見た。



「止めるために」と「訓練として有意義」が同時に本当のことなんだろうな、と好代は思った。どちらかだけではなく、両方。それが摩天ちゃんのやり方なんだと思った。



「……ありがとうございます。助かります」



「始める時間は?」

「世達さんが準備ができたら。たぶん一時間以内に始められます」

「わかった。準備して向かう」



摩天ちゃんが扉を閉めた。

好代は廊下を歩いて、小さく息をついた。

今日は長い一日になりそうだ。





第三章「四十七個、始まる」



◆開始。午前九時十五分



世界線仕分けセンターは、ぱんでむの地下一階にある部屋だった。



扉を開けると、広い。倉庫みたいな構造で、棚が並んでいる。棚の上に、それぞれラベルの貼られた包み紙のバーガーが整然と並んでいた。全部で四十七個。それが部屋の隅にある棚に収まっている。



においがすごかった。

四十七種類の世界線のにおいが、全部同時にしている。甘いにおい、スパイシーなにおい、金属的なにおい、懐かしいにおい、知らない感触のにおい。全部混ざって、部屋に入った瞬間から鼻が情報でいっぱいになった。



「すごいにおいだ……」と好代は思わず言った。



「慣れてないと酔うこともあるよ」と世達ちゃんが言った。「大丈夫?」

「大丈夫です。むしろ好きです、このにおい」

「……すごいな……」



摩天ちゃんは部屋の隅に椅子を持ってきて座った。腕を組んで、こちらを観察する体制だ。止める準備と、記録する準備を同時にしている。



「順番はどうしますか」と好代は世達ちゃんに聞いた。



「私は「デッドライン系」から食べる。あなたはそれ以外を。でも、無理しなくていいから。途中でしんどくなったら言って」

「しんどくなることはたぶんないですが、お腹がいっぱいになる限界はあります」

「それが問題なんだよね……。どのくらいで満腹になる?」

「今まで一日最高で七個です。四十七個は未知の領域です」



世達ちゃんが「うっ」という顔をした。



「でも試してみます。始めましょう」



好代は最初のバーガーを取った。ラベルには「感覚拡張系・聴覚特化」と書いてある。



においを嗅いだ。音のにおいがする、という妙な感触。



「いただきます」



食べた。



情報が流れ込んだ。今度は音が中心だ。どこかの世界線の、豊かな音環境。その世界の生き物が使う音の帯域が全部わかる。超音波。低周波。通常の人間の可聴域をはるかに超えた周波数帯。それが「知識」として頭に入った。



体は変わらない。でも聴覚の知識が増えた。



「一個目、問題なしです」



「……早い」と世達ちゃんが呟いた。



◆午前中の記録



二個目は視覚拡張系。紫外線と赤外線が見える知識が入った。

三個目は触覚拡張系。素材の分子構造を皮膚で感知できる知識が入った。

四個目は時間知覚系。自分の主観時間を最大千倍まで引き伸ばして動ける知識が入った。

五個目は風の制御系。気流を局所的に操作できる知識が入った。



五個連続で食べたところで、好代は少し止まった。



頭の中が、にぎやかだ。

五種類の知識が全部そこにある。音の知識。視覚の知識。触覚の知識。時間の知識。風の知識。それぞれが本棚の別の段に並んでいる感じで、混ざっていない。でも棚の数が増えると、引き出す時に少しだけ時間がかかる気がする。



「……どうなってる?」と摩天ちゃんが静かに聞いた。



「今のところ問題ないです。情報が増えてますが、整理されてます。棚が増えてく感じで」

「棚が多くなったら、取り出しにくくなる可能性がある」

「そうかもしれません。でも今はまだ大丈夫です」



摩天ちゃんがメモを取った。



世達ちゃんが黙々と食べている。デッドライン系のバーガーを食べると、世達ちゃんの担当スキル「期限ギリギリの力の爆発」が強化される。見た目はほとんど変わらないが、世達ちゃんの動きが速くなって、テキパキしてくる。それとも、単純に「仕事モード」に入るからだろうか。



「世達さんの能力って、ぱんでむの業務とどう関係するんですか」と好代は聞いた。



「……私の担当世界線は、締め切りや期限のある世界なの。その「ギリギリの力」を圧縮したバーガーが私の担当。食べると、実際に期限ギリギリの状態の集中力と判断速度が出せる」

「それ、今発動してますか」

「してる。じゃないと四十七個処理なんて無理」



世達ちゃんが七個目を食べながら、好代のペースを確認した。



「……新人ちゃん、本当に大丈夫?無理してない?」

「大丈夫です。お腹の状態でいえば、まだ半分くらいに余裕があります」

「……え、もう五個食べてるのに?」

「バーガー、好きなので」



世達ちゃんが何か言いかけてやめた。



◆正午すぎ。分類不明、最初の一個



十二時を過ぎたころ、好代はすでに十九個食べていた。世達ちゃんは十一個。合計三十個。残りは十七個。



好代は少し休憩した。水を飲んで、頭の中の棚を整理する感覚をやった。



頭の中に、十九種類の知識がある。

感覚拡張の系統が多い。音、視覚、触覚、嗅覚、電磁波の感知。時間系が三つ。物質変換系が四つ。戦闘強化系が二つ。環境制御が五つ。それぞれが混在せず、存在している。



ただ、組み合わせが面白くなってきていた。

電磁波の感知知識と風の制御知識を同時に引き出すと、気流の流れを電気的な変化として読める。音の知識と触覚の知識を組み合わせると、振動を皮膚でも「聞く」ことができる。



さっき試してみた。床に手を当てたら、建物全体の振動が「わかった」。どこかの階で誰かが歩いている。別の場所で何かが動いている。それが全部、手のひらに入ってきた。



摩天ちゃんに報告すると、少しの間があってから「想定より早い」と言われた。



休憩が終わって、残りの棚を見た。分類不明が五個、まだそのまま残っている。



「分類不明を始めます」と好代は言った。



世達ちゃんが少し心配そうな顔をした。摩天ちゃんが少し前に出た。



分類不明の一個目。ラベルには「世界線コード:UNK-0017」とだけ書いてある。包み紙はくすんだ銀色で、他のものとにおいが違う。金属と草と何か別のもの——表現できないにおい。



好代はにおいを吸い込んだ。

何かが「違う」と思った。これまでのバーガーは全部、「どこかの世界線」の感触がした。でもこれは——どこにもない感触のにおいがする。



「食べます」



一口かじった。



情報が来た。



でも今回は、いつもと違った。



映像じゃない。音でもない。感触でもない。

なんというか——「問い」だった。

何かが頭の中に「なぜ食べるのか」と聞いてきた気がした。



好代は少し止まった。



「なぜ食べるのか」——それは好代にとって、十七年間ずっとそこにあった問いだ。



食べられないのに、なぜ好きでいるのか。

なぜ諦めなかったのか。

なぜにおいだけ嗅ぎ続けたのか。



好代は、答えた。頭の中で。



好きだから。それだけだ。



情報が——流れ込んだ。



今回の「知識」は他と違った。スキル的な能力じゃない。何かの世界線の「本質」みたいなもの。その世界線では、「欲する」という行為そのものが力を持っていた。求めること、望むこと、それ自体が現実に少しずつ干渉できる世界線の知識が、頭に入ってきた。



吸収はしない。体は変わらない。でも「知っている」。



「……これ、少し変なやつでした」と好代は言った。



「どんな感じだった?」と世達ちゃんが聞いた。

「問いかけてくるやつでした。答えたら知識が来ました」

「問いかけ……?」

「食べた人の「理由」を確認するバーガーかもしれないです。答えられない人は食べられないかも」



世達ちゃんが「ほえ……」と言った。

摩天ちゃんが「記録」と短く言って、メモを取った。




──────────────────

◇クルー視点モノローグ——世達



新人ちゃんを見ていると、なんか……泣きそうになる。



私は何年もここで働いてるけど、バーガーをあんなに楽しそうに食べる人、見たことない。



私が「デッドライン系」を食べるのは、仕事だから。期限が迫ってるから。追い詰められているから。楽しいとか、好きとかじゃない。必要だから食べている。



でも新人ちゃんは——



楽しいから食べてる。



十七年間、ずっと食べたかったものを、今やっと食べられている。



その顔が、なんか……眩しい。



私、最後にバーガーがおいしいって思ったのいつだろう。



……ちゃんと思い出せない。

──────────────────




第四章「午後の激闘と、世達ちゃんのこと」



◆午後三時。残り十個



午後三時には、四十七個のうち三十七個を片づけていた。



好代が二十二個。世達ちゃんが十五個。



好代は少し限界を感じ始めていた。お腹がいっぱいというよりも、頭の中の「棚」が多くなりすぎて、少し整理が大変になっている感触があった。



二十二種類の知識が同時にある。全部、別々の棚に入っている。でも棚と棚の間の「通路」が少し混雑している気がする。一個の知識を引き出そうとすると、隣の棚の知識がちらつく。



「少し、頭の整理が大変になってきました」と好代は摩天ちゃんに報告した。



「止めるか」

「いえ、でも残り十個は続けます。ただ、今後大量に食べる時は事前に整理の訓練が必要かもしれません」

「どんな整理をする」

「……棚と棚の間を広げる、というか……知識同士が干渉しないように、意識的に仕切る感じです。今やってみてます」



摩天ちゃんが少し考えた。



「次の訓練のメニューに加える」



好代はうなずいて、次のバーガーを手に取った。



残り十個のうち、分類不明がまだ四個ある。



好代は分類不明の二個目を食べた。今度の「問い」は「一番大切なものは何か」だった。好代はしばらく考えて、「においです」と答えた。すると少し沈黙があって、「それは正しいが不完全だ」という感触が来た。好代は少し考えて「においと、それを好きでい続けること」と言い直した。すると知識が来た。



「継続する意志」を物理的な力に変換できる世界線の知識だった。



三個目の分類不明は「問い」がなかった。ただ静かで、どこか遠い世界線のにおいがした。食べると、何も入ってこなかった。でも何か——沈黙の意味みたいなものが、一瞬だけ頭に触れた気がした。そして消えた。



四個目の分類不明は、食べた瞬間に好代は思わず「あ」と声を出した。



「……どうした?」と摩天ちゃんが素早く立った。



「これ——においバーガーかもしれないです」



「においバーガー?」

「においを操作できる世界線の知識が入ってきました。においを生成したり、消したり、変化させたり——その世界線では、においが言語に相当する機能を持っていたみたいで」



好代は少し感動していた。

においを使える。においが力になる。

十七年間、においだけが唯一の接点だったものが、今——使える武器になるかもしれない知識として入ってきた。



「……これ、すごく好きです」



摩天ちゃんが好代の顔を見た。何かを確認するように、少しだけ長く見た。



「……顔が、さっきと違う」

「え、どんな顔ですか」

「……ちゃんと、好きな顔」



それ以上摩天ちゃんは言わなかった。好代も聞かなかった。



◆午後六時。三十九個目、世達ちゃんが倒れる



六時ごろ、世達ちゃんが少し静かになった。



好代が気づいたのは、世達ちゃんが残り三つ目の「デッドライン系」を食べた後、急にテーブルに手をついたからだ。



「世達さん?」



「……大丈夫。少し……力が出すぎてる」



世達ちゃんの「デッドライン系」のスキルは、食べるほど「ギリギリの集中力」が高まる。でも——食べすぎると、「ギリギリ」が「限界超え」になる。



「止まった方がいいですか」



「……でも、まだ残ってる。私が食べないと、あと二個……」



世達ちゃんが顔を上げた。目が赤い。疲れているのか、集中しすぎているのか。



「私がやります」と好代は言った。



「でも、あなたももう——」

「確認したいことがあります。秩序さんに確認してから」



好代はすぐに秩序ちゃんを呼んだ。秩序ちゃんが現れ。状況を見て、目が少し細くなった。



「……好代さんが「デッドライン系」を食べた場合の想定は、していませんでした」と秩序ちゃんが言った。

「吸収しないので、他と同じ挙動になると思います。ただ、「ギリギリの力の爆発」の知識が入った場合、動けますか」

「試したことがないのでわかりません。ただ——」と秩序ちゃんが少し考えた。「好代さんの場合、スキルが「知識」として入るので、「ギリギリ」の感覚そのものは入ってこないかもしれません。限界を超えた際の肉体への圧力ではなく、「どう動けば効率が最高になるか」の知識として変換されて来る可能性があります」

「つまり、暴走は起きない?」

「可能性として。ただし保証はできません」



好代は摩天ちゃんを見た。



「……私が見届けよう」と摩天ちゃんが言った。



それだけで十分だった。



「やります」と好代は言った。



世達ちゃんが「ごめんなさい」と言った。



「謝らなくていい。面白いから」



世達ちゃんが少し笑った。疲れた笑顔だったが、笑顔だった。



◆デッドライン系、摂食



デッドライン系のバーガーは、包み紙が少し違った。他のものより少し古い感じがして、包み紙に時計のマークが印刷されている。においはコーヒーに似た、濃くて苦いにおいに、何か締め切り直前の緊張感みたいなものが混じっていた。



好代は一口かじった。



情報が来た。



予想通り、「ギリギリの恐怖」みたいなものは来なかった。代わりに——



「最後の一分で全部をやりきるための動き方」の知識が入ってきた。



どこかの世界線で、時間が極度に制限された中で生き残った生き物たちが培った、「効率の極限」みたいなもの。一動作で複数の目的を達成する動き。優先順位の瞬時決定。エネルギー消費の最小化。それが全部、知識として入ってきた。



好代は二個のデッドライン系を連続で食べた。



頭の中が少し、変わった。

「棚の通路が混雑していた」問題が、少し解消された気がした。デッドライン系の「効率の知識」が、他の知識を整理する手伝いをしているみたいに感じた。



「……整理されました」と好代は言った。



「整理?」と秩序ちゃんが反応した。

「頭の中の知識の棚の整理が、さっきより楽になりました。デッドライン系の知識が、他の知識を効率よく配置する手伝いをしてる感じで」



秩序ちゃんがメモをとった。めずらしく少しだけ早いペースで。



「……それは想定外の副作用です。良い意味で」

「今後、大量のバーガーを食べる前にデッドライン系を一個食べておくといいかもしれません」

「……記録しておきます」



世達ちゃんが休憩椅子に座ってこちらを見ていた。目がまた少し赤い。今度は疲れのためだけじゃないかもしれない、と好代は思った。




──────────────────

◇クルー視点モノローグ——摩天



今日一日、観察し続けた。



二十二個食べた段階で「整理が大変になった」と自己報告した。きちんと自分の限界を把握しながら進んでいる。無謀ではなく、度胸がある。違いがわかっている。



分類不明の四個目で「顔が変わった」。



においのバーガーが入ってきた時の顔が——私はうまく言葉にできない。「嬉しい」とか「喜んでいる」だけじゃない。もっと根っこのところで、何かと再会したような顔だった。



十七年間、においだけ嗅いでいた人間が、においを力として使える知識を得た瞬間の顔。



私は強い。それは事実だ。でも——あの顔は、私には出せないかもしれない。



力があることと、何かを本当に好きであることは、別のことだ。



……それを今日、少し、理解した。

──────────────────




第五章「ゴール、そして世達ちゃんの話」



◆午後十時。最後の二個



夜の十時、残りは二個になっていた。


好代が二十八個。世達ちゃんが十七個。

合計四十五個。



好代は少し疲れを感じていた。体よりも、頭の中の整理作業が続いていて、それが少し眠い感じをもたらしていた。でも不快ではない。むしろ、充実した疲れだ。



頭の中に、二十八種類の知識がある。

デッドライン系の知識のおかげで、棚の整理は思ったよりうまくいっている。それぞれの知識が干渉せず、でも呼び出せばすぐ来る。



残り二個は、どちらも普通の「感覚系」だった。最後は無難なもので終わらせる配慮を、世達ちゃんがしてくれていたことに好代は気づいた。



好代が四十六個目を食べ終えた時、

世達ちゃんが最後の一個を食べた。



静かになった。



部屋の棚が空になっていた。



「……終わった」と世達ちゃんがため息をついた。



四十七個。全部処理できた。夜中零時まで二時間ある。



「お疲れ様でした」と好代は言った。



「……ほんとうにありがとう」と世達ちゃんが言った。声がしみじみしていた。「新人ちゃんがいなかったら、今日どうなってたかわからない」



「私はバーガーが食べたかっただけです」



「そう言ってくれると助かる……でも、ほんとうにありがとう」



摩天ちゃんが椅子から立った。今日ずっと、観察と記録を続けていた摩天ちゃんが、初めて立ち上がった。



「お疲れ様でした。二人とも」



それだけ言って、摩天ちゃんがドアを開けた。行くかと思ったら、入り口で少し立ち止まった。



「……世達」



「うん?」



「さっき、新人が「デッドライン系」を食べた。整理に使えると言っていた。次の訓練で試してみる」



「……それ、私の能力が役に立ったってこと?」

「そう」



世達ちゃんがしばらく黙った。



「……始末書、もう少し頑張れる気がしてきた」



摩天ちゃんがかすかにうなずいて、出ていった。



◆片づけの時間



二人で空になった棚を片づけながら、世達ちゃんが少し話してくれた。



「私ね、最初からここにいるわけじゃないの」と世達ちゃんが言った。



「どこから来たんですか」



「普通の世界から。ある日気づいたら、ここにいた。それ以来、ずっとここで働いてる」



「それは……戻りたくないですか」



世達ちゃんが少し考えた。



「……最初はそう思ってた。でも今は——まあ、ここもそんなに悪くないかな、って。仕事は大変だけど」



好代は棚を拭きながら聞いた。



「始末書は何をしたんですか」



「……うっかり、世界線の処理の順番を間違えて。本来なら別の仕方で終わるはずだった世界線が、ちょっと違う終わり方をしちゃって」



「違う終わり方、というのは」



「……その世界線の人たちが、本来より少し悲しい終わり方になっちゃった。ほんの少しだけど。それが……三千枚分、に相当するみたい」



好代は棚を拭く手を止めた。



世達ちゃんの声は、淡々としていた。でも淡々と言えるようになるまでに、時間がかかったことは、声の奥になんとなく感じられた。



「……だから、続けてるんですか。始末書を」



「そう。終わったら、少し楽になれる気がして。終わるかどうかはわからないけど」



好代は少しだけ考えた。



「……でも今日、終わらせました。四十七個」



「それはそう!それはちゃんとやった!」と世達ちゃんが少し元気な声を出した。「今日の分はちゃんとやった。それは胸張れる」



好代はうなずいた。

それで十分だ、と思った。




──────────────────

◇クルー視点モノローグ——秩序—観測記録



今日の数字を記録する。



好代さん、合計二十九個。内訳:感覚拡張系四、時間制御系三、物質変換系三、精神影響系五、戦闘強化系四、環境制御系四、分類不明四、デッドライン系二。



これだけの種類の知識を一日で保持したのは、前例がない。



より重要なのは、デッドライン系摂取後の「棚の整理効果」だ。これは完全に想定外だった。複数の世界線の知識を同時保持するための補助機能が、別の種類のバーガー知識によって賄えるなら——理論上、保持できる知識の上限が大きく上がる。



能力の「天井」が、今日また見えなくなった。



……それよりも、一つ気になることがある。



分類不明四個目のバーガー——「においを操作する世界線」——が入った時の彼女の顔。



私はあの顔を知っている。



失われていたものが、戻ってくる顔だ。



……そのバーガーが、なぜ今日の「賞味期限ギリギリ」の一覧に含まれていたのか。



偶然にしては、できすぎている。



……姉さん。



あなたはまた、何かをしていますね。

──────────────────




エピローグ「夜の帰り道、三十九種類のにおいがする」



夜の十一時、好代はぱんでむから出た。



渋谷の路地に出ると、夜風が吹いていた。



深呼吸した。



今日一日で、二十九種類の世界線の知識が頭に入ってきた。それぞれの世界線のにおいの記憶みたいなものが、微かにある。その中に、においのバーガーの知識もある。



好代は少し試してみた。



頭の中でその知識を引き出して、手のひらに意識を向けた。



においが——少しだけ、動いた気がした。



ほんの少し。でも確かに、右の手のひらから甘いにおいが出てきた気がした。



消えた。



でも、できた気がした。



好代は手のひらを見た。何も変わっていない。でも頭の中に「できる」という感触がある。体が追いついていないだけで、知識はある。



いつか、においを作れるようになるかもしれない。

バーガーのにおいを、好きな時に呼び出せるようになるかもしれない。



十七年間、においだけで生きてきた。

今はにおいが力になる知識を持っている。



しみじみ、良い日だったと思った。



マクドナルドの前を通った。においがする。おいしいにおいがする。



今日は止まらなかった。でも吸い込んだ。



「ありがとう」と、においに向かって小さく言った。



十七年間、これだけが一緒にいてくれた。



好代は夜の渋谷を歩いた。

頭の中に二十九種類の世界線が入っていて、右手のひらが少しだけ甘いにおいを覚えていた。


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